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芹沢銈介が手がけた小さな絵が魅力的。
→https://ameblo.jp/sunnyday-tomorrow/entry-12151877178.html
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実用的なものは、なぜ美しいのか。それは、実用的なものは健康的であり、健康的であるということは一番自然で、素直で、正常な状態であり、そのようなものに人は美しさを感じるからである。
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日本の手仕事、民芸の日用品の持つ美を紹介した本。日本中(北海道を除く)の手仕事を20年もかけて実際に観て回り、紹介している。ちょうど「日本民藝館創設80周年記念 民藝の日本 ~柳宗悦と『手仕事の日本」を旅する~」が開催されていたため、本書で紹介されているモノをたくさん実際に見ることが出来た。
挿絵も素晴らしいのだが、それでも紹介されているモノらが多く馴染もないことから、イメージが文章からだけでは理解しにくい点は残念。今回は展示会を観に行けたため実物を見て初めて理解したりもした。逆に元々知っていたものは、とても共感して読めた。自分の想像力不足によるものだが、やはり実際に観られるかどうかの影響は大きいと思う。特に、ダメなもの、ダメになったものが多く挙げられているが、その点が文章からは理解できない。
しかし記録・紹介しておかなければ失われてしまい、伝えることのできなくなるものを記録して残そうとしている点は非常に評価できる。また芸術的でない実用品の美、用の美に気づき紹介している点も素晴らしいと思う。
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どうして彼らにそんな力があるのか、どうして実用品に美しさが約束されるのか、否、用途に交わってこそ現れてくる美しさがある、そしてどうして尊ぶべき美しさなのか
結局は健全な美しさなるが故だという事実、健康なものが一番本当の美であるという心理
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この書籍は、著者の「柳宗悦」氏が全国の手仕事民芸品の青年のための解説だったが、時の政府や協会や戦争などによって削られたが、戦後になってそう云う事がなくなったから増補して刊行したものです。
今となっては、こういう手仕事民芸品があったと解ります。
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・なんで読んだか?
「民藝とは」を読んだあと、ぶるーにおすすめいただいたから。
・つぎはどうする?
とくになし
・めも
手仕事の優れた点は、多くの場合民族的な特色が濃く現れてくることと、品物が手堅く親切に作られていること。そこには自由と責任とが保たれます。
自然と歴史をもとに、固有の伝統が、特に地方に色濃く残っている。
手仕事は、いち早く外来の文化を取り入れた都市やその附近には少なく、離れた遠い地方に多いということがよくわかります。それは田舎のほうがずっとよく昔を守って習慣を崩さないからであります。それに消費者の多い都会は、機械による商品の集まるところですが、これに引きかえ生産する田舎は自ら作って暮らす風習が残ります。しかも自家使い(うちづかい)のものや、特別の注文による品は念入りに作られています。これに対し儲けるために粗悪濫造(らんぞう)した商品の方には、誤魔化しものが多くなります。手仕事の方には悪い品を作っては恥だという気風がまだ衰えてはおりません。このことは日本にとって、地方の存在がどんなに大切なものであるかを告げつでありましょう。もし日本の凡てが新しい都風なものになびいたとするなら、日本はついに日本的な着実な品物を持たなくなるに至るでありましょう。
真庭郡中和の背中当(せなあて)「胴丸」のごとき立派なものもあります。
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昭和17〜18年ごろに書かれた本。
民藝の美しさ、クオリティを手仕事に求め、商業主義との距離感がある方がいい伝統が守られるというスタンスに貫かれているように見える。
これを読むと、人の仕事というのは結局機械との競争を続けている産業革命以降の歴史ということが分かる。今の時代、AIやロボットに置き換わることで、果たして仕事の「美しさ」は失われるのだろうか? 我らサラリーマンに仕事上の「美しさ」は求められていないのかもしれないけど。
それでも、シンプルな生き方、歴史を受け継ぎ発展させようという姿勢、健康であること、など著者のメッセージは今の時代でも刺さると思う。
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無名の職人たちが作った民藝品は実用に耐えるからこそ健康的な美しさを持つ。そして柳宗悦が起こした民藝運動は、民藝という新しい美の標準を蒐集して展示し、その美の性質を理論化して啓蒙し、民藝の美に即した新しい器物を生産して世に普及させることだった。
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紙上の日本民藝紀行。各地で伝統に忠実に民藝品を制作し、自らの名を遺すことを望まず静かにこの世を去っていった無数の職人達への、畏敬の念が込められています。
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20220206008
生活の中から生まれる美、生活を彩る美。
80年前の著述だが、現在残っているものがどれほどあるのか。無くしたものを取り戻す難しさも知ることができる。
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昭和15年ごろの日本列島の手仕事を紀行する。現在で言えば地域特産品である。日本の民芸品が紹介されることで、当時の手仕事の結実がわかる。機械は世界のものを共通にしてしまう。それは、粗末なものになりがちだという。手仕事にこそ個性が宿る。ドキュメンタリーのような手法で、日本の手仕事を紹介する。手によって生まれた日本人の暮らしに欠かせなかった生活道具の紹介。その見る目が民藝運動の創始者の視点が浮かび上がる。日本にこれだけの民芸品ができていることに、感動さえ覚える。日本は、素晴らしい手仕事の国つまり手の国という。
上手、下手、手堅い、手並みがよい、手柄を立てる、手本にする、手腕、読み手、書き手、聞き手、と手に関する言葉が多い。手がものを作らせたり、働きに悦びを与えたり、道徳を守らせたりする。日本にさまざまな品物ができるのは、自然、紀行風土であり、人間が開発した努力の跡としての歴史であり、自然と人間との交わりから生み出されてきた。品物を作ることは、自然の恵みを記録しているようなものである。伝統とは長い時代を通し、祖先たちが、さまざまな経験によって積み重ねてきたもの。そこには思想もあり、風習もあり、知恵もあり、技術もあり、言語もある。
手仕事の世界は人間の自由が保たれ、責任の道徳がよく働いている。柳宗悦は、正直な品物を褒める。
著者は、美しいとは、健康でなければならないという。美しいの中に、健康という概念を持ち込むことが素晴らしい。今まで、そのような健康と病気という視点で見たことはなかった。
柳宗悦はいう。「私たちは健康な文化を築かねばなりません。日本を健康な国にせねばなりません。それには国民の生活を健全にさせるような器物を産み育て、かかるものを日々用いるようにせねばなりません」表現は、戦争時代を迎えて、検閲に注意したとしても、いい言葉である。
その美しく健康な地域固有な品物が、手によって作られることで、心でつくり、心で受け入れられるのだという。
焼物、染物、織物、金物、塗り物、木や竹や皮や紙の細工、玩具をめぐる。
関東から始まり、江戸文化、そして江戸風な気質を見出そうとする。上野近くの田村屋のキセル、十三屋の櫛、道明の組紐。襟円の半襟。阿波屋の下駄。さるやの楊枝。榛原の和紙。永徳斎の人形。なごやの金物。平安堂の筆墨。と上げていく。ふーむ。まさに文化が手仕事で結実している。この中で残っているのは、どれくらいあるのだろうか。昭和15年頃なので、80年前のことだ。
こうやって、日本列島を北海道を除いて、東北、関東、中部、北陸、近畿、中国、四国、九州を駆け巡る。美への基準としたたかな目で探り当てていく。
機械で盛んに作られている品物に対して、惜しいかな、どこまでも営利の目的を外れないので、だんだん粗末になり、どう手を省くかについて知恵を働かしていることに嘆く。一方で、手でつむぎ、染めも正藍を用い、昔風の手機で織っている。このやり方が織物のよさをよく知り、道を守って仕事を崩さないという。そして、装飾めいたものに対しては、批判をする。もっとシンプルに生活に合うものを求める。その姿勢が、なんとも言えないなぁ。
ここで、上げていったらきりがないのでやめるが、その評価については、なるほどと思わせるものがある。柳宗悦が、今の時代に生きていたら、絶望を感じるかもしれない。時代は大きく変わり、職人は、どんどんと消え去り、長年の修行によって達成される手業が生み出されない日本が生まれているような気がする。日本の原風景が見えて、楽しい。しかし、語り口が実に爽やかなのに驚く。
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大切な点として最後までに挙がった三つ、職人の功績、実用と美、健康の美、は手仕事に限らない。
実用と美、健康の美、ふたつの表現の違いを噛みしめる。
地図や索引もありがたい。
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一緒に全国行脚して色んな工藝を巡ってる気分を味わえて、めちゃ楽しかった〜!烏山が美しい馬具を作るところだったなんて知らんかったぞ?今となっては検索しても出てこいものもけっこうあった一方、ちゃんと残ってるものが多数あって希望を感じた!
実用品の美しさとは何か。それは実際の生活での使用に耐えうる丈夫さや使いやすさをともなった「健康な美」。健康な美こそ一番美しい!なぜなら、背後に自然の法則が働いているから。法則に従順である、この「他力の美しさ」は人間の視点からすると「不自由」「束縛」という嘆きとも捉えられるが、自然の視点からすると一番当然な道を歩くということ。むしろ「他力に任せ切るとき、新たな自由の中に入る」。
芸術品と異なり、工藝品は作った人の名を記したものはない。職人たちは、名で残ろうとするのではなく品物で勝負している。たとえ作った人が学のない無名な人で、作るものが普通であったとしても、大きな伝統の力に支えられているということを忘れず、名もないものの美しさこそもっと評価すべきではないか。
伝統を尊ぶということは、ただ昔を繰り返すということではない。伝統は活きたものであって、そこに創造と発展がなければならない。伝統を尊ぶということはむしろ連なってきた樹木の根をを更に育てて名木にするためである。
もしも我々の生活が醜いもので囲まれているなら、その暮らしは程度の低いものに落ちてしまう。一国の文化はその国民の日々の暮らしに最もよく反映される。生活を深いものにするためには、どうしてもそれは美しさと結ばれねばならない。生活の中に交えることでかえって美が深まり、確実なものになる。それこそが実用の美、健康の美。
「我々は日本の固有のものをもっと尊ぶべきだが、それは他の国のものを謗るとか侮るとかいう意味を伴ってはならない。真に国民的な郷土的な性質を持つものは、お互いに形こそ違え、その内側には一つ触れ合うものがあり、お互いに近い兄弟ともいえる。世界は一つに結ばれているものだということを、かえって固有のものから学ぶ。」
柳さんも朝鮮の文化に触れて、かえって日本のさまざまな美、民衆が創造主体の美が見えてきたということで、外に触れて内を知るというのはどの時代にもあるんだな〜と感じた!いつか日本の手仕事令和ver.を刊行したいと思いました。