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回送先:川崎市立幸図書館
評価しないのではなく、評価に値しないのである。高橋の女性蔑視(ミソジニー)・女性憎悪にその原因がすべて帰着してしまうのである。これは読めば読むほどにじみ出ており早晩治療の見込みなしといった具合だ。
というのも、高橋が日本サッカー協会とのジョイントで生まれたキャラだと言い募るという権威性を笠に着たような格好をとっており、これはこれで「ええかっこしい」の典型であるが、しかし他方ではこのようなかっこツケをとらないと自分のマスキュラン(男性性)を脅かされるとどこかで思っている節があるのだろうとも言えるのである。
この高橋のあからさまな女性蔑視・女性憎悪は、本来ならば主人公楓の成長物語となるべきであろう本書の基本ストーリーに致命的な齟齬を生ませてしまっている。確かに話が進むにつれ、彼女が彼女単独の技術から「チーム」全体の技術へのゆるやかなモーダルシフトを通してそうした成長を描いているのは事実なのだが、「フットボールを愛する少女は勝気で純情であらねばならない」という先入観に縛られてしまっている以上その先入観に沿った筋書きしかできず、結果ページがなくなり話を早急に進ませてしまっている(オチが非常にわかりにくいのである)。ついでもって言えば高橋が批判されるべきであろう国民国家への無理矢理としか言いようがない帰着意識の「押し付け」は本書においても健在だ(この問題に対する高橋の総括の杜撰さをいまさら指摘してもしょうがないのだが)。
ああ、この人の女性に対する見方は―同時にそれはサッカー協会やあるいはそれらに群がるスポーツ新聞にも言えた話だが―『キャプ翼』のときから変わっていないのだなという諦念さえ読後感に含まれてしまうのである。