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新政府総理大臣・坂口恭平トークショーにて
新政府総理大臣であられる坂口恭平さまのトークショーの対談相手として、坂口総理の支離滅裂かつ同じところをグルグル地球ゴマのように回り続ける話を的確なツッコミと相槌で見事に面白トークショーに仕立て上げたその手腕に惚れ込みました石川直樹先生。本職は冒険写真家なのですね。本書は石川先生が初めての空の冒険。気球による太平洋横断を「最後の冒険家」神田道夫に連れられてチャレンジし失敗したその過程と神田道夫本人を描いたノンフィクションでございます。
最後の冒険家
とは申しましても「なぜ失敗したのか」「どうやって生存したか」といった部分への言及は本書の半分以下に過ぎません。そう本書のタイトルを思い出して頂きたい。「最後の冒険家」でございます。つまり、本書はその最後の冒険家である神田道夫を石川先生が描いた作品なのであります。もちろん共に経験した太平洋横断がベースになっていることは間違いないのではございますが、人間が行ったことがない場所はないと言われるまでになった世界において、なぜ石川先生は神田道夫を最後の冒険家と呼ぶのか。そこに本書のすべてがあるように思えてなりません。
本文を読んで頂いております奇特な読者の皆さまにおかれましては本書を通読し幼き日に置き忘れたあの冒険心を一部でも取り戻して頂ければ幸いでございます。
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2008年2月、熱気球による太平洋横断中に消息を絶った冒険家、神田道夫氏を描いたノンフィクション作品。
神田氏と著者の石川氏は、2004年に一度太平洋横断に挑戦している。しかし、気球本体の損傷により失敗、日本から1600kmの太平洋上に着水してしまう。運よく付近を航行していたコンテナ船に救助されたが、神田氏はその船の中で次の計画を立てていたというエピソードに驚かされた。
石川氏も本書の中で書いているが、熱気球での太平洋横断という危険な挑戦の割には、少し楽観的過ぎたのではと感じた。救出された1回目は密閉式のゴンドラを使用していたが、行方不明となった2回目は普通の籐のゴンドラを使用しているのだ。
命をかけた冒険などと言うと聞こえは良いが、神田氏には奥さんも子供も孫もいて、給食センターの所長と言う定職もあったのだ。冒険などした事もない自分が言うのも、全くおこがましいのは重々承知しているが、あと少しだけ確実に生還できるための準備はできなかったのだろうか。
気球による冒険は失敗する事の方が多いらしい。
“だからこそ生きて帰らねばならないのだ。生きて帰ればまた挑戦する事ができる”
という石川氏の言葉が印象に残った。
神田氏の3度目の挑戦を見られないのが非常に残念である。
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絶対に成功するとわかっていたら、それは冒険じゃない。でも成功するという確信がなければ出発はしない。前人未到の地など今や地球にはないが神田道夫の挑んだものはまさに冒険だったと強く印象付けられた。一緒にチャレンジした冒険家だから書けるノンフィクションというより手紙。
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ずっと前から読みたいと思っていて忘れていて思い出してやっと読んだ。気球冒険家のお話。なんで気球なのかはわかんないけど、感動した。男の生き様を見た。プロ冒険家ではなく公務員兼の著者の師匠、神田道夫の軌跡。記録を打ち立てる事に対する執念、野性的なカン、行動力。冒険とは男の子が憧れる言葉だけど実際は試練であり苦悩に満ちている。なにもそこまでしなくともという事をやらないと冒険家ではないんだな。生ぬるいサラリーマン生活を送ってる自分には良い刺激となった。
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なんでわざわざ危ない気球なんて乗るんだ。大怪我もしてるのに…と思いながら読みましたが、そういう人たちには睡眠欲、食欲、性欲の他に冒険欲が産まれながらにして備わってるんじゃないかなーという気がしました。久々ノンフィクションだったけど、フィクションを読んだ気分です。
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2008年気球での太平洋横断に挑戦し、気球ともども行方不明になった神田道夫。第一回目の太平洋横断に共に気球に乗り込んだ石川直樹が、その神田の気球に対する冒険をドキュメンタリーとして記した本。この世界にはもう新たな空白はどこにもなくなってしまった。未踏の地はどこにもない。だとすれば冒険とはどうすれば冒険と言えるのか、冒険家とはどのような人を言うのか。それを考えると題名の「最後の冒険家」が心にしみる。
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著者の石川直樹氏は、1977年生まれの写真家。2001年に、当時世界最年少(23歳327日)で七大陸最高峰登頂を成し遂げている(それでも本人は「自分は冒険家ではない」と本書でも語っている)。本作品は、2008年に出版され、開高健ノンフィクション賞を受賞。(2011年文庫化)
本作品は、熱気球(中軽量級)で、長距離世界記録、高度世界記録、滞空時間世界記録などを樹立した冒険家・神田道夫氏の、太平洋横断の挑戦を描いたものである。著者の石川氏は、2004年の初回の挑戦に副操縦士として同乗し、失敗して太平洋に着水しつつ神田氏とともに九死に一生を得たが、神田氏は2008年に単独で再挑戦し、失敗、行方不明となった。
通常の冒険ノンフィクション物は、自らの体験を冒険家本人が綴るもの(植村直己氏、角幡唯介氏など)とノンフィクション作家が描くもの(沢木耕太郎が、山野井夫妻のヒマラヤ行を描いた『凍』など)に大別されるが、本作品は、初回の冒険行で同乗しつつ、再挑戦においては、リスクがとれないとの自らの判断で同行を断念した石川氏が、「神田道夫さんに捧ぐ」として書いたものである点が、ある意味異色である。(神田氏の再挑戦が成功していたら、この作品は書かれなかったのではあるまいか。。。)
そして、本作品は、「冒険家」石川氏によるものだからこそ、神田氏の他人とは異なった冒険スタイル、神田氏の神田氏たる所以(魅力とも言えようか)が浮き彫りになっていると言える。初回の太平洋横断に失敗し、奇跡的に救助された船で米国に向かっている最中に、既に再挑戦のアイデアを口にする神田氏に対し、石川氏は、「冒険はリスクをどんなに減らしていっても、最小限のリスクだけは最後まで払拭できない。だからこそ、その行為は冒険といわれる。運も実力も必要だけれど、実力さえあればほとんど乗り切れて、あとの数パーセントを運に賭けるというの冒険ならぼくにも理解できるのだ。しかし、実力よりも運が試される比率のほうが多いのであれば、その遠征に参加すべきではないとぼくは考える。・・・というやり方は、神田らしいと言えば神田らしいのだが、ぼくは同意できなかった。彼の冒険に対する姿勢は、傍から見ると危なっかしいほどに攻撃的であるとともに感覚的で、だからこそ数々の優れた記録を残せたともいえるのだろうが、石橋を叩いて渡るという発想からはあまりにも遠く離れ過ぎていた。「楽観的」、少なくともぼくにはそう感じずにはいられなかった」と記している。
石川氏にして描き得た、「最後の冒険家」神田道夫氏の軌跡である。
(2017年6月了)
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めっちゃ面白かった!一気に読了!!
気球で太平洋横断ですが、記載内容から、気球自体が品質的・機能的に絶対アウトだし、計画に緻密性もなく、お金では決して変えない”命”を落とすリスクがあるのに実行するなんて狂気沙汰としか思えない。
しかしクルーは”冒険”を求めている。確実に目的が遂行できる計画自体、それはもはや”冒険”ではない。
自身アウトドアが好きで、クライミングや山スノボといった命を懸けた遊びをしてますが、0.1%でもリスクを感じたら実行を中止する。冒険は好きですが、好きなだけで、それをこなせる人間ではないなと。
登場人物の「神田さん」は絶対的に自分にないものを持っており、”すごい”といった言葉しか出てこない。現代社会で神田さんのような人物は煙たがれる人物の再筆頭だと思うけど、僕はそういったチャレンジャー側を圧倒的に応援したい、そんな気持ちです!
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気球乗りの冒険家 神田道夫の軌跡を描いたノンフィクション。恥ずかしい話、全く知りませんでした。
悪石島については、事実は小説より奇なり。
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文章がちょっと粗くてきになる。
読まなきゃ良かったとまでは思わないけど、わざわざ読む必要もなかったかなという感じ。期待していたけれど。
悪くいうと結局人の話を聞かないで死んだオジサンの話。
良くいうと命を懸けて目標に向かって生き貫いた冒険家の話。
でもこれが現実なんだろうなあ。
ファンタジックなハッピーエンドも、劇的な快挙もそうそうあるものではない、耐えて堪えてその先に成功があるとも限らない。けれどその過程は評価される。されるべきものである。
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"地理的な冒険が消滅した現代の冒険とは、この世の誰もが経験している生きることそのものだとばくは思っている"
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<目次>
略
<内容>
2008年2月。気球による太平洋横断飛行中に消息をたった神田道夫。これが二回目のチャレンジだった。著者はその一回目のチャレンジに同乗していた人物。このときは失敗後、航行中の船に助けられている。本はその話を中心に淡々と進む。行方不明になったチャレンジは、単独行なので、飛んでいる時の様子はわからないから、その前で話が終わり、終章は、一回目の時の気球のゴンドラが悪石島で見つかるところで途切れる感じだ。ちょっともの悲しいドキュメントだったかな?
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ヒマラヤの8000m峰に幾つも登頂したり、当時の最年少7大陸最高峰の登頂記録、北極点から南極点までを人力踏破した地球縦断プロジェクト「Pole to Pole」への参加など、写真家というよりも冒険家の一面があるように思える。
だが、石川さんは明確にそれを否定する。
「ぼくは自分のことを冒険家だとは思っていない。ある世界のなかで未知のフロンティアを開拓してきたわけではなく、まして前人未到の地に足を踏み入れたわけでもない。他人にもてはやされるような、いわゆる“冒険行”など、ぼくは一切おこなっていない」
その石川直樹さんが「最後の冒険家」と称した人物、それが熱気球で旅をした神田道夫だった。
高度世界記録、長距離世界記録、滞空時間世界記録と、さまざまな記録を打ち立ててきた神田道夫と、石川さんは自作の熱気球による二人での太平洋横断を試み、失敗した。
そしてその数年後、神田道夫は一人で再挑戦し、姿を消すことになる。
冒険家について書かれた至極の一冊。
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わたしも自分の人生を“冒険”したい。
些細な一歩でも、少しでも昨日と違う自分に踏み出せるなら、それは自分にとっての“冒険”であり、“生きている”ということなのだと、教えてくれた。
彼らの乗っていたゴンドラが漂着した悪石島にも一度足を運んでみたい。
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上空は寒い、酸素が薄い、気圧が低い。登山と違って、海抜〇メートルから一気に上昇するので体の負担は相当のものと思われる。
熱気球の世界ってのがあるんだなってことがわかった