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イタゴラスイッチと 歌いながら読んでいました。 暮らしの手帳の雑文ですか? アナグラムは シラク・ド・ウチョウテ ですね。
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なんということはないエッセイだが,味わい深いものもあったりする。
2012/02/25図書館から借用;直ぐに読み始めたのだが,エッセイ集なので中断を繰り返して,3/10読了
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さすが佐藤雅彦さん!という本だった。
「佐藤可士和の整理本」みたいなかんじなのかなーとおもったら、
軽いエッセイ的な感じ。
でも、読んでいくと佐藤さんのつくったものらしく、
だいたいにかわいいオチがついてて。
そして、読んでいくとさいごのあとがきにあった
「考えをたどっていく」という表現がぴったりの本だった。
これが連載なのも納得。そして、このタイトルもピッタリだった。
やっぱり、この人とてもおもしろい。
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エッセイ風の軽い語り口ではじまるが、筆者独特の視点で語られる『最近ふと考えたこと』が非常に含蓄がある。
多くを語り過ぎず、シンプルでありながら読者に文章以上の多くを問いかけてくるこの本は何度も読み返したくなる類の本。
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ちょっと視点を変えるとガラリと世界が変わる。そこから日常に潜む世界の謎にせまる。ICレコーダーを冷蔵庫に入れるイタズラの話は秀逸。
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息子が小さいころから好きだったテレビ番組の
「ピタゴラスイッチ」の企画監修されている人の著書だということで
読みました。
藝術大で教鞭をとられているということで
なかなか面白い視点で語られているエッセイだと思いました。
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思考やひらめきをわくわく具現化する天才だなこの方。(「・ω・)「
ちょっとした日常の中での発想や着眼点が逸材*おもしろくて一気に読んでしまった◎
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普段から佐藤雅彦ウォッチャーな人には目新しい感じとかはなかったのかもしれないが、まさにタイトル通り、
こんがらがった頭をちょっとずつほぐしてくれる内容。
暮らしの手帖というフィールドもよく似合っていたのかな、と感じてる。
デザインとは、よりよく生きようとすること。アートとは、生きることを考えること。
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考え方の整頓。
興味のあるタイトルだったので読んでみました。
色んなエピソードから、筆者の思ったこと、考えたこと、感じたことが書いてあるが、タイトルを念頭に解釈すると、この本は、「様々な事象に対し、どう考えるのか、考えたのか」を筆者の体験の元書かれていることがわかる。
「こんな時、どう考えますか?
私は、こう考えました。」
この本からそんなメッセージを感じつつ、考え方を学びました。
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いろいろと興味深い角度から物事を観察していて楽しめました。
さっそくブラームスの交響曲1番を引っ張り出して聞いています。
揺れる船に乗るのはは大嫌いだったけど、次が待ち遠しくなりました。
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「この文章には、ものごとの輪郭を辿っている面白さがあります。突然ものごとの核心に行くのではなく、その輪郭を歩きながら、考えていることを文章にしているように感じます」あとがきに載っているこの言葉がいちばん的確だと感じました。
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物事は常に核心となる部分だけに本質があるのではなく、その周縁にも種はちりばめられている。
何かを導くための過程にも面白さはあると思った。
デザインはよりよく生きるためのものであり、アートはなぜ生きるのかということ自体から考えるということが面白い。
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わたしは、思ったこと、感じたことについて「なぜ」そう感じたのか、ということを突き詰めて行くことが、正直あまり得意ではない。
直感的なタイプだと思うし、タチの悪いことには、その直感に根拠なく自信や確信をもっているようなこともある。
が、佐藤さんはきっと違う。仕事に関しても、日常の生活の中でさえも、自分のこころの反応を、1ミリたりとも見逃さないし、それについて、とことんハラオチするまで考え抜く。
その発想力は、きっとそこに裏付けられている、気がする。
純粋にエッセイとしても楽しい面白い本です。
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「~と思い込み」『外界の状態に合わせて、自分の状態を変化させ』ているセンサー(有限状態遷移機械)のくだりは、子供の頃に持っていた感覚を思い出し懐かしい気持ちになった。
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「混沌とした日々の中できらめく、気づきと思索」
―― 帯に書かれたこの言葉が、まさにぴったりな佐藤雅彦の考察集。
雑誌「暮らしの手帖」に連載されていた記事をまとめて1冊にしています。毎号、連載を追っかける必要がないのは助かるのだけど、佐藤雅彦のエッセイの面白さって、雑誌や新聞のページをめくって「あった!」と見つけて読む行為そのものに、醍醐味があるのかも!と改めて発見。
昔、毎日新聞で連載していた「毎月新聞」しかり、今はなき「オリーブ」の「プチ哲学」しかり。
それはふと散歩に来た川の流れの中に、キラっと光る小石を見つけるみたいな、本来の目的とは違う寄り道みたいな、不意打ちで、はっと意表をつかれる真理に出会う楽しみみたいな。新聞や雑誌の1ページに載る短いワンテーマのコラムは、膨大な情報量の中に打たれた、一本のくさびのようだった。それは佐藤雅彦が繰り返し書いている「気づき、発見のオドロキ、ヨロコビ」にすごく合っていたのだと思う。