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3.11が近づいてきたので読みました。
本を閉じた瞬間にあったかい涙が出た。
死とはなんと美しくて、
生とはなんと「実は」綺麗で、
死に触れる生はなんとキラキラしたものなのか。
救いとなる本。
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生きてるって幸せなんだなーって思った。
ほんわかと。
じんわりと。
なんかじわーっと伝わってくる。
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今回も身近な死と再生の物語。
3.11に傷ついた全ての人に贈られた
静かで優しい世界。
重苦しくも空虚な時間が「マブイを落とした」と言われればまさにシックリ。
無理に拾いにいかなくてもいいんだね。
【図書館・初読・12/23読了】
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スピリチュアル系と思いきや脱力系の心を癒してくれる作品。
半分幽霊になった主人公っていうのがなんだか説得力をもつ
私の理想的な精神状態かもしれない。
どんぐり姉妹もそうだったけど私の理想とするものを
ばななさんはよく書いてくれる。
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この本のあとがきにあるのですが、この作品はよしもとばななさんが東日本大震災をうけて書かれた作品です。
作品のテーマは、私が思うに「死」。
重いテーマですが、作品全体にわたって、とてもふんわりとした雰囲気がありとても読みやすく感じました。
最愛の人の「死」という受け入れがたい事実を少しずつであるが
受け入れ、乗り越えていく主人公の姿にすごいと感じました。
「死」とは誰にでも訪れる自然の摂理。
それを分かってはいるものの私自身、同じ立場になったら
全く受け入れられないんだろうなと感じました。
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大切な人(もちろん自分も含む)の生き死にを経験した人は今までとは何かが違う気がする。この本で言う”マブイ”をどこかに落としてきてしまったのだろうか。マブイを取り戻すのはもちろんその人その人のタイミングなのだろうし、取り戻せないままの人もいるのだろう。そんな人に人が優しく寄り添えたら(いろんな人の心地良さを考えなくてはならないので非常にむずかしいことだけれども・・)いいなと思う作品でした。
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「みんな悲しいほどにいろんなことを背負って生きている。鈍くてあまり背負ってない人を見ると一目でわかる。彼らは不思議とロボットみたいに見える。背負ったことのある人だけ色がついていて細かく美しく動く。だから、背負ってしまってよかったな、そう思っていた。わたしは生きている限りは細かく美しく動きたい、そう思っていた。」2011年3月11日の震災後、ばなな氏が全てに向けて書いた作品。肉体的にも精神的にもありえない痛みを背負った主人公…と思っていたが、ありえないことなんて、あるのだろうか、と震災後、思う。そんな気持ちで読みました。
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内容紹介
命の輝きが、残酷で平等な世界の中で光を増していく――。
今、生きていること。その畏れと歓びを描き切った渾身の書き下ろし長編小説!
「とてもとてもわかりにくいとは思いますが、この小説は今回の大震災をあらゆる場所で経験した人、生きている人死んだ人、全てに向けて書いたものです。」――よしもとばなな
ある日、小夜子を襲った自動車事故。同乗していた恋人は亡くなり、自身はお腹に鉄の棒が刺さりながらも死の淵から生還するが、それを機に小夜子には、なぜか人には視えないものたちが見えるようになってしまった。行きつけのバーに行くと、いつもカウンターの端にいる髪の長い女性に気付いたり、取り壊し寸前のアパート「かなやま荘」の前を通ると、二階の角部屋でにこにこと楽しそうにしている小柄な女性がいたり……。その「かなやま荘」の前で出会った一人の青年・アタルと言葉を交わすうちに、小夜子の中で止まっていた時間がゆっくりと動き始める。事故で喪ってしまった最愛の人。元通りにならない傷を残した頭と体。そして、戻ってこない自分の魂。それでも、小夜子は生き続ける。命の輝きが、残酷で平等な世界の中で光を増していく。今、生きていること。その畏れと歓びを描き切った渾身の書き下ろし。
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気合を入れて生きなくても、
毎日充実させなければと焦らなくても、
もっとラクに日々を過ごしていいのだな…と
安心させてくれる、そんな小説だった。
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ほんわか不思議な感じでたぶん深いんだと思う。震災のこととつながってるみたい。よしもとばななって感じ。
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皆なにかしらあるんだよね。
本書は東日本大震災を経験した全ての人に向けて書かれています。でも、直接的な表現は無く、さりげなく言葉の端々にメッセージが込められているような気がしました。 無理に”頑張れ”を押し付けられることも無く、ただ淡々とストーリーは続きます。 そして思うんですよ、「あぁ、そういうことなんだ」って。
私は序盤からラストまで、ずっと涙が止まりませんでした。号泣するわけではなく、ただ流れるんです。
大事な人や大事な何かをなくした辛さは本人にしかわからないし、乗り越える術も本人にしかわからないんですよね。 けど、ヒントにはなりました。 大事に読んで行きたい本です。
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恋人をなくした女の人が、いろいろな、きれいなものや、やわらかいものや、あたたかいもの、ちょっとしたそういうものに少しずつ癒されていくお話。
性愛抜きで、誰かと手をつなぎたい時や、抱きしめたい時が誰にでもあると思うんだけど。よしもとばななはそういうものをあたりまえのように描くなぁ、と。そしてそれができる登場人物たちが羨ましい。
3.11の後で書かれたこの小説。あとがきでよしもとばななは「とてもとてもわかりにくいとは思いますが、この小説は今回の大震災をあらゆる場所で経験した人、生きている人死んだ人、全てに向けて書いたものです」って言ってるのを読んで、「ああそうなのか」って思った。少しわかったようなわかんないような、わかったような気がした
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下まぶたに涙が表面張力のようにたまったまま読み続けた。
仕事帰りの電車で、肩こりも眼の疲れもあったのに、
地元の駅に着く頃にはどちらもすっきりしていた。
ばななさん、息をさせてくれてありがとう。
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自分だったら、死にそうなときに他の人のことを考えられるのかな?
昏睡のときに、犬とおじいいちゃんに会えた場面が素敵だった。
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■人間はいつでも巨大な劇場にいるみたい
書籍「スィート・ヒアアフター」(よしもとばなな著・幻冬舎刊・157頁)から。
調べてないけれど「here after」は、たぶん
「将来・これから先・来世」の意味だと理解して読み始めた。
一作ずつのストーリーを説明するよりも、彼女の文体が好き、
そんな感じで、文中のキラリとした表現を紹介していきたい。
今回は「この世はなんて美しい、激しく緑が伸びる夏もあれば、
すぐにあんなに寒く美しい別世界のような季節がまためぐってきて、
あの椿の赤や落ち葉の黄色を眺めることができる。
人間はいつでも巨大な劇場にいるみたいなものだと思う。
心の中のきれいなエネルギーを世界に返すことが劇場のチケット代だ。」
これからの人生、「歳時記」を生活のキーワードとして過ごそう、と
考えていたばかりなので、私のアンテナに引っ掛かった。
わざわざ高価なものを手に入れなくても、自然は私たち日本人に対して
平等に「四季」という演目を見せてくれている。
しばらくは、彼女の表現どおり、四季を味わいたいと思う。