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ナオコーラのとがり具合がこれでもか?というくらいに発揮された文章。これでもか?これでもか?ってくらい「ぐいぐい」くる。うねるような言葉。平易なのだけど、鈍痛がそこかしこに漂っている。うまくいかない、もがく、うまくいかない、もがく。それしかない、それしかないと自分を定義づけてぐいぐい狭いところ狭いところへと自分を絡めていく。けれど、自分が排した可能性を実は彼女=主人公=小笠原は切実に欲している。だからこそ、彼女は終盤で、他人を気遣ったときに、「その心地よさのようなものを感じる気持ち」を、実は自分も持っていたのだと認めずにはいられない。それでいいとすら思える反面で、それゆえに彼女の世界観が揺らぎつつある。こうあるしかない、こうしかない、これは酷く「自暴自棄な自己観念」である。だが、これしかないのだ。解説者はこれを酷く現代的な観念である、と社会へと還元させようとしているが、果たしてこれは事実なのか?今はある意味においては無数に可能性がある。かつてはなかった。そのような意味では、「私小説がめっきり減りつつある」近年は、ある意味でこの自暴自棄な自己観念は減りつつあるのではないか?もちろん、キャラクター性としての自己観念は切実に求められているだろうが、この「自暴自棄」という部分が本作の非常に中心的な位置を占めると個人的には思われる。彼女はあまりに自暴自棄で、掬われずにもがき続ける。もう自分でもわけがわからない。田中が好きだから音楽をやっているのか?芸術性を追求したいからやっているのか?人と親しみたいからやっているのか?音楽が好きだからやっているのか?それしかないからやっているのか?彼女は非常に混乱している。「どうせ、社会から必要なんてされていないのだから、今死ねばいいのだ、今やりたいようにやって死ねばいいのだ」、というくらい彼女は追い詰められている。才能がないのに普通には生きられない無念さが凝集された台詞である。だから、他人事じゃないんだ。
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色んな事を気付かせてくれた小説。
解説も興味深かった。
「コミュニケーションの為にコミュニケーションを
取る」
なるほど!
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大学時代の青春な雰囲気のお話を期待して買いましたが、あんまり好きになれませんでした。
全体的に、登場人物の性格や心理的描写が雑。
一貫性があまりなく、よくつかみきれないまま終わりました。
そこが著者の持ち味なのだとは思いますが、私には合わなかったようです。
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大学時代の青春。
好きな音楽を
就活の道具をしたくない。
色々な癖のある人々の出会いと別れがありました。
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マンドリンサークルに打ち込む大学4年生の女の子の話。
高校の部活みたいにキラキラしてないし、サークルって少し奇妙な集合体だと、大学を卒業した今、この本を読んで思う。
寝すぎたときに頭に鈍痛がまとわりつくように、ぼんやりと「終わり」の入口に経っているのを感じる、大学4年生のあのとき。
卒業式のようなイニシエーションとは別に、何気ない時にすうっと実感するその痛み。
最近のことなので、どうしても自分と重ね合わせて読んでしまった。
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今まで読んだナオコーラ作品の中で一番好きだ。
小笠原が分身のようで
どんどん読み進めてしまった。
それに、解説がとてもすばらしい。
引用したいところがありすぎるので、割愛。
小笠原がいとおしすぎて、本を抱いたまま寝てしまいそう。
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ネットで購入して、
カバーもつけてもらったまま読んでいたので
読み終わった後にカバーを外して
初めて表紙を見ました。
「あぁ」とぎゅーっとされた気分。
切ない、
苦しい、
ただただ好きなだけ。
なのに
猛烈にひとりぼっち。
求めてやまないのに。
それだけのに。
強烈にさみしい。
大学のマンドリンサークルで
音楽に奉げようとする小笠原。
小笠原が恋するのは
ぼさぼさで決してカッコ良くない指揮者の田中。
遊びとか自由とか就職とか
すべてが曖昧な集まりになるサークル。
ともだち、恋、音楽、
どこまで本気で
それをどこまで伝えていいのか。
小笠原は
自分の音楽を疑わないし、
誠実にいようとするからこそ容赦なくぶつけてしまうため
誤解や相手を傷つけ
うまく溶け込んでいくことができない。
私は私、と思いながらも
ポジションや状況にこだわったり
自分自身の評価を気にしていたり。
振り切れない。
「でも、左右非対称って、セクシーなんだよ」
大好きな田中もずるいよ。
いっかい引っ叩きたい。
ただ、私も似たような経験があるだけに
田中に投げかける小笠原の疑問符はもう、他人事ぢゃない。苦笑
好きぢゃないのに、
勘違いでセックスするな、ボケ!怒
はー、もう。苦笑
激しい抑揚もないし、
日常もバッサバッサと進んでいくんだけど
このグレーな感じが好き。
終わりの予感。
「でも、なかなか終わらないから」
「これはまだ、終わりが始まったばかりなんだよ」
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この舞台になってる場所を知っていて、そればっかり気になってしまった。
この主人公のひねくれ感、なんかわかるような気がする。どうせひねくれてるならこういう風に素直にさらけ出せる人間になりたい。
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なんてことはない小説だけど、これだけ抵抗なく体に染みるのは、やっぱり彼女のお話が好きなんだなと思ったりする。
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うまく言葉にできない、もどかしさを感じる。ちょっと淋しかったり。でも気にしないふりしたり。
確立してるつもりでいたあの頃。そして今現在。後から振り返ればいつまでも「まだまだ」なんだろうなぁ。
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これは!ナオコーラさんの中でもかなり好きかもしれない。私と小笠原のリンク率がすごい。
いや、すいません。吹奏楽とかやってません。
長い終わりの終わりがすごく良い。
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こないだ読んだ『…二人組…』がおもしろかったので、山崎ナオコーラの別の小説を借りてみる。
大学のマンドリンサークルで、楽器の演奏にうちこむ小笠原は、4年になって申し訳程度に就職活動もやってみるが、ぜんぜん身が入らない。小笠原は演奏をよりよいものに仕上げたいと思っているが、サークルのみんなは音楽を極めることよりも、仲良く「友だち作り」をしたあと「思い出づくり」をするのが目標なのだ、と小笠原には感じられる。だが、同じサークルの田中だけは違う、音楽をやりたいはずだ、と小笠原は思っていた。
田中が指揮者のDVDを見せてあげるというので、駅でおちあった。「後ろに乗って」というので田中のママチャリの荷台をまたぐと、田中は「女の子は普通、そういう風に座らないから」(p.27)などと言う。しかたがないから小笠原は横座りに直す。ここを読んで、はいはい、私もそういう風には座らないよと小笠原に親近感がわく。
田中のうちで、指揮者のDVDをみて、駅前の焼き鳥屋で軽く食べたあと、田中が「泊まってけば?」と言う。何もしない、母親は今日は仕事で帰って来ない、と言う。
ベッドで並んで寝て、田中が何もしないことはなくて、ギューギューと舌を吸い込まれ、「これ、脱ぐ?」と言うので、小笠原が自分で脱ぐと、「女の子は普通、自分では脱がないよ。」とまた田中は言うのだ。
なんやねん、「女の子は普通…」って。
「入れてみる?」とか、入らないとか、しばらくすったもんだした挙げ句、「諦める?」と聞かれて、小笠原は田中の上から下りた。
▼セックスって、いつが終わりなのか、分からない。小笠原が田中のことを好きな間は、日々を越えて続いていく行為なのだろうか。まだ終わっていない、と小笠原は感じる。(p.56)
そして小笠原は、こうも考えた。
▼この間泊まっていったときにやったことが、一般的にセックスと呼ばれるほどのことなのかどうか、小笠原にはいまいち自信がなかったが、一ヵ月ほどしてから気になることができた。処女膜というものはセックスをしたことがない人でもスポーツなどによってすでに破れていることがあるということや、射精しなくても少しでも挿入したら妊娠の可能性はゼロではなくなるということを、小笠原は聞いたことがあった。その確率は非常に低い、と頭では分かっているが、心は不安になる。そこで妊娠検査薬を薬局で買って試した。相手は恋人ではないのだから、孤独だった。
一週間遅れて生理が来たとき、小笠原は思わずセブンイレブンで、インスタント赤飯を買ってしまった。電子レンジで温めて食べた。(pp.73-74)
そして、なんやかやがあって、小笠原のアパートで、田中と小笠原は、また一緒に寝る。小笠原は、田中の言動に「女扱い慣れ」を発見したり、男の子は謎の生き物だと思ったりする。
▼小笠原はエロDVDを見ないので、こういうときの文法が分からない。カフェでの会話や道で擦れ違うときの雑談ならば、他の人たちの遣り方を盗み聞きすることもあるし、映画や本でも馴染んでいるのだが、こういうシーンで他の人たちの遣り取りは聞いたことがな��。しかし、部屋に籠ったときに、女と男の二人だけで言葉を発明できるはずはないので、やはり小笠原と田中も社会のコードにしたがってセックスしているのに違いない。
そのあと、田中が再び上に乗った。そして、小笠原の足を持ち上げて、中に入れようとする。避妊したい、と怖くなったのだが、やはり言えない。この年になってもコンドームのことを口に出せない自分がふがいなくて、なんとか上手い表現はないものか、と頭の中で探ってみた。セックスと呼べる行為を自分ができている自信が、やはり湧かない。「これで合ってる?」と田中に聞いてみたいところだが、どうしても聞けない。(pp.148-149)
田中が膣外射精で小笠原の腹の上に出したあと、小笠原は「面白かったね」と言ってみるが、田中は不満げだ。田中としては、最後の所は「失敗」らしい。
▼どういう状態になったときに「セックスが終わった」と言うのか。やはり分からない、男にゆだねたくない、私も参加したい、と小笠原はしつこく思っていた。男のタイミングで終わらせる気はない。(p.151)
そのあとも小笠原は思う。「男の生理感覚に偏って成立しているセックス文化は、おかしい。射精でなんか、セックスは終わらない。」(p.155)と。
この本のあとに、『ヒキタさん…』を読んで、『生殖技術』を途中まで読んで、セックス=性交ではない、とふと思った。不妊への対処もタイミング法のうちは性交だが、そのあとの精子をちゅーっと入れるとか、顕微授精とかいう段階は、卵子と精子の合体作戦に、身体は介在しなくなる。
性交ということばには、生殖とか配偶子の接合とか、生物学的な方面へのびていく感じがあるが、生殖技術がすごくなると性交からは離れていくところは、なんか不思議な感じがする。
小笠原の話を読んでいると、射精でなんかセックスは終わらない、ならばどこから始まって、どこが終わりなんやろと、いろいろ考えてしまった。
(3/14了)
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ちょっと前の自分だったらいろいろ共感したかも。。
残念ながら今はちょっと外向きな自分なので。。
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ビレヴァンに置いてあって、ナオコーラだからと、手に取った本。
期待を裏切らず。
「抑制のない会話は、休符のない音楽と、同じだ」
素敵な表現です。
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短い文の中に、たまにきらりとひかるフレーズがあってはっとさせられた。主人公の小笠原にちょっとだけ共感する。