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先日亡くなられた著者、吉田秀和さんの初期の評論集です。
わたしがこの文庫版の著書を初めて読んだのは確か高校生時代でしたが、著者が小石を握りしめて聴きに行った演奏会、という変わったシチュエーションでのシューマンのピアノ曲の評論(弾かれない旋律が楽譜に書きこまれていることの指摘)や、音階やコード進行の使い方を具体的な例を引いて行ったモーツァルトとヨハン・シュトラウスIIの比較(交響曲第39番変ホ長調第一楽章冒頭部分と『美しき青きドナウ』の冒頭)など、著者の後年の語り口のほとんどすべてが凝縮されていたことを、今更ながら驚くとともに、その指摘の的確さに改めて感服します。
2012/6/3付朝日新聞読書欄に掲載された片山杜秀慶應大学准教授による「吉田秀和の遺産~音楽は自立した精神の支え」と題された追悼評論でも、この著書が冒頭に掲げられていていました。
こころよりご冥福をお祈りいたします。
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小説でも映画でも、音楽やアートであっても、
感動を伝えようとしたとき、ただ、それがそのまま
そこにあればいいのに…と思うことって多い…
もしかしたら、感動を運ぶ言葉は、すべからく拙いのかも…
きっと、評論家だって、そんなことを意識せざるを
得ないんじゃあないかな…ただ、ほとんどの評論は、
そうしたことに眼をつむり、時代背景だの、
クリエーターのパーソナリティだのの紹介に終始しています。
吉田秀和の音楽評論は、ボクの知る唯一の例外でした。
逝去を知り、書店に駆けつけ、今更のように手にしたのが、
この一冊…これは、吉田秀和氏の最初の音楽評論集…
まさに、氏の音楽に対する姿勢が、ひしと感じられたのです。
安っぽいアナロジーに耽溺することなく、
徹底した楽曲分析が進められています…
シューマンに関する最初の評論で、叫びとも云える一言がありました。
「なぜゆるぎなく明確な音そのものをきかないのか?」
日本において自立した音楽批評を確立した初めての人…
おそらく、これを読むことで、生涯通じて貫かれた
氏の姿勢を改めて再確認することができるでしょう。
何度も繰り返し音楽を聴くように、読み返してみたい本なのです。
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きき手は自分の好みにひきずられないで、名人たちの鍛錬の成果のうちに、的確に反映される音楽的思考の美しさを、細心にききとるがよい。よい音楽は、きき手のすききらいなどにびくともしない、たしかな美をもっている。
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シュトラウスがモーツアルトほどの聴く耳を持っていなかったなど、興味深い指摘はあったが、私はこの本を理解できるほどの基礎知識が足りなかった。再度読む機会もあるだろう。