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西館さんは井上ひさしの元奧さんである。その元奧さんが井上ひさしの死を機会に娘に勧められて、井上ひさしとの濃い結婚生活とその破綻までを書いたのが本書である。たしかに、何事も「一方聞いて沙汰するな」と言われるように、元奧さんの言い分だけを聞いて、暴力夫としての井上ひさし像をこしらえるのはフェアでないかもしれない。しかし、本書が全く一方的かと言えば、そうでもなく、井上ひさし本人だけでなく、義理の母などに対する評価は充分している。最後は、井上ひさしのDVで結婚生活の幕をとじたのだが、一体二人をここまでにしたのはなんだったのだろう。もちろん、孤児院に育ったひさしと、東京の下町に育った好子という育ちの違いは大きい。それは価値観の違いでもあるのだから。しかし、二人はそれを最初は楽しんでいたかのようにも見える。お互いがお互いから刺激をうけている間はよかったのだろう。だから、離婚は、それが受け入れられなくなったときに起こった。井上ひさしのDVはもちろんいけない。わが妻などはそれだけで井上ひさしの評価は最低になる。しかし、好子はそれをある程度まで許していたと思う。それは、どんなことをされても、この人を立派にしているのだという自負があったからだ。
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[要旨]
都会と田舎、笑いと哀しみ、才能と狂気、慈悲と残酷、妻と夫、出会いと別れ、生と死…。すべては表裏一体、あんなにもつらく、楽しかった25年間。誰も知らない「井上ひさし」がここにある。
[目次]
井上ひさしさんの死;奇妙キテレツ新婚時代;ひょっこりひょうたん島人物漂流記;テアトル・エコーの芝居和と洋の対立;あっという間に直木賞;売れっ子作家になって;市川北国分の不夜城;義母、井上マスという人;五月舎の頃絶頂からドン底まで;こまつ座乱舞の日々;あっという間に離婚へ;つかさんと井上さん;妻は死んだ
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作家には変人が多い。
作家だけではなく芸術家と呼ばれる人々にとって、何をおいても作品を作り上げることに意義があるわけだから、それを生むまでの工程は計り知れないモノがあるだろう、と凡人は多少の羨望と嫉妬も入り混じりながらそれを言う。ある意味褒め言葉でもある。
が、時に異常な行動を伴う場合、巻き込まれた家族はそれに振り回され大変な被害を蒙る。
井上ひさしのDV癖というのはこれを読むまで全く知らなかった。人のよさそうな顔からは想像に遠いが家族や周囲の証言から事実らしい。著者は井上ひさしの前夫人であり、彼女には以前にもこのDVに関して著作があるのに何故再び書いたのか?井上ひさしが亡くなった時に3人いる娘のうち上の二人が死に目に立ち会うことを拒まれたという事実、血の繋がった父親に拒絶された娘の無念を晴らしたいという気持ちがあったようだ。
この著書では二人の出会いから別れまでが書かれてある。貧乏放送作家から売れっ子作家になるまでの苦労話や追い風をしょってどんどん登りつめる出世話、そこら辺は爽やかなんですが、劇団を作ってからの苦労話、結婚中の夫婦関係や双方の親族の問題などなどドロドロ。そこには娘の姿はあまり書かれていないのは何故かしらん?
ぶっちゃけですが結論として、悪妻と言われたが本当はかなり糟糠の妻だったのよ!あちらは気のいい優しい人と言われたけど裏では暴力夫だったのよ!と言いたかったのでしょうか。つかこうへい氏と著者の対談部分を読むと自意識過剰なやなおばさん風。何のために入れたのか判断不明。
相当ひどく書かれている井上ひさしご本人は鬼籍に入っているので彼の本心は知るよしもないけど、「一方を聞いて沙汰するな」という言葉がある。物事は一方的に見て聞いて、決めつけてはいけない。両方から聞かなくては真実には辿り着けないということです。
結局は気の強い下町娘と田舎出身の朴訥な男の組み合わせが悪かったのか?
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人形TV番組「ひょっこりひょうたん島」は見ていたが、井上ひさし氏の著書は読んだことがない。しかし編集者の友人が「井上さんの奥さんってステキな人よ」と言う話は聞き及んでいたっけ。こまつ座も離婚もほとんど興味なしだったが、この著作によると、ああ、DV被害者だったとは・・
作家・井上ひさし氏は、彼女なくして生れなかったことがわかる。
夫婦のことは他人がとやかくいうものではないけれど、創作に携わるということは大変なこと。お別れして正解でした!
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この本を書いた理由が井上ひさし氏の死に目にも会えなかった二人の娘たちの為にと言いながら、どうしてそうなったのか結局書かれていない。
あとがきにかえての娘の文も要領を得ず、スッキリしない。
夫婦は色々だからそれはいいのだが親や子供を巻き込んでのところがしっくりいかない。
暴力とお金、天才作家の苦悩、プロデュースする妻の思い入れの荷重さ。
次女の事が何も書かれていなくて、なぜに父に拒まれたのか?
免罪符として子供たちへの言い訳なのかな。
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まあ、「人格破綻者」というのは表現者のひとつの類型だね。男の子供がいたら殺されていたかもしれないな……。
その辺のところを知るにはいいかもしれないが、「作家・井上ひさし」の評伝としてはあまり出来はよくないと思う。ただ、つかこうへいとの関わりのくだりはおもしろかったです。
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井上ひさしの別れた元妻による、国民的人気作家の知られざる暗い素顔の報告です。ゴシップ的興味で読み始めましたが、かなり屈折した性格だったことがうかがえます。ほとんど陰険な人だったというべきかもしれません。相手を追いつめていく冷え冷えとした言葉づかいに唖然とさせられました。最後には妻を病院送りにするほどの暴力夫だったことも書かれています。
井上ひさしといえば、ユーモアとあたたかさを感じさせる作風が好きで、何冊か作品を楽しく読みましたし、農的日本の防衛のために闘う笑顔のリベラリストという好印象を持っていただけに、相当ショックでした。読まない方がよかったかなとも思いましたが、人間は複雑な存在であるということを改めて認識できたので良しとしましょう。
著者には同情を禁じ得ませんが、本としての評価は別の話です。作家の心の深奥に迫り切れていないもどかしさと、誤植頻発の粗雑な編集ゆえ、★★としました。それほど売れているようでもないし、(講談社、新潮社、文藝春秋をはじめとして)井上ひさしを無傷で守ろうとする人は、それほど大きなダメージを与える本ではなかったと安堵しているかもしれません。
夫として父親としてどうであったにせよ、偉大な才能の持ち主だったことはまちがいはありません(「ひょっこりひょうたん島」誕生のころの話は読んでいて楽しかったです)。作品は作品として、私はこれからも気が向いたら井上作品を楽しく読むことでしょう。
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何が本当で事実かということは本人が係わってくると難しいものだと思う。でも作家の妻がいかに大変かということがよく分かる。そして、つかこうへい氏の優しさにこの本は救われたような気がする。
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以前『修羅の棲む家』を読んで、井上ひさしのDVの凄まじさに衝撃を受けたのだが、同じような内容でまた書いていると知り、なぜ書いたのか気になって読んでみた。普通に考えれば、生活のためだろうし、そういう面はもちろんあるだろうが、それだけではないことが読めばわかる。
ひとつは三人の娘たちの間に確執を招いてしまった、晩年の井上ひさしへの抗議、というか、娘たちは悪くないのだということを世間にどうしても伝えたいという母心。これは、親としてよくわかる。自分がどう言われようと耐えられるが、元夫の評価が高いせいで、娘たちが悪く言われるのは耐えがたい、事実をはっきりさせておきたい、という気持ちはよくわかる。
それから、井上ひさしとの出会いから別れまでを、実質井上ひさしのプロデューサーであった立場から、当時の文壇の裏事情も含め、語っておきたいという気持ち。著者しか知り得ない、貴重な記録だと思う。
『修羅の棲む家』のときは、悪く言えば暴露本的なところもあったが、それから年を経て、著者の心にも変化があったことが読み取れる。例えば、家族で食事を楽しむということができなかった(必ず不愉快な言動をせずにはいられなかった)井上ひさしに対し、「考えれば、井上さんは子どもの頃から、そうした家族の食事風景の中にいなかったのだ。そのことを分かってあげるべきだった。(P171)」というように。
読んでいくうちに、井上ひさしも惚れた女房に「お願いだから俺を捨てないでくれ」と素直には頼めない昭和の男だったんだなと思う。それが素直に言える人なら暴力も振るわなかっただろう。
しかし、DVは許されない。特に著者の親の目の前で行われた暴力は、親の心をどれ程傷つけたか。
また、出版社を含め、当時の文壇がとんでもないほど男社会であり、男の悪さは徹底的に隠され、庇い、表に出さないシステムが出来上がっていたことにゾッとする。
井上ひさしは、知性とユーモアがウリだったけど、自分のダークサイドにもっときちんと向かい合ったら、また別の傑作がかけたかもしれないとも思った。(修道院時代のダークサイドを描いた作品が結構いいので。)
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井上ひさしは作家、演劇人としては立派であったし、その作品も好きであった。
しかしその男の働きは、「はたを楽(らく)」にはしなかったようだ。
・・・芝居を売るということは時に誇りも自負もなくさなくてはできないことだから。
私は、その最高から最低までの人間世界を垣間見ることができる芝居というものの面白さも、同時に味わっていた。人が去っていくことの本当の意義は実に明快なものだと思っている。明快な毒は麻薬と同じで後を引く。スッキリとはいかないのだ。
「私達、本当は二人で劇団をやった方がいいのじゃないの」
どこにも組み込まれず、組み込まず、そして誰も本当のことを井上さんに言わなくなった今だからこそ、自分の手で井上さんを守りたかった。
あれだけ時間を共有し、お互いを組み敷くまで戦い抜いたエネルギー。夫婦であり、同志であったあの頃は、私達は一番結束の堅い糸で結ばれていた。(1980年頃 266頁)
父の一言は火に油を注いだ。
井上さんのやり場のない怒りが爆発し、やにわに私の髪の毛をつかむと引きずり回し始めた。
「こいつが馬鹿だから、こんな計画を立てるから、性懲りも無い問題が起こるんだ。頭が悪いから、殴るよりしょうがない」
理不尽もいいところだ。
母は金切り声を上げた。
「そんなに頭が悪いというなら、ぶてばもっと悪くなりますよ。悪い頭がもっと悪くなったらパパはもっと困るでしょう。暴力はね、心を冷やすんですよ」
井上さんはぷいと二階に駆け上がっていった。
私はこの時、井上さんの怒りは書くために自分を追い込むことばかりでなく、やんわり事を納めようとした父に向けられた物でもあるのだと思った。
私の家の「儀式」は、井上さんが、自分をすべてから切り離すことを目的としている。その大義名分のためには、家族すら犠牲になる。家族にそんな思いまでさせて芝居など書かなければいいじゃない、大抵の人はそう思う。それでも井上さんにとっては、もはやどんな犠牲を払っても、書くこと以外の過ごし方には考えが及ばなくなっていたようだ。(295頁~296頁)
私は、長い時間をかけて徐々に心が冷めていくのを感じていた。言葉にできない恐怖を感じ始めていたのかもしれない。彼の潜在的な残酷さを―――。
「愛し愛されること」はまったく個人的な感情だ。無意識の中で愛を持った人に抱かれる経験から出発すると言われている。哀しいことに井上さんは、孤独な、不安な体験の方が大きかったのかもしれなかった。
「愛しているからぶつ」といった理屈。自分と同じ位置にいるから殴るという自虐性が、妻である私に向かう理由は何か。それは井上さん自身が孤独に耐えられないからだ。苛んでも所有しておけるものがなくては不安なのだ。
「男の最後の手段が暴力だ。頼むからそれを僕に使わせないようにしてくれ」
「戦争も最後の手段は暴力に訴える」
どこまでも正当化する。暴力を使わせる私の方に非があるというわけだ。(299頁~300頁)
暴力は心を冷やす。
被害者といった感じはないが、それを「愛」という言葉に置き換���ることは承伏できない。愛していれば自分のもの、だから離れることは赦さない。
「世の中に新しいことを」と言う井上さんは、もっとも古い日本の男だった。私はそう気づき始めると共に、そうした男に支えられ生きる人間にはなりたくなかった。(311頁)
私は心から心から願う。
どうか、母を賑やかに見送ることが叶いますようにと。
私の好きなエピソードがあって、それはフランスの映画監督のロジェ・ヴァンディムが、どこかで倒れて救急車で病院に運ばれて行くときに、救急車に、かつての彼の妻達、ブリジット・バルドーと、カトリーヌ・ドヌーブと、ジェーン・フォンダが同乗してきて自分の悪口を言い合っている。ロジェ・ヴァンディム監督自身は、酸素マスクを装着されて意識朦朧としているんだけど、その悪口を聞きながらとても幸せな気持ちがした・・・・・・と、そんなエピソード。
いまは日本中が、子が親を看取ること、それがどんなに幸せなことか身に染みて感じているだろうと思う。ちゃんと別れられること、逆縁などふりかからず順番通りに、そして、この世の最後の時間をギリギリのところまで共有してあげられること。
願って叶うものではないとわかっていても、願わずにはいられない。
母の最期のときを、出来れば妹達と、母の悪口など言い合いながら、賑やかに過ごせますように。
人生に後悔はつきもの。後悔するな、後悔しないように生きろと、私は誰にも言えない。でも後悔しようにも出来ないそのときがくることだけは、心に打ちつけた。(「あとがきにかえて おわりもはじまり 父と母、そして私 井上 都」383頁)
「父は死んで、終った」と、この素晴らしい本には書いてある。私の父も、死んだ。父の人生は、確かに終わった。この世にはもう父はいない。
しかし、母は生きている。よかったと思う。気の合う母娘とはとてもいえない母と私は、これからも変わり映えなくこれまでと同じように関わり合って揉めたり敬遠し合ったり、ときには慰め合ったりして付き合っていくのだろう。母からしたらいつまでも私は、父親に切り捨てられた憐れな娘なのかもしれない。
だけどやじろべえは健在である。
片方の重しは失くしたけれど、まだ、ちゃんと不安定ながら倒れずにいる。
父は死んで、私には答えの出せない謎を遺した。父でない限り、どんな代理人も私の問いには答えられない。
父と母はかつて夫婦であった。
私は、その二人の長女としてこの世に生を受けた。
二人は別れ、夫婦ではなくなった。
それでも、私は二人の娘である。
娘として、父と母に力を貸してくださった方々に、心から、御礼を伝えたい。
(「あとがきにかえて おわりもはじまり 父と母、そして私 井上 都」384頁~385頁)