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人類のエネルギー利用を地球の生態圏との関係から論じる「エネルゴロジー」という概念を提唱し、その視点から「自然」でも「人工」でもない太陽エネルギーの直接的な利用を「第8のエネルギー革命」として大きなパラダイム転換とみなす。中沢氏が突然「緑の党」設立なんて報道されたときは何かと思ったが、ここにはその意図が明確に書かれている。表現は抽象的だけど考え方そのものには賛成。
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経済学やらエネルギー学やらで最初はとっつきにくかったが、エネルゴロジーが目指すところも第八次エネルギー革命も贈与とキアスムの概念も理解できた。
筆者の言を借りるならば、今こそ日本の大転換が必要なのは間違いないと思う。
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原子力というエネルギー問題を、思想論的にとらえ、その本質的な問題と打開策を提示しようというもの。しかし、こうした思想だけで経済の発展段階を示そうという試みは、弁証法哲学っぽくないだろうか。いずれにしても、ぼくはその深みにまで入り込んで理解することはできなかった。
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原子力とコンピュータによるエネルギー革命を経た資本主義は、かつてないほど大きな規模に成長を遂げたが、ますます性体験との連絡を絶たれた自閉系へと変貌を遂げていった。
福島の原発事故で、露呈した原子力システムの脆弱性。
資本主義と原子力発電は、それぞれが反対の方向から性体験にとっての遺物となっている。資本主義は性体験の内部に人間の知性によって出現したにも関わらず、商品経済のもつ抽象性や経済計算の過剰な合理性によって、性体験を成立させているのとは異質の、ときには破壊的な影響力を及ぼす。
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グリーンアクティブ代表、中沢新一が提唱するマニフェスト。脱原発・脱資本主義のために「エネルゴロジー(=エネルギーの存在論)」という概念の必要性を説く。木ではなく森を見ている視点に賛同しました。
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中沢新一の原子力論。ポランニーやラカンを引用しながらの独特の議論だが、ぼくは原子力を特殊、特異に見ることには違和感を感じるので、うーん、と思いながら読んだ。
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311があって書かれた本。
「原子力と資本主義」は考えてたけど、
「原子力と一神教」は気づかなかったなぁ。
ここに書かれてる通り、日本だけじゃなくて世界は転換期を迎えているはずなんだけどな。
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人類史が経験したエネルギー革命を段階的に整理すると、原子力の開発は第七次にあたるのだそうだ。この行き詰まりが明白である以上、それを否定的に乗り越えた第八次エネルギー革命が待望されることは論を待たない。原子力発電の棄却が誰の目にも明らかなほどに理論的かつ理性的に受容されなければならない。その始めの一歩にこそ本書がふさわしいのではないだろうか。
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筆者が言う脱原発、脱近代資本主義には僕も賛成なのだけど、そのための話の展開に無理があるように感じた。
エネルギーの存在論として、エネルゴロジーという言葉を提起している。
原発以前のエネルギーは太陽の外部から発せられる熱によってつくられたエネルギーを使用しているが、原発は太陽の内部で起こっている仕組みをしようしている。
太陽の熱を媒介して作られたエネルギーではなく、太陽がエネルギーを生み出す内部的な仕組みを地上に持ち込んだことが間違いだという論旨。
太陽の内部、外部という枠組みで捉えればそう言えないことも無いだろうが、宇宙に存在している星でエネルギーを発生させている仕組みという枠組みにしたら原発は問題ないという結論になってしまう。
ここらへん、無理があるんじゃないかなあと思う。
過去においてエネルギーシステムと経済システムが対応付けられるという説明は面白かった。
原発も資本主義も無媒介なものであり、内閉的なものであると。
原発から違うエネルギーに代わることで、経済システムも代わるだろうと。
東日本大震災を受けこれまでのスタイルから脱却し、新しいスタイルを打ち出したかったのだろうけど、そこまでは踏み込めていないことが残念だったな。
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東日本大震災以後の日本を第8次エネルギーの時代にしようという思想的冒険の書。
では、これを現実化するために「緑の党のようなもの」は何をするのか、それがいまだに見えないのが残念。
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原発と一神教の類似性を指摘するオープニングは素敵ですが、その後が何も続いてない。残念。
しかし、結局は何の内容も無いのに、日本の将来について意義ある提案をしているかのように見せる筆力は凄いと思う。例えば、主語を「わたしたち」で統一したりとか、巧みであります。
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本書は福島原発事故後のエネルギー政策、経済システムへの転換について述べている。エネルギー政策についてはちまたで騒がれている「再生可能エネルギーの推進」論を宗教的な立場から論じているように思えた。
著者は、原子力発電のシステムにおいて、原子炉とその外の生態系とを媒介するインターフェース装置が、きわめて脆弱につくられている、という事実を、「生態系の外部に属する核反応の現象を、無媒介的に生態圏の内部に持ち込んだシステム」として表現している。
Fukushimaの大事故は、人類のエネルゴロジー=エネルギーの存在論(著者の造語:地球科学と生態学と経済学と産業工学と哲学とを一つに結合した、新しい知の形態の呼称)の歴史にとって、ひとつの重大な転換点となていくにちがいない、と説く。
原核生物の「発見した」光合成こそ、来るべき時代の「中庸なエネルギー技術」のひながたとなるものである(68ページ)。
原子力発電とコンピュータに代表される第七次エネルギー革命に次ぐ、第八次エネルギー革命の初期の段階で、重要な働きをすることがきたいされている「太陽光発電」こそは、電子技術で模倣された植物光合成のメカニズムにほかならない。
太陽光発電では、植物が酵素の働きによって実現していたエネルギー変換が、半導体の働きによって行われる、というところだけがちがう、と述べている(73ページ)。
光を受けるたびに原核生物であるハロバクテリウムの体には電位差が発生し、光エネルギーが電気・化学エネルギーに変換される。あとは、酵素と、このとき生まれた電気・化学エネルギーを使ってATPという生命活動にとって最も重要な物質を合成する。こうして、この最近は太陽の核融合反応から放出されたエネルギーを、たくみに媒介的に変換しながら、生態圏に持ち込んで固定することに成功したのである。
第八次エネルギーに共通しているのは、太陽エネルギーを媒介的に取り込んで変換するインターフェース(媒介)の働きそのものによって、発電をおこなう点である(76ページ)。
第八次エネルギー革命をリードしていく技術は、いずれも「太陽エネルギーを生態圏のなかに媒介的に変換するシステム」となるであろう。しかも、石炭や石油の場合とは異なって、地球に降り注ぐ太陽エネルギーを、大きな遅延なく、電気・化学エネルギーに変換できるシステムが、その主力となっていくことになる(77ページ)。
著者は第八次エネルギー革命に対応する来るべき経済システムとして、第七次エネルギー革命に対応する資本主義と比較して以下のようにまとめている。
第七次エネルギー革命
・過激な無媒介性(生態圏外部的エネルギー)
・内閉性(太陽からの、生態系からの)
資本主義
・過激な無媒介性(社会生態系外部的システム)
・内閉性(社会からの、生態系からの)
第八次エネルギー革命
・太陽エネルギーの媒介的変換
・中庸
・贈与性(太陽という生態圏外部からの贈与)
・キアスム(交差)構造
来るべき経済システム
・外部性に開かれた経済
・中庸
・贈与性
・キアスム構造
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思想家、中沢新一さんによる脱原発、新エネルギー社会論。
いわく、元来、生物の活動は、生態系内で太陽エネルギーをエネルギーに変換することにより営まれてきた。原発はこれに反し、生態系外から太陽と同じ核反応を直接生態系内に持ち込んだもので、もともと無理がある。また、全てを経済的価値に置き換えて評価する資本主義と、エネルギーを外部から持ち込む原発は親和性が高い。また、生態系内の事象の相互連携ではなく、絶対的なエネルギー源を志向する点で一神教的発想に近いという。
今回の震災を契機に、日本は率先して生態系内でのエネルギー循環型社会に変換すべきで、それとともに行き過ぎた資本主義も人々のつながりや贈与、交換をベースにしたものに置き換わって行くという。
思想としてはとても刺激的だし、面白い。自然と親和性を取り戻した自然エネルギー循環型社会に対して異論は誰もないだろう。しかし、問題は実現性と時間である。既に現実として目の前に高度資本主義社会が存在し、人々が生きている。氏は従来の経済的価値観で考えてはいけないというが、もう少し現実と擦り合わせながら実際には物事を進めていかないことにはどうにもならないだろう。
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原子力と資本主義という「炉」は、本来の生態系から外れているおかしいものだ、もとに戻すのではなく、新しい思考のチャンスだ、と。今この時点では、この本を読んでそれに気づく、という段階ではなく、「踏み絵」ではなくて、踏み絵の先にある階段、それもピッチがあっていないもので、進むのは快適ではないのだけど、という印象です。
新しい気づきや行動のヒントがあるわけではなかったけど、うまく言えないことを、代わりに言ってもらっているような本だなあ、と思う一方で、やはり改めて転換する気のない「炉」の人たちとは交差点が持てないのだろうなあということも。出版されてすぐなら、また違う印象だったのだろう、とも強く思うのです。
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核反応がその他のエネルギーとはかなり違うというのは、改めて指摘されてみるとなるほどと納得のいく話だった。そしてなぜに人が原子力開発に手を付けるのかと思いめぐらすと、そこには資本主義のいきわたった地上でなんとなく感じている貧富のゼロサム感が大きいんじゃないだろうか。結局貧しき者があって富める者がいる、全体でここからのレベルアップがまだあるのか、と人類が思う先行き感の不安がそこにあると思う。
そこで再認識させられたのが太陽の存在。この無限の闇広がる宇宙空間に燦々と降り注ぐ贈与。結局、化石燃料も生命の源泉も太陽光輻射があたえるエネルギーに依る。今後テクノロジーの発展が人にとって相対的に無尽蔵で対価を必要としない熱源から効率的にエネルギーを取り出せるとしたら、確かに資本主義とはちがうスキームが生まれるかもしれない。
でも一神教と原子力開発を結びつけるのはちょっと...と思うだけど。