紙の本
味わい深い
2015/03/26 06:38
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:september - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者初のエッセイ集らしいのですが、雰囲気というか世界観が普段の小説(?)と同じでいつもの吉田さんだなと思わせてくれる一冊でした。誰から見ても良い人生を味わっていると言われそうな日々の吉田さん。ますます好きになりそうです。
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あけてしまった玉手箱の中に、木挽町という町があって、そこに曾祖父が営む鮨屋があった。一代で消えた幻の店を探すうち、過去と現在がひとつになってゆく。日々の暮らしによぎる記憶と希望を綴った、著者初のエッセイ集(「BOOK」データベースより)
エッセイ集と銘打ってはいますけど、書かれたことすべてが実際の事とはかぎらない・・・。
さすが吉田さん、ただのエッセイなんぞは書かないのですね。
どこからが本当で、どこからが創作なのか。
曖昧なままに読み進めていくことをお勧めします。
あ、あと三浦しをんさんとの意外な交遊があってびっくり。
お父様絡みの馴れ初め(?)にもびっくりさせられました。
これは三浦さんファンも必見だ(と宣伝しておく)。
ちなみにこの作品の中には魅力的な本がたくさん出てきますが、その中でも黒田孝郎の『大と小』のあとがきにすっかり魅せられてしまいました。
「ともだち文庫」の方のこの本が欲しくて欲しくてたまりません・・・!
いつかどこかの古本屋で出会えるといいなぁ。
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エッセイ、なんだね。
この人のエッセイは初めてじゃないだろうか?
過去、現在、未来が入り組む。
江戸も今もちょっと先も、みな等しい距離にあるような。
流行りの言葉を使っていないというだけで、安心出来る。だからと言って、古くさいというわけでもない。とても丁寧に言葉を操るので、時間がゆったりと流れていく。
私の好きな小説のタイトルが登場すると(「体の贈物」「オン・ザ・ロード」「原稿零枚日記」など)、や、奇遇ですな、と帽子をとって挨拶したくなる。
確かに音吉さんは、そこにいて、「ぴしゃりとばかりに店の戸を」閉めた、と思うよ。
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Webちくま連載時から待っていた書籍化。
常に手元に置いておきたい本。
「自分をリマスターする」と決意するところから始まるこのエッセイを読んでいると、自動的ににこにこ(時ににやにやし、ぐふふと笑い出し、白い目で見られる始末)してしまう。
いろんな思い付きに一々「読みたい!」と反応している自分がいた。
あぁ…、なんて幸せ。
そして3月11日の地震以降の文章には、それまでとはちょっと違う共感を覚えた。
あの時感じていた焦りと不安が書かれている。
この東京に私も確かにいたと感じる。
何故か泣きそうになりながら、私も歩く自由を感じたいなと思った。
この本と一緒に東京を歩こうと決意した。
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木挽町にあった曾祖父の寿司屋「音鮨」に思いをかさねつつ綴られたエッセイなのだが、そもそも情報が少ない中、筆者の想像もまじえ……いや、ほとんどが想像で綴られたエッセイになっている。事実この本はエッセイなのだが、昔の自分と対話をしたり、かつての家族の面影をふとしたときに思い浮かべたりと、やはり小説のような印象を感じずにはいられない。例のごとく、氏の紹介した音楽や書籍がきになってしかたがない。本は本と人をつなぐ最適なツールなのだろう。本を読むことで読者は新たな本と出会う。ものを書くことで作家は自分の世界を具体化する。
はたして、篤弘さんは音吉さんに何を会話したかったのか。ただたしかめたかっただけなのか。
篤弘さん、対話の収穫はありましたな?
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ゆるゆるとついていく感じて読みました。
馴染むととても居心地がいい感じです。
ただ、素直にエッセイとして読んでいると、しらんふりして「ほら」をふかれているんじゃないかとも思えるんですけど。
存在しない本とか、存在しない娘とか……
なので、ゆるゆる読むのがいいみたい。
3.11以降の項は、あらためていろいろ思うところも喚起されて、考えることを止めてはいけないことなんだと肝に銘じたりもしましたね。
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曽祖父は音吉さんで、木挽町で鮨屋だった。
吉田音ちゃんを産み出してくださった篤弘さんの初エッセイ。
「圏外へ」で味わったゆるゆる感が漂っていてうっかりまた篤弘ワールドにさらわれて行ってしまうのじゃないかと錯覚。
もったいなくて読んでない「おかしな本棚」をまた自分の本棚から出してみました。「らくだ書房~」の方もまた読み返してみましょう。
地震以降の文章、一緒に泣きたくなりました。
東京お散歩マップ的に読んでも可。
ダイエットの指南本としても可。
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吉田篤弘さんが、なんか、とっても変なエッセイを書いちゃってます!(*^_^*)
「つむじ風食堂の夜」で出会った吉田篤弘さん。
ちょっと第一線から引いた人物たちの落ち着いた描写が好ましく、また、装丁家としても著名な方だけあって、それぞれの本の佇まいがとても素敵。
でも、このエッセイを読んでみたら、吉田さんという人はなかなか面倒な(#^.^#)人みたいだぞ、という意外性が面白かったです。
吉田篤弘さんって、良くも悪くも江戸っ子、なんですね。
なんていうか、しゃかりきに何かやるのはご自分の美学に反していて、だから、どうしてもものごとを脇から眺める癖がある。皮肉な人ではないみたいなんだけど、自意識過剰なんじゃないの?なんて思っちゃうほど、自分のことを他人の目で見つめて、恥ずかしがってみたりね。
小学校四年生のころ、一年ほども1人で壁新聞を作り、教室に貼りだしていた、というお話が面白かった。きっかけは、教室に模造紙のあまりがあったので、その大きな空間を文字や絵で埋め尽くしたい衝動にかられたということから、と言われているんだけど、装丁家であり小説家である、今の吉田さんの原点を語るエピソードのように思える。小学生が自発的に壁新聞を作る、ということに加えて、それを良しとしてくれた教室の雰囲気もまたいいなぁ、と。
そういえば、1人でご飯を食べる楽しさの考察、みたいな章もあったけど、吉田さんは基本的に群れることの対局にいる方、なんでしょうね。
「皆の声の輪から逃れ、舞台袖のようなところを抜けて背中で皆の声を聞く」という文章があったけど、そんなご自分がお好きなんだろうな、と、これは悪口ではないんですよ、ホントにそう思うんだから。(#^.^#)
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私もシナモンロール食べながらカフェでノートにひたすら字を書きたい…その意味では「改行なし」がいいんだけど、「一九七二年のラジカセ」「舞台袖」あたりからの、調子が出てきた感じも、すごくいい…。
そう思いながら読んでいたら、3/11の震災の話になった。起きたことをありのまま書く、という形式のものが出版されて、もう、3/11の話が出てくるんだなあ…と年の瀬にそんな気分。
"そのときの自分は、小説を書くことは孤独という言葉を使わずに孤独を書くことだと思っていた。
ーーあとがき
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歌舞伎座脇で鮨屋を営んでいた曽祖父の人生を追う時間の旅に、日々の暮らしで生起するさまざまな想いが絡み合う。初エッセイ集。
2012年9月30日読了。
著者初のエッセイ集とのことで、とても興味深く読みました。
自分のルーツを探る、みたいな書き出しなので、時代があっちに行ったりこっちに行ったり。
ダメな人にはダメなんだろうけど、私はこの人の文章が本当に好きなんです。
ただ一冊だけ、どうしても苦手だった作品があったのですが、でもそれがどういう意図で書かれたのかが分かって、スッキリしました。
連載の最後の最後で2011年の3月11日がやって来て、しばらく中断してしまったとのこと。
震災のことも書かれていて、読むのが今でも思わず動揺してしまいました。
でも。なんというか、不安なものは不安として誠実に書かれていて、みんな同じように感じていたんだなって、ちょっと安心して、肩の荷が下りた感じで思わずホロリと来てしまいました。
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吉田さんのルーツを探るエッセイ、が軸なんだけど、紙や本への愛着、ダイエットと散歩の話、学生時代の思い出なんかも書かれている。
吉田さんが日常のどんな物に引き寄せられるのか、少し知ることができたようで、作品の舞台袖を覗いたような気分。
舞台袖のエッセイ。
モナリザと合わせて読むと、なんとなくリンクしている部分もあって楽しい。
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クラフト・エヴィング商会関連はどうも苦手だったんですが、これはそれとは知らず読みました。面白かったです。木挽町で寿司屋を営んでいたという曾祖父をめぐるルーツ探しが本書の軸であるのか、ないのか、わからないくらい話はあちこちに飛びます。でも文章がうまいせいか、最後まで楽しく読ませてもらいました。著者の「書くこと」へのこだわりが強く印象に残りました。【2012年8冊目】
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大好きな作家さんが、近所の人で、しかもこの辺を散歩しまくってただなんて感激。色々な内容に飛躍するからとっても楽しいエッセイ。
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吉田篤弘さんってあとがきを書く人だったっけ?
エッセイ、のあとがきではじめて、なんでこのひとの文章がこんなに好きなのかわかった気がする。
音楽や落語、デザインのルーツ。まわりのものへの目線。ひとりであることへの想い。
読んでよかった。
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吉田篤弘がつむぎ出す物語は、どこかにありそうでどこにもない雰囲気を携えている。そんな吉田篤弘による自分のルーツを辿るエッセイは、実に吉田篤弘らしいものでした。
曾祖父が明治の時代に上方から上京してきて、銀座木挽町の歌舞伎座の向かいに鮨屋を開いた。そのことを知った時からはじまる木挽町への想い。曾祖父への想い。
想いは我が身に降り掛かり、少年時代から現在に至るまでを振り返る。
振り返るたびに現在の姿が現れ、現在が過去と繋がっていることを意識させられる。そして曾祖父と祖父と父と繋がっていることを意識させられる。
思考と現実と思い出と空想がないまぜになる。過去が現在に影響し、現在が過去を刺激する。
連載とともに作者の歴史が積み重ねられ、そこにやってくる2011年3月11日。
全てがひっくり返ったあの日を境にして、変わるもの変わらぬもの。
紆余曲折を経て、物語は木挽町へと収束する。
エッセイでありながら物語のような。それはいかにも吉田篤弘らしいものであり。あらゆる層を重ねて捻って丸めてしまうような、面白い読書時間でした。