紙の本
雑多だが,興味をひかれることが多数ある
2012/04/04 00:42
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投稿者:Kana - この投稿者のレビュー一覧を見る
大正大学がどのように震災にかかわってきたか,対談,ボランティアやその他の学生が書いた短文など,さまざまな文章があつめられている. 雑多ではあるが,ボランティアがなにに感動したり影響されたりしたか,救援活動の実態はどうだったのか (避難所にとどいた衣類のうち 1 割しかつかわれなかったことなど),学生のマスコミに対するきびしい見方など,興味をひかれることが多数ふくまれている.
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大学生ではもう年寄過ぎだから、高校生くらいの若い人たちの行動の方が重要であろう。
今の日本の大学生なんて親の金で大学に来ているのに、バイトとかしていて暇なんだから。
たしかに私の大学院でも4月には東北支援をしていたな。大学では節電もあり授業日数も短くなってしまった。
ここに出てくる大正大学というのは仏教の大学で人文系の精神があって、宗教中心に文化が寄って立っている。
大震災などのときは宗教的な大学の方が動きが機敏でよいですね。
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時節柄、震災関連の本を読みました。
4月に早速南三陸に学生を送り込んだ「大正大学」という仏教系の大学の方が取りまとめた本。学生のボランティア手記や、南三陸の町長との対話等があり、共感を得た。本の中に、2011年5月9日の朝日新聞に掲載された記事があり、「彼ら学生が、まず求められたのは、作業ではなく『見ること』だった」という表現はまさに共感。 ボランティア手記の中にもいくつか共感ができるものがあったが、特に僕の心に引っかかったのは、この大学が学生に対してこの震災に関して書かせたレポート。レポートの中には、いろんな学生さんのなまなましいものだった。
・坊さんの修業で比叡山にこもっていた学生。
・やはりTwitterなどからの情報に紆余曲折・さまよいながら、時には嫌悪感も覚えつつ情報選択をしていた学生。
「私たちは、自分でするべきことを考え、常識と情をもって行動していくしかないのだと思う。どの情報を選び、実践していくかは自分が決めることだ」
・3.11時には沖縄に帰省しており、TVを見続けていた祖父母に以下のような言葉をもらった学生。
「戦争中には、これと同じくらいの恐ろしい光景を目にしてきた。だから、いま起こっていることから、目をそむけていては、これから、日本がどう復興していかなければならないのか、自ら考えることができなくなるのでは? つらいかもしれないが、これが現実だ。亡くなられた方々のためにも精一杯生きて、これからの日本を変えていかなければならないのだ。それが、残された私たちの使命のようなものだ。とくに若い人たちはね。」
・「このたびの東日本大震災は、私の価値観を大きく変えた。命の重さも、人に対する思いやりも、いままでは頭で理解しているつもりだったものが、しっかりと心に焼き付けられた。 この震災のことを、私は生涯忘れることはないだろう。これからの日本を作っていくものの一人として、今回生まれ変わった自分の心を大切にしていきたい。」と宣言する学生。
そして、「あとがきにかえて」にて、「本書のタイトルに掲げた『大学には何ができるのか』という問いに対し、その答えはまだまだ先にあることを自覚しつつ、私たちは活動を継続していかなくてはならないでしょう」と、あった。
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3.11大震災の時はまだ中国にいた。あの時はすごくボランティア活動に参加したいと思っていた。だから、大正大学の8か月間の記録があれば、被災地で何を学んだか、社会的貢献とは何かがよく分かると思う。