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少女チェチェリアが暮らす養育院に、アントニオ神父が赴任してきて・・・
あのヴィヴァルディのお話という事なんだけれど、少女の独白形式になじめず撃沈。やっぱ、翻訳モノ苦手だあ。
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子どものころから父親にヴァイオリンを教わり、作曲もするようになり、司祭になったアントニオ・ヴィヴァルディが、ピエタ養育院でヴァイオリンなどを教えていたことは、史実であるらしい。
ピエタ養育院が、子どもを育てることが困難な女性のために、外壁に小さな棚式の赤ちゃん受け入れ口を設けていたことも、また、事実らしい。
ピエタ養育院のあった場所で生を受け、ヴィヴァルディを敬愛する著者にとってこの作品は、ヴィヴァルディとその弟子である少女たちへのオマージュであるという。
赤ちゃん受け入れ口に置き去りにされたチェチリアが、見たことのない母に向かって手紙を書く、というスタイルで、自分の出生や母への思い、生と死を巡ってもがく様子など、前半は重苦しい。(手紙という形式と、短い段落で行間をあけていることで、重苦しさは和らげられていて、読みにくさはない)
それに比して、終盤近くの「四季」の演奏シーンの、なんと活き活きと生命力にはじけていること! 自由で力に溢れている。
彼女は前に向かって生きていくのだな、ということが確信される。
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18世紀、身寄りのない少女たちを育てながら優れた音楽教育を施したうえで演奏させ、一世を風靡したヴェネツィアのピエタ養育院は、多くの作家にとって興味を惹く存在のようで、実に多くの内外の作家たちが題材として取り上げている。
特に、音楽教師を兼ねた司祭として活躍したヴィヴァルディとの係わりが有名で、さまざまな物語が生まれている。今年に入って感銘を受けた大島真寿美さんの「ピエタ」はまさにそうした一作だった。
今回の作品も、同じ題材を扱っているものの、その趣はまるで異なっている。日伊の感性の違いが如実に顕れていて興味深かった。
著者のティツィアーノ・スカルパは奇しくも1963年に、この物語の舞台となったヴェネツィアのピエタ養育院の跡地である市民病院で生を受けている。その縁から興味を持って調査をして書き上げたこの作品では、他の物語のようにヴィヴァルディを持ち上げもしないし、少女たちを神聖な天才少女と仕立て上げることはしていない。
生みの母を知らぬ一人の17歳の孤独な少女・チェチェリアの目を通して、世間から閉ざされた養育院(女の世界)と、その中で自己の才能に酔い、思うがままの演奏を少女たちに強いる赤毛の若き司祭(男の世界)の様子が対比的に描かれていく。
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私は誰?お母さん、あなたはどこにいるの?暗闇の中でつづられる少女の問いは、行間から血がにじみ出ているようで。
ピエタ養育院で育った少女とヴィヴァルディの音楽を通しての心の交流はあまりにも美しくあまりにも重くあまりにも苦しい。
大島真寿美著『ピエタ』の輝くような奇跡の物語にたいして暗く沈鬱でまさに闇。
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主人公である孤児の少女がまだ見ぬ母親に手紙を書いたり、語ったりつぶやいたりして物語が進行する。物語半ばからは、「音楽」の描写が支配的になってきますが、ヴィヴァルディや彼女が「捕らわれている」ピエタ養育院でなされる音楽教育等の予備知識がなくても読める作品。帯の謳い文句「ヴィヴァルディと天才少女との葛藤」はどうかと思う。お金の臭いがするなあ。
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親に捨てられた少女たちばかりの養育院で、闇だけを心の友として孤独な生活を送る少女チェチリア。彼女が夜ごと書き綴る、会ったことのない生母にあてた、思慕とも恨みともつかない手紙によって、小説は進行する。
社会的に蔑まれた妊娠・出産の結果である少女たちは、神の声を楽器で伝える楽団で演奏しているが、養育院付の老いた神父が作る曲は「老いた聖女のからからの皮膚」のようで、楽器を離れると、ただ下に墜落してしまうようだ。
若い体ですでに死に締め付けられているような生活の中に、突然やってきた若きアントニオ神父の作る、ほとんど暴力的ともいえるような荒々しい生命力にあふれた曲は、チェチリアの心をかき乱し、苦しめ、やがて彼女は重大な決意をするに至る。
このアントニオ神父が、なんと「四季」をはじめとする名曲をつくったヴィヴァルディであること、彼の曲は、ピエタ養育院の孤児の少女たちから成る楽団のために作られたものであることは、あとがきで初めて知った。18世紀のヴェネツィア共和国では、一般の女性たちには許されなかった楽器の演奏が養護院の女性たちだけに許されていたなど、むしろ史実についての本が読みたかったくらい。
それは、アントニオ神父に出会ってからのチェチリアの行動に、期待していたようなカタルシスがまったく感じられなかったせいかもしれない。情熱について、性愛について、音楽を創造する者ではなく楽器でしかない女であることについて、恐れつつも語らずにいられなかったチェチリアには、もっともっと傷ついても、大胆に踏み出してほしかったのに。最後の決断は自由をもとめての出発というよりも、ふたたびの逃亡のように感じられる。その先に光は感じられないままなのだ。
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(2012.03.10読了)(2012.03.02借入)
イタリアのヴェネツィアを舞台にしたヴィヴァルディ(1678~1741)がいた頃の小説です。
長年の経験から、物語を読むときは、最初の50頁は我慢してがんばらないと面白い物語かそうでないかが分からないまま放棄してしまうことになることはわかっているので、この本も我慢して読みました。
全く最初の方は、一体これは何だ?借りる本を間違えたかな?と苦闘してしまいました。
読み進むうちにだんだん様子が分かってきましたが、舞台がどこなのか(なんとなくヴェネツィアかなとは思いました)、アントニオ神父というのは誰のことなのか、ということは、「著者ノート」「訳者あとがき」を読んで初めて知りました。
この本のテーマの一つは、「人生における音楽の果たす役割り」なのではないでしょうか。クラシック音楽の好きな方、ヴィヴァルディの好きな方、ヴェネツィアの好きな方、等にお勧めです。
●題名(178頁)
タイトルの『スターバト・マーテル』(Stabat Mater)は、十三世紀の詩人ヤコポーネ・ダ・トーディの作とされる聖母讃歌で、「スターバト・マーテル・ドロローザ」(ラテン語で「悲しみに暮れて母はたたずんでいた」の意)と始まり、十字架のもとでの聖母の悲しみを思う内容である。現代にいたるまで数えきれないほどの作曲家が曲をつけている。パレストリーナ、スカルラッティ、ペルゴレージ、ロッシーニ、ドヴォルザーク等による多数の作品があり、ヴィヴァルディもこれを作曲している。
●ピエタ養育院(174頁)
親のいない何百人もの少女たちが尼僧たちに守られて暮らす施設、その少女たちを演奏者とする楽団、そしてそこに赴任してくるのがアントニオ神父となれば、物語の舞台は十八世紀のヴェネツィア、アントニオ・ヴィヴァルディが教師兼作曲家として所属していたことで知られる、ピエタ養育院である。
●ティツィアーノ・スカルパ(177頁)
ヴィヴァルディの活躍の場であった「ピエタ」は、多くのヴェネツィア人にとって、産科としても馴染み深い場所である。私立病院の産科が一時期この建物にあったからで、本書の著者ティツィアーノ・スカルパも1963年にここで生まれている。
●神の子(44頁)
わたしたちはみな神の子なのだと言われているのを、子供の頃は本気にしていました。まわりを見て、わたしの仲間―小さい女の子や大人の女性―を見て、シスターたちを見て、みなすべてあの方が、直接ご自分の手でおつくりになったのだと、信じ込んでいました。そして、新しい女の子がすっかりできあがると、すぐに養育院の受け入れ窓口の壁のへこみに置くのだと。
●音楽は下へ(59頁)
わたしは音楽は下へ落ちるのだと思います。わたしたちは高いところから、地上何メートルかの、教会の両側面の壁にあるバルコニーの高みから、演奏します。音楽は重たくて、下へと落ちるからです。わたしたちは演奏を聞きにくる人たちの頭の上に、音楽を注いでやります。彼らをわたしたちの音楽の中に沈め、音楽でその息を詰まらせるのです。
●養育院(75頁)
まだ子供の頃から、才能があるか見るために、わたしたちは歌わされ、楽器をもたせられます。声が出ない子や、楽器の演奏に向いていない子は、縫い物や料理、そのほかの仕事を覚えることになります。最も見込みのある娘たちは歌い、演奏し、写譜をし、こうして音楽を奏でたり音楽を紙の上に再現したりできるように教育される。音の調和、インクの調和を学ぶのです。
●文字が音符に(111頁)
あなたにお便りを書いていると、自分でも気がつかないうちに、文字が音符に変わっていくのです。文章は旋律になり、ひとつの言葉にはその伴奏がつきます。自分でも驚くことに、紙の上で自然に音楽になってしまう。話として生まれた考えを書き写していくうちに、それが音になっていく。
●四つの協奏曲のための詩(124頁)
春が来た。小鳥たちはさえずり、嬉しそうに春に挨拶する……。
空気が澄みわたる。小鳥たちは忘れていた歌を取り戻す。氷は解け、水はもう形をとどめない
牧夫は山羊のかたわらにうずくまる。犬は遠くの何かに向かって吠え立てる。牧夫たちはぎこちない踊りを披露する
息もできないような暑さ。カッコウが鳴いている。キジバトが仲間の鳴き声に応え、ゴシキヒワが間に割り込む
遠くから雷雨が近づいてくる。北風が吹いて、何もかも台無しにしてしまいそう。若い農夫が悔しさに涙を流す
そこら中を飛びまわる蝿。嵐がやってきた
農夫たちが歌い踊る。この農夫は飲みすぎたよう。ふらついて、挙げ句は立ったまま眠り込む
獣が逃げ惑う。銃、犬。獣は傷を負って息絶える
吹き荒れる嵐。足踏みをして体を温めるが、体が震え、歯は自然とガチガチ鳴る
雨が降る。大雨になった
用心して氷の上を歩く。すべって転び、体を打ちつける。足の下で、地面にひびが入る(文脈からすると「氷にひびが入る」とするのが妥当かと……。)
あちらこちらから凍てつくような風が吹きつけてくる。みんないっぺんに
●言葉(138頁)
自分の中に感じていながらも識別できないことの、どんなに多いことか。それも、それらをどう呼んだらいいか知らないがために!
●アントニオ神父の音楽(143頁)
神父は自分の気分をすべて音楽に置き換え、人に聞かせ、人々は熱狂する。高揚する人、感動する人、涙を流す人。人々は、自分たちの幸せ、あるいは悲しみといった感情を、どうしてアントニオ神父がとらえることができたのかと驚きます。でも神父は、ありきたりの自分の心の動きを売っているだけなのです。
●結婚を拒む代償(158頁)
「音楽を代償として。陶酔するような音楽を弾かせてあげよう。きみは人々の魂を根底から揺さぶるだろう。魂の根底、つまり我々の個が溶けて、宇宙のおののきと共鳴する、あの一点だ」
(2012年3月10日・記)
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ベネチア生まれの作家。スターバト・マーテルは悲しみの聖母の祈りという13世紀の聖母賛歌。
ビバルディがピエタ養育院で少女達に音楽を教えていた、という史実をモチーフに、孤児チェチリアの母親への手紙、死との対話、原罪、そして母親の出産になぞらえる養育院からの旅立ちが、ビバルディの作曲する四季をはじめとする作品の響きの中で描かれている。
へその緒をヘビがかみついている、とする描写はヨーロッパの伝統の中にあるのだろうか。芥川賞受賞作品にありそうな肉体表現で、アントニオ司祭(ビバルディ)が登場して話が動くまでは辛かった。
視覚的な象徴が多く登場し、このまま映画になりそう。ベネチアの歴史やキリスト教の教義の知識があれば、理解が深まるのだろう。
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題名は、ヴィヴァルディの曲名。
マーテルとは聖母のことで、13世紀に書かれた「聖母の悲しみの祈り」という詩に、多くの作曲家が曲を付けているそう。
18世紀ヴェネツィア。
アントニオ・ヴィヴァルディがいた頃を舞台に、ピエタ養育院で育った少女が主人公。
尼僧院付属で病院もある養育院。
壁のくぼみに、育てることが出来ない赤ちゃんを置いていけるというシステムがあり、何百人もの孤児が育てられていた。
音楽教育が盛んで、向いている者は高度な教育を受け、教会で演奏したり歌ったりしていた。
チェチリアという少女が、眠れぬ夜に、自分を捨てた母へのせつない手紙をめんめんと書き続けるという形で、暗い文学的独白で進むため…
途中、ちょっと棚上げしてました。
「私たちは神様の子ども」という尼僧の説明を真に受け、神様が直接作ったのだと思っていた幼い頃。
聖母マリアはキリストの母だと知るが、それでもキリストだけなのかと思っていた。
深夜のトイレで出産する女性の後ろ姿を目撃、後にその意味を知る。どういう事情あってか妊娠を隠し続けたのだろう。自分もそんな風に生まれてきたのだろうかと思いめぐらす…
才能豊かなだけに神経過敏な少女。
赤毛の司祭とあだ名されるアントニオ・ヴィヴァルディが赴任してきて、ヴァイオリン指導と作曲を担当して、名声を博することになる。
その独創的な指導と楽曲に、目を開かされるチェチリア。
だが幼さの残る世間知らずな娘達を相手にして、強引さも感じる…
躾の行き届いた従順な娘として、いずれは誰かの結婚相手に望まれ、音楽を捨てて去っていく娘達。
ヴィヴァルディはチェチリアが残るように望むが。
チェチリアの選んだ道は?
後半はぐいぐい意外な展開で、鮮烈な印象でした。
ヴィヴァルディはほんとにこんな指導をしたんでしょうか?
明るくはないけど、なかなか面白かったです。
この時期を舞台にした作品は(研究書も含めて)多いのだそうで、魅力のある設定ですよね。
作者は影響を受けないように、出来るだけ創作は読まなかったとか。
「青空のむこう」「夏天の虹」という順番で読んだため、いやどっちもすごくいい話ではあるのですが~「青空のむこう」は男の子が死んだ後の話で、「夏天の虹」は大好きなシリーズで江戸時代の料理屋の話ですが、辛い別れが出てくるので…
この導入部は暗くて、すぐにはちょっと無理で。
気持ちがほぐれるのを間に何冊も入れてから読みました。
読み出せば一気でした。
とくにヴィヴァルディが登場してからは、文章にも展開にも独特な勢いがあるのです。
作者はかなりユニークな人のようです。
日本に興味があるのか?取り上げた題材には日本の漫画もとんでもない役割だけど登場していたり。
この作品はまだ大人しい方のよう?
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2008年原著、現代イタリア文学の翻訳である。基本的なお話はチェチェリアという孤児の少女がピエタ修道院でヴィバルディと出会って、自分の人生を生きるために修道院を脱出する話である。前半は自分の母に出す当てのない手紙をつづっていくという内容で、ときどき「死」との会話も挟まれるている。チェチェリアは「自分のために作曲された曲を弾いたから妊娠したのではないか」と思うような純粋さもあるが、自らの出生を呪っているから、いつか排泄物が産声をあげるのではないかと恐れているような17歳の女性で、地獄のような内面を生きている。ヴィヴァルディの音楽をペテンと軽蔑しつつも、惹かれていくが、彼女の才能を独占しようとするヴィヴァルディから逃れるために、旅立たねばならなかった。フィクションで作曲の年代などが面白いようにいじってあるらしいが、著者は現代では病院となったピエタ修道院で生まれており、当時の演奏会の様子を詳しく書いている。孤児の娘たちの演奏は聴衆のベランダで行われ、顔がみえないように細かい金網で遮られていたそうである。
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ヴェネツィアの孤児院に捨てられた少女がバイオリンで自分を得ていく。もちろん、ヴィヴァルディが下敷きになっている。クラシック音楽好きの方へ。