紙の本
独裁者を演じない権力者の実像を通して、ビルマの現状を問う貴重な一冊。
2012/01/31 13:54
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:書痴 - この投稿者のレビュー一覧を見る
古今東西、悪評高い「独裁者」と呼ばれる人間に比べ、本書で紹介されるビルマの権力者タンシュエは、強烈な個性、カリスマ、エキセントリックな言動などの観点から本書を眺めると、スケールダウンし、独裁者にありちなイメージを、一見、思い浮かぶことができないのですが、しかし、その本質、やっていることは、彼ら「独裁者」とほとんど同類だと読み取ることができます。
タンシュエに関する信頼できる情報の少なさから、本書が、完全に満足できた内容でないことを作者本人も認めていますが、軍政が生み出した申し子、タンシュエを通じて、特殊で複雑なビルマの現代史を解説している点は、評価できます。
タンシュエの出生、家庭、教育、軍歴が披露されますが、いまいち華々しさがなく、どうして、こんな凡庸な人間が、ビルマの最高権力者になれたのだろうか?という疑問が浮かびます。作者は、タンシュエを直接知っていた者の言葉を借りて、「謙虚で、おとなしくへりくだり、質素な生活を好み、忠実で、野心を見せず(略)」ライバルや上司から「脅威として受け止められなかった」ことにあるとしています。またアジア的な『出る杭は打たれる』ことを熟知していたともいわれます。表には出ず、水面下で画策するタンシュエのしたたかで老獪な人物像が浮上します。
ビルマの民主化勢力や少数民族を弾圧する軍政と、軍政を支える組織構造や黒い財源(麻薬や天然資源などから得られる収入)からは、数々の矛盾点が提示されます。医療制度は、世界ワースト2位という事実。「大隊でも国でも、輪ゴムで遊ぶのと同じだ。伸ばしすぎたら緩めればよい。緩みすぎたらきつくなるまで伸ばせばよい」との見方は、タンシュエが、使いすぎた輪ゴムがいつかは切れてしまうことを失念しており、現実感覚の無さを露呈していると思います。人道問題を含めた対外からの圧力には、「サダム・フセインによる殺人や拷問は国際社会にもよく見えるところで行われ、その分、より衝撃的だった。タンシュエは、国際社会に注目されているときはフセインよりも少しだけ文明的な手段を使う。しかしメディアや証人の目が届かないところでは、どちらも同じくらい残酷だ」と言われる始末。
娘の結婚式に、巨額の費用をかけ、半ばゴーストタウン化した無意味な、現実逃避にも見える遷都の強行。仏教徒を自認しがら、人権問題を問われて、自分に都合よく解釈するレトリック。抑圧するアウンサンスーチーに対し、タンシュエは、どこか自分にはない国際的な知名度に嫉妬している様子が伺え(外国人から、彼女のことを言及されると不機嫌になる)、彼女を毛嫌いしている姿には、失笑。
日本人ジャーナリストも犠牲になったサフラン革命では、日本でも、ビルマが注目になりましたが、最近は、あまりニュースを聞きません。指導者の交代と並んで、一見、民主化のプロセスも少しずつ前進しているような様子の現在、タンシュエは、第一線を引いたとはいえ、本書では、『院政』を引いているような印象を持ちます。
本書が、タンシュエという権力者を通して、ビルマの不透明な政治構造と、軍政という陰の部分に光を当てた功績は大きいかと思います。
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白水社の独裁者モノはそのクオリティが高いのが特徴だが、この本に関してはややクオリティは落ちるという感じ
ダンシュエは小物で取るに足らぬというイメージを著者は与えたいのだろうけど、それなら描かれるべき軍部の全容が殆ど語られないので、結果的に悲劇の主体的な加害者が見えず
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軍政により国名がミャンマーと改名されたビルマ。
本書は題名からも分かる様に、この国を完全支配し、逆らう国民に対して容赦のない弾圧を加えてきた指導者タンシュエをテーマにした本です。
また、彼が最高権力に上り詰める過程を通してビルマの歴史も描いており、その為、単にタンシュエの犯罪やその人間性への表層的な理解を超え、もっと深い理解が得られる一冊となっています。
とは言え、著者自身も断っている通り、タンシュエに関する情報自体が極めて限定的である事や著者の人権活動家としての立場が本書の公平性に影響を与えている可能性を留意する必要はあります。
さて前置きはこの位にして、以下で簡単に本書の内容紹介。
本書によれば、タンシュエ指揮下のビルマ国軍は
少数民族へのレイプ作戦の実施や「ビルマ軍兵士に捕まった男性が目玉をくり抜かれ、唇と耳を切り落とされる」等の残虐行為を繰り返す民族浄化を実行し、国際社会の強い批判を浴びる。
この批判の強さは、通常であればその中立性に対して厳密な注意を払う国際赤十字でさえ軍政を批判する声明を発表する程。
当然、アメリカ政府もタンシュエらを批判しているが、
その一方で同政府を退職した元職員がビルマ軍政のイメージ向上の仕事を請け負い、石油メジャー・ユノカル(後、シェブロンに買収される)は自社の経済活動が引き起こす少数民族への残虐行為の可能性を知りながら、同国を通るパイプライン設置に関与。
またアメリカのみならずシンガポールも軍政に武器を輸出して利益を手にし、中国に至っては2007年12月から2008年8月までの間、4回に分けて砲や軍用トラック750台を軍政に提供した他、戦車、装甲人員輸送車、沿岸巡視船、小火器、系兵器、兵站・輸送設備を売却。
更には軍事アドバイザーや建築事業を行うエンジニアまで派遣。
これら全てはビルマから得られる利益の為です。
例えば中国から見れば、ビルマ経由のパイプラインが通ればマラッカ海峡を通らずとも中東の石油を自国へ輸送できると言った大きなメリットがある他、市場価格よりも圧倒的に安いバーゲン価格でのビルマ産天然ガスの購入等の見返りがある。
またこれ以外に、世界で流通するルビーの9割がビルマ産である等、同国は豊富な資源を有しており、軍政はその売却により多大な利益を手にしている。
その一方で資源売却の恩恵を一切受けられない国民は貧困に苦しみ、ビルマ経済は破綻しているのが現実です。
とは言え、タンシュエとは言えども国際社会の強い批判を完全に無視する事は出来ず、その為
国際的な批判を浴びると一端はその批判に応じ、例えばアウンサンスーチーとの対話に応じるかの様な姿勢を見せるが、実際には様々な"事情"を述べ立てて時間を稼ぎ、国際社会の注意がそれた時点で反故にする。
と言う事を繰り返してきました。
ここまで読むと、タンシュエとは狡猾で頭の切れる人間かと思われるかも知れません。
しかし、彼に対する評価は直接接した事のある人間の間でも極端に分かれており、例えば
・軍政士官が「我らの指導者は無学だ」と述べる。
・権力の階段を登る途上、上官を含めた周囲からは無能と見られてきた。
・腰がとても低い一方で階級意識がとても強く、社会的地位の低い義理の息子の両親が病に伏せても一切見舞いに行かないと言う、ビルマでは言語道断な無礼を働いた。
・自分の意見を主張せず、代わりに上の機嫌をうかがって来た。
・しかし、ただの無能とは決して言えず、権力闘争に打ち勝ち、ビルマを長期間にわたり絶対支配下に置いた。
・また、会う相手によってはとても魅力的な振る舞いも出来る。
と、その多面性が伺えるものです。
これはタンシュエが、
有能な他者が自らを主張し、功績をあげるとともに敵を作る様を、上官の庇護下と言う安全地帯から息を潜めながら観察し、彼らの強みと弱点を理解。
そして最高権力への絶好のチャンスが到来すれば、これを確実に物にした。
と言う事なのでしょうか?
いずれにせよ、現在タンシュエは(少なくとも表向きは)権力の地位から引退しています。
なんら責任を問われぬまま。
色々と書きましたが、本書は秘密のベールに包まれたタンシュエの実態に迫った一冊となっています。
冒頭でも書きましたが、本書内の記述の確かさは著者の断り通り、確実性には若干劣るものもあります。
しかしながら、入手可能な情報をまとめ、ビルマの独裁者の実態をここまで分析した日本語書籍は、少なくとも私の知る限りにおいて本書をおいて他にありません。
原著が執筆された時期が数年前の為、最新の情報には対応できていませんが、現在のビルマの状況を読み解く"基礎体力"を与えてくれる一冊。
ご興味をお感じになられれば、一読される事をお勧め致します。