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最初にあとがきを読むべきだった。 どういう観点から論じたか、これを知って読めば、もっとすんなり入っていけたはず。 論者は診療内科の専門家で、ユング派分析を基盤とする。
1Q84論、ということで読み始めたのだが、ひたすらにプリモダン、近代、ポストモダンについて論じ続ける。村上春樹自身が、作家として大事なことは個人的作話システムなので、とインタビュー語っているそうで、意識的にプリモダンの世界を織り込んでいるらしい。
自分は村上春樹を読み込んでいるわけではないが、小説を読んでいなくても引用や紹介で雰囲気はわかる、というより小説の筋自体はここでは重要ではない。そこに織り込まれる超常現象、イニシエーション等のプリモダン世界、そこに明白な解釈を与えてくれている。
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プレモダン、近代、ポストモダンという三つに区分し、1Q84にあらわれる人間の意識を描出するという本。
一見、解説本のようだが、実際に読み始めてみると印象が変わった。
著者が1Q84のカウンセリングをしている場に、読者が立ちあっているといったらよいだろうか。
マラソンにおける「並走」という言葉に倣うならば、「並読」というがふさわしい気がする。
最終章が特におもしろく読めた。
私の理解力の乏しさのせいだが、それまでの数章は結局何が言いたかったのかがつかめず、もやっとして終わってしまった。
以前読んだ岩宮恵子さんによる春樹論がおもしろかったが、著者とその岩宮さんがつながりがあるというのは意外だった。
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ユング派の心理療法を営む筆者の視点による村上春樹の小説論。
「1Q84」を中心に据えて、他の小説の分析も加え、村上春樹の小説世界に切り込んでいく。
こうした分析を通して、改めて個々の小説のあらすじやイメージを思い浮かべることができる。改めて様々な解釈を生み出すことができる小説は、それぞれに奥が深い。
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村上は、僕らは一つの世界、この世界に生きていますが、しかし、その近辺には別の世界がいくつも存在しているのだと思う。もしも、あなたが本当に望むから壁を通り抜けて、別の世界に入っていくころができるでしょう。ある意味、現実から自分を解放することは可能なんですよ。それこそ、僕が自分の本の中で試みていることです、と語っている。
村上の作品では多くの登場人物が孤独に生きている。誰ともつながらず、生きている。人の心に必ず対立するものがあるとしたように、バラバラであることや孤独であることは、パートナーというようなふつうの人間関係によるつながりではなくても、つながろうという動きを生み出す。
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著者の河合俊雄は、河合隼雄(故人)の息子とのこと。親子でユング心理学の研究者だと。河合隼雄は『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』という村上春樹との共著もある。この中で、村上春樹は河合隼雄との対話のことを非常に生産的であったというように語っていたように思う。まだ20世紀の終わりの話だ。この本に取上げられた『1Q84』も『アフターダーク』、『海辺のカフカ』も『スプートニクの恋人』も書き上げられていない。息子として、同じ研究者として、その先を埋めようとする意識もあったのかもしれない。
本書は、村上春樹の作品、特に『1Q84』を心理学的方法によって読み解いていくというものである。
「心理学とは、物語に関して言うと、読み終わってから「なんだろう」という問いに答えるものと言えよう。物語を読んでいて暗黙のうちに体験されているものを、自覚的に捉えるのが心理学的作業なのである」(No.139)
ユングを援用した読み解きとして、『1Q84』の冒頭で高速道路わきの非常階段を降りるという垂直的な移動によって別の現実に入ることを地下2階ともよぶ集合的無意識の次元への移動と読み替えてみるところや青豆と天吾に加えて、ふかえりとリーダーを交えた結婚の四位一体として捉えるあたりであろう。
読後感として、村上春樹の小説は、心理学とは相性がよいものだろう。村上春樹自身も物語と夢とを譬えることもある。そうであったとしても、ああなるほど面白い、という感想を持つことはなかった。一冊まるごと小説の物語分析というのはなかなかに難しいものなのかもしれない。第一、ユング心理学自体をあまり知らないというのもあったのかもしれない。
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Kindle WhitePaperでの最初の読了本。
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途中まで著者は河合隼雄だと思い込んでいた。途中であれ?と気づいたが、あとで調べたら息子さんだった。
出てくる村上本のほとんどを読んでいるので、ふーんこういう読み方があるのか、と興味をひかれつつ。とはいえ、何を言っているのか半分くらいはわからない。まあ、村上春樹の小説もよくわからないからちょうどいいのかもしれない。ぼく自身は、村上春樹の小説は音楽みたいなものであって(特にジャズに似てる)、解釈したり分析したりしても、読者が人間的に成長したり、新しい力に目覚めたりするもんじゃないと思っている。
こういう深読み本って、著者が「いや、別にそんな意図はなかったんだけど」と言い出したらどうすんのかな、と思いつつ。
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ユング心理学の研究者が「1Q84」を読み解く。「1Q84」が春樹の中でも、人物の過去を詳細に書いている、ハッピーエンドに終わる独特の本だということ。スプートニクの恋人、めじまき島クロニコル、ハードボイルド・ワンダーランド、海辺のカフカ、1973年のピンボール、ダンス・ダンス、その他の作品の登場人物についての解説も詳しい。1Q84の主要4人物として、天吾、青豆、リーダー、ふかえりの4人の相姦!関係は興味深い。青豆の妊娠の理由がやっと納得できたように思う。聖なる界、人間界の交叉する四者関係がユングの鍵!頻出する10歳という年齢もユングに関係があるとの説明も興味深い。春樹自身「ノルウェイの森」は、映画化されて初めてこれは女性を描いていると気づいたという!示唆に富んでいる。確かに「僕」という存在は主人公でも、自我でもなく、空気のような存在であることが多い。
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https://ameblo.jp/yasuryokei/entry-12435704520.html
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村上文学を「夢テキストとして読み解く」との副題には心理学ド素人の私も大変興味を引かれ、手に取った。例えば、「ねじまき鳥クロニクル」における満州を巡るエピソードの中で、ソ連軍・モンゴル兵による「生きたまま川を剥ぐ」という拷問、および砂漠の井戸に突き落とすという「処刑」のシーンが出てくるが、これは実は文化人類学的に見れば「死と再生の儀式」に相当するとの視点など大変新鮮であった。
また、ユングによれば、結婚とは男の自我と女の無意識、及び女の自我と男の無意識との交差的関係である、らしいのだが、これを「1Q84」における天吾とふかえり、及び青豆と新興宗教「さきがけ」のリーダーとの関係に当てはめるくだりも興味深い。
一方、著者は、「相手や精霊と相互浸透していくような、境界のない前近代の時代とは違って、近代意識には禁止や分離があるのが決定的である。それによって、到達できない、あこがれる対象というのが境界の向こう側にできてくる(注:たとえば夏目漱石の「かなわぬ恋」に関する葛藤)」という指摘もしている。
この点については、例えばまさしく生霊が当然のように現世を行き交っている「源氏物語」においても「禁止や分離、それが生む憧れ」は重要なモチーフであるように思われ(例:源氏と藤壺との関係)、それらが前近代にはなかったかのような考え方には若干疑問も感じた。
ともあれ、最低限フロイトとユングの違いくらいはある程度理解してからのほうがもっと面白く読めるのだろうな、とは感じつつも刺激的な本であった。