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前半は木村政彦という人間、その豪快な性格に惹かれる。<三倍努力>を信条とし、誰よりも練習の鬼と化したそのひた向きな性格に惹かれる。読みながら、まさか!と言ってしまいそうな信じられないような練習方法を毎日のように繰り返していた。そして、力道山が登場して以降。本書の物語としての魅力が圧倒的に増しているのに気付かされる。もちろん木村政彦という男の存在にも惹かれるが、在日朝鮮人という出生でありながらそれを隠し日本国民のヒーローになった両面性、さらに国民的ヒーローとしてファンの声援に優しく応える一方、弟子や周囲の支援者に対しては徹底的に冷徹に、<他人を信用するということを知らなかった>という両面性、その2つの矛盾を抱え込んだ力道山という存在に読みながら強く魅かれずにはいられなかった。本書では力道山と木村政彦による巌流島決戦を<戦後日本の総決算>と呼んでいるが、力道山個人の中にも戦争によって生み出された在日朝鮮人問題や戦後の貧しさといった問題が、魑魅魍魎の如く渦巻いているのだと感じた。そこらへんはドキドキしながら読み進めた。ラストの美しい師弟愛に感動!!
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長編だが、それを感じさせないぐらい引き込まれる。
作者の膨大な取材量と熱意が読んでいて物凄く伝わってくる。
木村政彦の練習量とリアルへの拘りは、格闘家としては凄まじいモノがあったが、力道山のブック破りで己のアイデンティティを失ってしまうあたりは読んでいて胸が痛い。力道山の契約違反(ブック破り)が許しがたい。
その苦しみを背負いながら、生きていく姿に自然と涙がこみ上げてくる。
面白すぎたので、きっといつか読み返すと思う。
そして、最後の地下格闘技の話が気になる。本当なのか。リアルバキじゃないか。驚愕。
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年末年始に実家にあったので。
前々から読みたかったんですが、何しろ二段組で分厚いから、挫折も考え購入は控えていたんですが、もっけの幸いでした。
泣けますねえ。
実家で親といたから何度となく涙流しそうになるのをガマンするの大変でした。
様々な視点で楽しめるので、総合格闘技好きはもちろん、良質なノンフィクションを読みたい人、戦前戦後の日本をもっと知りたい人、骨のある良書を読みたい人・・・。落ち着いた読書をしたい人なら誰でも楽しめるかと。
この本を出現させた著者の木村への愛とこだわりにうち震えます。
泣きたい時、読みます
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木村政彦はプロレスの舞台に上がるべきではなかった。
力道山とのプロレス選手権試合に望んだ時点で木村の負けは決まっていたのではないか。
それは総合格闘技ではなくあくまでもプロレスなのだから。
「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」とまで讃えられた柔道の鬼、木村政彦の世間評価を貶めたプロレスを許せない。
卑怯者の力道山が時代の寵児として崇められている事実が許せない。
これが木村政彦と力道山の一戦について率直に思うことです。
せめてもの救いは牛島辰熊、木村政彦と受け継がれた本物の柔道が岩釣兼生に受け継がれ、
そして現在も拓大の伝統として生き続けている(であろう)ことでしょう。
本書により木村政彦という愛すべき最強の柔道家がいたことを知れて幸せです。
多くの人に本書を読んでもらいこの事実を知って貰いたいと思いました。
木村氏、拓大の関係者、さらには柔道の携わる人々にとってはそれがせめてもの救いになるのではと。
少なくとも私は忘れないでいようと思う。
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書籍として高くて、分厚い本で、しかも1ページ上下二段です。買うときは躊躇しますが、読み終わる頃にはそれらが、何の苦にもなりません。
あ、本が重くて通勤で読めないのは苦です。就寝前の楽しみですね。
人間はどこまで凄まじいことができるかを知ることができます。
柔道家木村の凄まじさ、師匠牛島の凄まじさ、グレイシー一族の誇りの凄まじさ、力道山の成功への思いと策謀の凄まじさ・・
悲哀を伴う話ですが、最後の天覧試合後の誇らしさ・照れ・達成感のある師弟の写真にとてもジーンときます。
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素晴らしい本。
明治から始まる柔術から柔道への進化(少なくとも嘉納治五郎の時代は)、柔道が体育として成形されていく過程で失っていくもの、更にそのリバウンドから産まれる木村政彦という稀有な結晶。
強さとは何かを純粋に追い求めることが出来た時代から、時代や文化ぎ変わるにつれて、その結晶が揉まれ鈍り、またある意味では研磨されていく過程。研磨されていく過程に現れる力道山や大山倍達などの「偉人」。
戦前、戦中、戦後の格闘史というだけでなく、政治の裏歴史であり、在日朝鮮人の裏歴史である。
歴史に翻弄された人々という見方もできるし、歴史を上手く泳いだ人物や組織の群像劇とも読める。非常に多層的で、重厚な物語。
少しでも格闘技が好きな人は必ず愉しめる作品。お勧めです!!
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評判の増田俊也著『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)を読んだ。2段組700ページの大著。友人が貸してくれたので読み始めたものの、そもそも木村政彦を知らなかったし、最後まで読み切れるとは思わなかったが、結局、途中でやめることができなかった。
柔道史上最強と言われる木村政彦(1917年生まれ)は、1937年から全日本選士権(当時は「選士権」)3連覇、1940年の天覧試合(当時は国を挙げての大イベント)でも5試合をすべて一本勝ち。1942年に兵役で柔道を離れるが、復帰した1949年以来、全日本選手権13連破というから半端ではない。
そんな誇り高きサムライが、戦後の窮乏期、まずプロ柔道に参じ、そしてプロレスに転向する。紆余曲折を経て力道山との対戦が決まり、全国民注視のもと、「昭和の巌流島」を闘うが、無惨な敗北を喫してしまう。引き分けにするという事前の了解を力道山が破り、身体を開いて空手チョップを待っていた木村をめった打ち、めった蹴りにしたのだった。しかし木村は、真剣勝負と信じている国民に対し、事前の約束を反故にした力道山の非を言い立てることができない。
この一戦後、戦後復興のシンボルとなってスター街道を歩む力道山に対し、木村は屈折した思いを抱えて生きることになる。再戦を望むが果たせず(力道山が受けるはずもない)、かつての師の計らいで指導者として再び柔道の世界に戻りはするが、国民的尊敬を集めたスターの晩年としては、いささか寂しいものであったことは否めない。
この本は、柔道界の英雄が「力道山に負けた男」という単層的な見方で記憶されることを許せないノンフィクションライターが、木村復権のために書いた本である。木村の人生を克明にたどり、プロレス転向の背景や力道山との因縁の一戦の真相に迫っている。一次資料をとことん探し抜いて事実を検証しようとする姿勢、事実と推測の明確な区別、力道山についても公平に書こうとする姿勢が、本書に信頼性を与えている。構想18年、『ゴング格闘技』での連載3年7カ月、執念の労作だ。
ただ、真剣勝負を挑んだはずの木村が、プロレス方式の試合をなぜあっさり受け入れたのか、肝心とも思えるその点が見極め切れていないように思えてならない。第27章、とくに532〜35ページが、どうしてもストンと納得できない。どんな些細なこともゆるがせにしない本書は、どこを読んでいても、ふと浮かぶ疑問がすべて次のパラグラフで説明されるという快感を味わえるだけに(だから最後まで読めた)、釈然としない思いが残る。私の読みが浅いのかもしれないのだが……。
YouTubeでMasahiko Kimuraと入れて検索すれば、力道山との対戦を観ることができる。私も観てみた。素人の感想だが、木村からは史上最強の柔道家のオーラは感じられず、最初から真剣勝負であっても木村が勝ったとは限らないのでないかと思った。著者はこの動画をさまざまな柔道家や総合格闘技家に見てもらい、語られた感想を文字に起こしている(技術論に興味がある読者には本書の読みどころのひとつかもしれない)。「真剣勝負なら木村が勝っていた」という確信を得たい著者の意図に反して、さまざまな意見が語られるが、すべて包���隠さずに紹介されている。
著者の意識は木村の人生を鋭く二分する力道山との一戦に向けられているとしても、「力道山に負けた男」という単層的な見方に反論すべく書かれた本書は、当然ながら、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」という単層的な問いに終始しているわけではない。
・柔道技術の変遷(打撃禁止、関節技禁止、寝技軽視)
・異なる柔道観による主導権争いと講道館支配
・戦前の柔道の存在感と柔道家の社会的ステータス
・戦後GHQによる武道禁止と柔道のスポーツ化
・武術性を受け継いだ外国柔道(ヘーシンクに象徴される)に敗れた日本柔道
・グレイシー柔術と柔道の深い関係
・戦前戦後の日本の裏面史と世相
・興行ビジネスと闇社会および政治の関わり
・プロレスの不文律
さまざまな情報が詰まっており、どの観点から読んでも読み応えがある。
さて、最後に——木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか。
それは、ブック(台本)ありの試合を受け入れてしまった己の失敗を認めたから。
だまし討ちであったとしても、負けは負けと認める矜持があったから。
良き妻に恵まれた良き人生であったと、最後のところでは受容していたから。
これが700ページの大著から読み取った私なりの答えである。それにしても武道家には熱い人が多い。著者も元柔道家である。
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もうずいぶんと前に読み終わったのだけど、詳しいレビューは再読後かな。それくらい内容が濃くて面白かった。文句なしに昨年のナンバーワン。
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まじで面白い。作者の極端なまでの木村政彦愛、プロレス(力道山)への恨み、講道館に対する憎悪が全編にわたって感じられます。ジャンルを問わず格闘技好きな人は必読の書です!!!
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厚い本ですが、熱いです!
全700ページもあるのでお勧めしにくいのですが、一読の価値ありです!
日本の裏側であんなことがあったなんて知りませんでした。
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木村政彦という一人の武道家を軸とした武道・格闘界の歴史を綿密な取材で描ききっている。
長いので、最初と最後だけ読んでおこうと思ったら、最後を読んでいて、いや、これはマナカランスタジアムの対エリオグレイシー戦のところも読まないといけないと、戻り、結局、やっぱり全部読まんとあかんわと読んでる最中の一冊です。
日本の武道・格闘界の歴史を書いているから、すごく膨大なサイドストーリーがあり、読み応えがあります。
そして、泣けます。
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正確に言うと読み終わってないです。
何ページあるんだ?700ページですね。
もともとは格闘技専門誌に連載されていたものをまとめた本です。
毎月小分けに読む分には良いかもしれないけど、これをまとめて読むのは、よっぽど格闘技(総合・柔道など)の好きな人でないと無理ていうか、あきるでしょう。あきました。すみません。
ポイントポイントで臨場感あふれる木村政彦を始めとする怪物たちのエピソードがあっていいんだが、昔々の星取表を延々見せられても、困る。
このあたりは再編集の対象かな。
あと、わざとか?と思うような定型句の誤用が目立つ。
明治から昭和にかけての世界なので、こういうのは白けるんですよ。
ただでさえ神秘性の中に語られる達人の世界なんで。細部が正確でないとね。
著者の若干恣意的な部分も感じる木村政彦最強説。
他の人へのインタビュー(つまり他人に語らせているのだが)の抜き書きで、ヘーシンクもルスカも山下もヒクソンも木村の敵ではないそうだ。
それを検証するための大著とも言える。
写真資料が結構沢山あります。確かに全盛期の木村政彦の写真は、当時とは思えない筋肉量。
有名なエピソードで、試合前に己の覚悟を試すために刀を突き立てて切腹の予行演習をしていたというを読んだことがある。
だけど、この筋肉量では致命傷を与えるのはむりなんじゃないかと思う。
あと、このタイトルがちょっと。
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柔道家・木村政彦の生涯を力道山との試合を軸に描きつつも、読めば柔道やプロレスなど格闘技の歴史を知る事のできる一冊。
格闘技ファンとしては、リアルタイムで見たかった試合続出で、ドラえもんがいたらなぁと・・・
結局木村は力道山では無く、あの試合で油断してしまった自分自身を許すことができなかったのだろうと思った。
そして、どんなに素顔がクソッタレ野郎でも、やっぱり力道山はプロレスを世間に広め、おもしろくしたんだから、いいんじゃないかと。
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木村政彦さん、この本を読むまでは強い柔道家の1人くらいに思っていました。柔道だけでなく世界最強の格闘家だったということが、この本では凄まじいエピソードと共に語られます。にわか格闘技ファンになります。700ページの厚みを感じずにひきこまれて読みきりました。
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ノンフィクションはさほど読まず、ましてや格闘技系には興味はないのだが、この本は面白かった!
「力道山に負けた男」としか、伝わっていない木村政彦の全貌をあますところなく描いた、渾身のルポルタージュである。
木村という不世出の柔道家を描くだけでなく、その師匠である牛島そして弟子の岩釣という三代の絆の物語でもあり、それ以上に明治以降の柔術・柔道の変遷の俯瞰図であった。
木村の強さ、凄さを描くとともに、悪童ぶりや能天気ぶりも描き、力道山に負けたことを消化しきれず、内部に矛盾と葛藤を抱えながら生きた男の生涯の光と影を描き切っている。
それにしても、写真で見る木村の身体の凄いこと!まさしくゴリラのような身体。
そしてトレーニングの凄さは、笑ってしまうほど。
警視庁に朝十時から出稽古
昼食を食べて拓大で3時間
夕方6時から講道館
その後深川の義勇軍道場
牛島塾に帰るのが夜11時
夕食をかき込むと、ウサギ跳びをしながら風呂に行き
ウサギ跳びで帰ってくる。
すぐに腕立て伏せを千回やって
そのあとバーベルを使ったウェイトトレーニング
巻き藁突きを左右千回づつ
さらに立木への数千本の打ち込み
寝床に入るのが午前2時ころ
スゲエな、人間わざじゃないぞ(@_@;)