紙の本
食人というセンセーショナルな内容がどう消化されているのかに注目しがちな小説だが、作家はところどころに、ぐつぐつ煮立つ鍋からもれる「香り」と「熱」のような心地よさで、分かり良く共感しやすい人生の摂理をまともに漂わす。食べたものを戻しそうになる気味悪さがあっても、咀嚼し、消化せずにはいられない。
2011/11/29 19:52
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分の心の奥底には、何か恐ろしいものが隠れている。その何かを飢え死にさせてしまえば、亡き骸が朽ち腐臭が漂い、生身の自分が心身健康では過ごせまい。だから、その何かをおとなしくさせ、人知れぬ場所でうごめき続けさせるよう私は時々こういう本を読むのだろう。
読み終えた後の「うえっ。気持ち悪かった~」というかなりの後悔に対し、自分を納得させるために見つけ出した答えが、こんなところなのである。
本書は、シックで居心地の良さそうなビストロの表紙写真とはうらはら、食人を扱った猟奇事件を含む小説。のっけから「セサル・ロンブローソが人間の肉をはじめて口にしたのは、生後七ヶ月のころのことだった。というのは母親の肉のことだ。女は彼に乳をやっていた」とくる。日々が楽しくさえあればいいというエピキュリアンなら、目もくれないたぐいの本だ。
うまくまとめられた帯の内容紹介には、「故郷喪失者のイタリア人移民の苦難の歴史と、アルゼンチン軍事政権下の悲劇が交錯し、双子の料理人が残した『指南書』の驚嘆の運命……」云々とあり、世界文学を愛好する者なら吸い寄せられてしまう「故郷喪失」「イタリア人移民」「苦難の歴史」「軍事政権」といったキーワードが散りばめられている。
では私は、キーワードのいくつかに惹かれたのか。その内容紹介の最後には、しっかり「猟奇的事件を濃密に物語る」と書かれていたのに……。
今年は、悲劇的な死のおびただしい報道に触れ、「物語の中のこと?」「映画の一場面?」と、社会や日常の信じ難い脅威に神経がさらされた。しんどかった。共感性が無駄に強いのか、生きていくことの困難、社会が動いて行く先の不安にすっかり疲れ、その疲れからまだあまり癒されないままでいる。
元気のなくなった人間というものは、そういうものだと思うが、温かそうなもの、楽しそうなものに安易に手が出せない。かといって、何も折も折、このように読み通す前から気分が鬱屈することが明らかな暗黒小説など読む必要はない。
「一行でごはん三杯は行ける」というような表現がはやっていて、言ってみればこれは、「一行でごはん三杯はもどせる」ひどい内容であった。何でよりにもよって、こんな本を買ってしまったのか。
読者が読み通そう、読み通そうと思って挑んでも、誰もが気持ち悪くなってしまい、結局誰も最後まで読み通すことのできない奇書が書けないものか。そんな考えが、以前頭をよぎったことがある。『ブエノスアイレス食堂』が扱っている中身はその線に達している。しかし、惜しむらくは、魅力的すぎる表現力と含意が読者の「挫折」の妨げとなっている。
系図片手に楽しむ家族の年代記で100年、200年を読ませるものは多い。けれども、ああそうだ、これは破格のクオリティを誇る絵本『百年の家』にどこか似ている。アルゼンチンの海辺の保養地、マル・デル・プラタに建てられたビストロを舞台に、その店を支えた何人もの料理人や家族たちの数奇な人生を追いつつ、アルゼンチンの20世紀の100年をも呑み込んだ一軒のビストロが、ゆっくりと時の流れを咀嚼する。
人が人を食べるという薄気味悪いものが書かれている。一番腹を減らし、一番人肉を欲していたのは、他でもないブエノスアイレス食堂に違いない。
センセーショナルな内容をどう消化しているのかに注目が集まりがちな作品だが、作家はところどころに、ぐつぐつ煮立つ鍋からもれる香りと温かな熱のような心地よさで、分かり良く共感しやすい人生の摂理をまともに漂わす。
例えば、次のような記述はどうだろう。
「人生というのは、こちらに十分な説明もなしに、蜘蛛の糸のようにいろいろなことをしかけてくる。私たちはまるで一歩前に踏み出したと思ったら、次の一歩を横に踏み出すかのようで、様々な出来事を前にして酔っぱらいのような歩みにならざるを得ない。そしてそれだからこそ、過去に向かって歩き始めると、多くのイメージが、まるで最初はばらばらだったのに、ゆっくりと繋がり合って響きが良くなる音の集まりのように押し寄せてくる」(P67)
この後も、素敵な文章が続くが、引用が長くなり過ぎるので自重しておく。
どういう人物なのか、その内面が十分に説明されないセサルその人の性癖や嗜好に、私の奥底に隠れている恐ろしい魔物は、どこか通じ合うのかもしれない。生き物が暴れ出し、生身の人を人道にもとる行為に突き動かすこともあるけれど、ノワール小説をエサとして与え、満腹感でおとなしくさせておけば、とりあえず表立ったところでの暴走は抑制できる。
「ほふれよ、お前」と投げ与えよ。
本来なら人知れずそっと隠しておかれるべき本があるとするなら、それが暗黒小説というジャンルであり、バルマセーダという人の書く作品なのかもしれない。
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《クレープ・レジーナ》といい《バナナのムース、パプリカ添え》といい、なにしろ美味しそうなんである。舌なめずりである。垂涎である。
《イカの白ワイン煮、ハーブと生姜添え》など、「皮を剝いて洗ったイカ、生クリーム、白ワインを1カップ、セロリの葉を少々、刻んでバターで炒めたタマネギ、ウコン、タイムの枝、それにアサム・カレー」という材料を列挙しているだけで、すでに香りがしてきそう。味がしみじみ予感される。
しかし、昨今流行りの料理系癒し小説(あげようとすれば、たちまちいくつもタイトルが並べられる)では決してないので、ご注意めされ!
後書きには「ノワール」「暗黒小説」などの言葉が並ぶ。とある家族の年代記でもある。
なんと言っても《イノシシの生姜焼き》の作り方と言ったら!
エロとグロとグルメは、同じものなのかもしれないね。
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ネタバレを恐れるわけではありませんが、内容について具体的に何か書いたら興醒め。
アルゼンチンの「ブエノスアイレス食堂」における数十年を舞台とした、イタリア人移民を祖とする長大な家族(といっていいだろう)の物語。
ではあるが……。
原題が、ものすごい(各自ご確認ください)。
第1章が、これまたすごい!
食堂で供されるなんとも美味しそうな料理の数々(詳細な描写)に食欲を刺激されながら、しかしそれでは終わらないということを、原題と冒頭がはっきり示している。
その予感に動かされて最後まで読む手が止まらない。
けれど、最後の章を、私はひたすら「哀しい」と感じた。
その哀しさがどこから来ているのか、それは自身に問われていることのように感じる。
「訳者あとがき」にあるとおり、邦題は意訳といってよいのだけれど、これは正解だと思う。
そこここの場面描写は、イタリアのフィルム・ノワールを観ているようだった。
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アルゼンチンの人気ビストロを舞台とした暗黒小説。
こってりしたアルゼンチン・ノワールの肉の中に、とりどりの素材がブレンドされたフィリングが詰まっている。個人的にはフィリングの方が好きだった。
本書の第1章が数ページだが、これがいわば、試金石である。この部分を読んで受け付けなかったら、読むのを止めた方がよいと思う。
裏表紙のなんだかとっちらかった雰囲気の解説を参考にするのもよいだろう。一読しただけでは何を言っているかよくわからないくらいなのだが、ある意味、本書の怒濤のような感じがよく出ているとも言える。
本書の一番の主役は若き料理人、セサル・ロンブローソである。冒頭を読み、タイトルを見れば、最後はどうなるのか、まぁ予想の範囲で、このストーリーラインには、個人的には恐怖を感じるというよりはうんざりした。この辺は個々人の好みで左右されるのかもしれない。
ただ、第2章以降、ブエノスアイレス食堂の成り立ちからセサルが再登場するまでが、多世代に渡る大河小説となっていて、これが抜群におもしろい。年代的にも行きつ戻りつする語りは理路整然からはほど遠いのだが、時代の奔流にあらがいつつ、あるいは流されつつ、それぞれがそれぞれの濃い人生を生きていく物語が心地よい。時折ちりばめられる極上の料理たちが彩りを添えている。
楽しい話ばかりではないのに、うねるような勢いに気持ちよく流されるカタルシスがある。
自分としてはセサルの部分がない、真ん中だけの本が読みたかった。それじゃ今ひとつパンチに欠けたのかなぁ・・・。
いずれにしろ、こうした物語が生まれる土地に住むのは体力がいりそうだ。
本書の料理もたまにはいいけど、毎日は食べられそうもない、薄味好きの自分であった(^^;)。
*肉の部分→昔見た映画『コックと泥棒、妻とその愛人』も「げー、そこまでやるかよー」とうんざりしたんだよなぁ・・・。久しぶりに思い出しちゃった。
*フィリングの部分→ガルシア・マルケスも久しぶりに読んでみたいなぁ。
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私にとっての今年の最高の本。
これ程に五感が自然に働きながら読んだのは初めて。
原題で無くブエノスアイレス食堂であったから、最後の哀しみが肉塊の様にいつまでも残った。
柳原氏の訳が素晴らしい。
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アルゼンチンにあるブエノスアイレス食堂の歴史、美食に情熱を燃やして来た料理人たちの歴史を淡々とした調子で語るはなし。
カニバリズムの描写が素晴らしくて、という評判を聞いて手に取ってみたが、読了してみても素晴らしいとは思えず。
結末にカニバリズムが出てくるが、ホラー効果としての不可解なカニバリズムで終っているように思う。
カニバリズムに何を求めるかは人それぞれだが、少なくとも主人公の意識にとっては、手段としてのカニバリズムだったようだ。
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いやはや凄い小説です。
”暗黒小説の名にふさわしい”と書いてありますが、
やはりそこはラテン文学。
ただぞっとさせるだけではないところが魅力です。
おぞましい光景の描写の後、
舞台は1910年代にさかのぼり、
ブエノスアイレス食堂にまつわる人々に起きる様々な出来事を描きつつ、
冒頭の出来事に迫ります。
美味しそうなアルゼンチンの料理の描写、
そして、ぞっとするような食人の描写、
読んでいて色んな意味で内臓をつかまれたような気分になる、
そんな小説です。
とはいえ、ここまであれこれ褒めていますが、
内容は過激なため、たぶん僕が現実世界でだれかに紹介することはないだろうなと思います。
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官能的なまでに美しい食の饗宴。苦手な人は受け付けないだろうが、好きな人は絶対にのめり込む作品。最近で一番良い作品だった。
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ううん面白かった!最近では一番、かな笑 いろんな意味でおなかすいてる時に読んではいけない作品。料理の描写が本当に美味しそうで、その語り口のまま後半どんどんおかしな方向にずれていくあの感じがたまらなかった。ゾクゾクする。人によっては(あと読むタイミングによっては)トラウマになってしまいかねない話だけど、それでも誰かに薦めたい、イチオシの作品。
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久々の挫折本・・・
イタリア移民家族を通して、アルゼンチンの歴史と世界の流れが描かれるが・・・
移民の母系家族によって引き継がれた、ブエノスアイレス食堂が舞台になるが、とにかく家族の名前が覚えられない。
そのうえ時代も微妙に前後するので、ついていけない・・・
冒頭に描かれたショッキングな主題へ、いかにつながり、その先の終焉にまで、またどのような道のりがあったのか・・・
またの機会のお楽しみにしておきます・・・一先ず今回は挫折です
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ブエノスアイレス食堂とアルゼンチンの歴史を描きながら、生々しい食材で官能的な料理を作る狂気料理人の話へ。登場人物の名前と時代背景がややこしいが、なかなかゾゾゾとさせる作品。映画にしたら時系列がわかるかもな
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本の雑誌の書評を見て気になったので読んだ。
時代が前後して混乱したり、人間同士のつながりに混乱したり、
「マリア」っていう名前の人が2・3人出てきて混乱したりしたが、面白かった!
主人公のセサル・ロンブローソのキャラクターがすごく魅力的で、
殺人を犯す場面でも鮮やかな手さばきにはほれぼれする。
料理に関してはそもそも知らない食材ばっかだったのでおいしそうに感じる
よりスパイスのきいた異国の料理なイメージでした。
もっと文学的な小説なのかと思ったけどジャンル:暗黒小説の名にふさわしいグロさとおどろしさだった。
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「ブエノスアイレス食堂」読んだ!http://tinyurl.com/76t43bm はーすごかった。幾度の閉鎖の度に復活してきた食堂と、料理の天賦の才を伝えるロンブローソ家そして彼らと関わる料理人たちの濃密な破滅の物語が淡々と展開する。心理描写抜きが凄惨さを強調する(つづく
前半は時代と人物が交叉し混乱するけど、収束に向かう後半は狂気も加速し一気に読めた。絢爛なグロテスクさではグリーナウェイの「コックと泥棒〜」を、展開は「パフューム(映画)」っぽい。数多の料理は豪華で官能的で匂いが漂ってきそうで、材料があるなら作ってみたい。カニバルは抜きで…(終わり
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バランスの悪い話でした。
最初の章はショッキング、次の章からは淡々と(悪く言えばだらだらと)食堂のオーナーの移り変わりとブエノスアイレスの社会状況。最後の数章でやっと最初に出てきた主人公が天才的な料理人になったよっていう紹介とあっさりカニバリズムに手を染めていく段階が書かれてます。
レビューを見るとこの淡々さが受けているようだけど、心情描写が無いのは狙いだとしても「この子は小さい頃母親を食い殺し、叔母夫婦の養子になって成長し天才的な料理人になりました、そしてあるとき邪魔になった人がいたので殺して料理にして始末しました、そして最後は自分を料理にしてネズミに食わせました」ていうあらすじ以上のことが皆無なのは書けてなさすぎるとしか思えない。
料理の描写も単なる食材と調味料の羅列だし、ショッキングな部分の恐怖感とか鮮烈さも足りない。途中からこの作者はどういう話を書きたかったのかとウンザリしながら斜め読みすることになりました。
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なんちゃら食堂…みたいなゆるゆるとした物語だと思ったらとんでもない作品。冒頭いきなり「人を食べちゃいますよ」という宣言があります。
そこで背筋に冷たい物を走らせておいて、続くのは天才的な料理の才能を持つ双子と料理の指南書に連なる一軒のレストランの数十年にわたる盛衰の物語。メモしておかなければ誰が誰やらという作品の終盤で訪れたいきなりの黒展開でした。
えぇぇ…と声が漏れるようなラスト。えぇぇ…としか言いようがありませんでした。なんか、もっと違う終わり方は無かったのでしょうか。
でも投げつけたくなるような本でもないのです。すごく不思議。