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・幼稚園、保育園に入る前から、同年代の子どもたちのなかで遊ぶ経験をさせる。 ・話しかけが大事。 ・よく見て、よく聞いて、の声かけで集中力を鍛える。
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子どもは胎児の中にいるときから聴覚に優れていて、生まれたあともその能力を大切にすることは大きくなってから大切。
遊びに集中しているところを水をさすことは避けたいが、乳児においては話しかけは心の母乳。
読み聞かせは立ち聞きという著者の言葉から、絵本の読み聞かせは、大人と子のスキンシップ的な役割が強いのかもしれないと感じた。
人はなぜ笑うのかの話やウソの話は、興味深い!
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第一章 ゼロ歳児の教育を考える
ヒナは親どりのすることをその通りまねるように生まれついている。ヒナは、身近なところにいるもの、動くもの、声を出し、自分より大きいものが、インプリンティング(刷り込み)をしてくれるものであることを本能的に知るように生まれついているのである。中略。親どりの片方はつねにヒナのそばを離れることがない。中略。短い間にインプリンティングは完了し、ヒナはひとりで生きていかれるようになって、親離れする。(p.17)
生まれて早々、赤ちゃんの耳はよく聞こえて、まわりの音をとらえることができる。中略。赤ちゃんにことばを聞かせようとはっきり自覚して、ことばを話す親は限られているだろう。この点で、先にものべた、動物に見られるインプリンティングに人間の育児は遠く及ばないと言ってよい。(p.22)
生まれてから二、三年の子どもは、おっぱいをのむようにことばを聞いて育つ。中略。ことばは心の糧で、それによって心が育つのである。(p.24)
話すことばより書く文字のほうが高級で、大事であると考える人はいまなお極めて多い。残念ながら、たいへんな誤りである。(p.29)
ことばは繰り返し聞いていて、わかるようになるもの。赤ちゃんに、一度でことばを覚えさせることはできない。(p.32)
「ゆっくり話すこと」「繰り返すこと」「抑揚をつけること」「はっきり話すこと」「なるべくほほえみをたたえて話しかけること」(p.35)
一語文のはなし…老夫婦の幼児へ逆戻り
「メシ」フロ、お茶‥
サルの実験。生まれて間もない子猿を群れから離し、檻に入れて細かい面倒をみつつ飼育し、少し大きくなって元の群れに返すと、とんでもないことが起きる。他の猿と折り合いをつけて生きていくことができない。(トラブル、思い切り相手に噛み付く、周りから厳しい反発受けで疎外される)…(p.41)
読み聞かせは、立ち聞き、に近いものになるということをわきまえる必要がある。(p.49)
第二章 みんな、絶対語感をもっている
心の糧になる母乳語
…遅まきながらでも、しっかり与えよう
何が何でも、ことばをかけること。
赤ちゃんはそれに応えることはできないけれども、聞くことはちゃんと聞いている。わけはわからなくても言葉の勉強はしている。(p.55)
言いたいことがないのにしゃべるのは難しいとお母さんは思うかもしれないが、何度も繰り返していると自然とことばがわかる。(p.56)
母乳語は具体的、離乳後は抽象的。
母乳語はおっぱい、離乳語はオハナシ。(p.59)
母乳語は見たり触ったりできるもの、
でも人間にはこれだけでは足りない。
人間の文化は目に見えない、���にも聞こえない、形もないことばによってつくらている。動物にはない。
おもちゃは極端のことを言えば、何かひとつ与えておけばいい。それに飽きたら他のものをおもちゃにする。(p.70)
絵のついていないお話を聞くのは、テレビを見るより、ずっと高度の頭の働きを必要とする。(p.72)
子どもは二、三十種のお香の匂いを嗅ぎ分けることができるという。その能力をうまく使って、ニオイの芸術や触覚の芸術を生み出すことも不可能でないはずである。(p.85)
子どもが何かを学びとる時間は活動性が鎮まって、頭の緊張度が解けている時が適している、その方が脳の深い部分に作用する。寝る前の時間の子守唄などは理にかなっている。(p.89)声の教育
第三章 意味より先にカタチを覚える
大人もそうだが、全部わかったときにはおもしろくないし、笑わない。半分くらいわかったときに、相手の言っていることを自分で補ったりして笑うのである。(p.100)
まず、聞いて話す。それから書いて読む(読んで書く)。これが順序。(p.105)
第四章 スキンシップで子どもを安定させる
スキンシップは和製英語。海外では通じない。
サルの群れでは、いくつかのグループに分かれて共同で子育てをするのが普通。人間は基本的に家族単位で子育てを行う、どうしても親と子の縦の関係が強くなり遊びの要素が少なくなりがち。孤立しがちだとそこが濃密になりがち。(p.124)
子ども同士がふれあうためには、子どもが大人の存在を忘れてしまわないといけない。大事なことは子どもだけの世界をつくることであって、大人の中では子どもの世界はできない。(p.129)
社会に出れば、ぬるま湯のような家の中とは違って荒い風が吹いている。小さいときから社会とはこういうものだと頭ではなく肌で感じていれば、自分を大事にすると同時に、他人を思いやる心も育まれる。(p.130)
中国は一人っ子政策を行なって失敗した。贅沢に育ち、大事にしすぎてかえってうまく育たないものが増えた。ジュースを飲ませないと授業を受けないと言い出す小学生まであらわれたりする。(p.131)
第五章 上手にほめて才能を伸ばす
ウソは言葉のあそび。
人に迷惑にならないウソをあまり厳しく禁じたりしないほうがいい。むやみに叱るのは子どもの可能性の芽を摘むことになる。(p.138)
新しいものをつくったり、考えたりする力は、幼児のウソと深い関係がある。これを切ってしまうと、機械的に正しいことだけしか考えない、当たり前のことしか言えない、バカ正直な人間になってしまう。
なんとなくおもしろい人間、生き方には、適度のフィクションがある。
人間は極めて早い段階からウソがつける、作り話ができる。言葉で虚構の世界を作り出すことができる。これは人間だけが持っている素晴らしい能力のひとつである。(p.141)
箸の上げ下ろしを小学校で伝えるのは難しい、中略、三歳になるくらいまでに体全体を動かす体操を意識して行う。運動ではなく体操をして積極的に動かす。(p.156)
第六章 耳をよくすれば頭がよくなる
漠然とおとぎ話を聞かせたり、絵本を見せたりするだけではなく、「よく聞きなさい」「よく見なさい」と注意することが、子どもの能力を高めることになる。(p.164)
たとえば大事なことを子どもに言ったら、実際によく聞いていたかどうかを、「いま〇〇さん、なんて言った」と聞き返して確かめる。そうしていると段々によく聞くようになる。(p.166)
おそらく多くの頭のいい子、悪い子は、三歳か四歳くらいで決まってしまうだろう。ひとつは、話をきちんと聞いて理解できるか。もうひとつは、ものを見るとき一つのものをきちんと見て、頭に入れることができるか、この二つが幼児教育のポイント。三番目は行動の集中力。神経質な子は目の前の勉強に集中できずに、いろいろ他の物事が気になる。色々なことに気がつくと感心していてはいけない。だれでも夢中になればものすごい力を発揮できるのである。(p.174)
小学校の先生をしている人からの話
「明日、持ってくるもの」と言ってもよく聞いていない。
忘れ物が多い→黒板に書く→それでもだめでお便り作り、これを渡しなさいということにした
⇨「先生は一回しか言いません、繰り返しません、よく聞いていなさい」時に確かめる。
それがリスニングテストになり、根気よく続けているうちに大事なことでも一回しか言わないと子どももわかってきて、話をよく聞くようになる。
日本人は耳を軽んじ、目を重んじすぎる。子どもの時によく聞くしつけをすれば日本人は劇的に変わる。(p.186)
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子供に接する機会の多かった観察眼の鋭い人が、個人の感覚に基づいて書いた、という感じかな?
統計的な根拠があることを書いてるかというとそうではなさそうなので、なるほどな〜くらいでざっくり読むのがいいかも。
少子化が進み、他人が子育てする場面を目にする機会が少なかった子どもが親になると、自分の子どもにどう声をかければいいかわからない、ということが書いてあった。
これは一人っ子のわたしがまさに痛感していることで、それらしい声掛けなどはできたとしても、一般的に赤ちゃんってどれくらいおもちゃを持ってるのかな?家の中ではずっとよだれかけをするのかな?という細かいところがよくわからない。
以下個人的メモ
・子どもは、相手の言うことが8割くらいわかると笑う
・子どもには、親きょうだいだけでなく仲間が必要。親やきょうだいが与える刺激とはまた違った仲間としての刺激を子ども同士で与え合う(子どもへのまなざしにも同じようなことが書いてあったな〜保育園入園まではなかなか難しくて悩みどころ)