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本シリーズの3巻目。
このシリーズはこれで完結。次から別の教材で学ぼう。
本書では日蓮大聖人の次の5つの御書を学ぶことができた。
「曾谷殿御返事」
「異体同心事」
「報恩抄」
「寂日房御書」
「四条金吾殿御返事(不可惜所領事)」
「曾谷殿御返事」では、境智の二法について改めて学んだ。「境智冥合」ということ。けっこうハードな内容と感じた。
境:観察される対象、精神・物質にわたるすべてのもの
智:対象の本質を照らし出す智慧のこと
日蓮大聖人の教えの究極である「題目」を唱えるということは、「不変真如の理に帰し、隨縁真如の智に命すということ」ということが別の御書(御議口伝)に記されている。
不変真如の理=不変の絶対的な真理→「境」
隨縁真如の智=不変の絶対的な真理に縁することにより得られる智慧→「智」
唱題→境地冥合→隨縁真如の智という流れ。「以信代慧」という信じることによって智慧に変えるという重要な原理も関係してくる。強い信をベースに唱題することで、境智冥合して隨縁真如の智に結び付く・・・そのような学びを体感としての学びへと連動させていくこと。
「異体同心事」もハード。
師弟不二と異体同心のことを学ぶ。
「異体同心」と「一心同体」は似て非なる概念であることを再確認。「異体同心」は個性を殺すことなし。「異体同心」は束縛や画一的な団結のことではない。
中国・殷の紂王の70万騎vs.周の武王800人の戦いで、「異体同心」の強きことを喩えられている。
「報恩抄」も、、、結局すべて御書はハードなのだ。
「大事の大事ども書きて候ぞ」と報恩抄送文にある。
日蓮大聖人の師の死に際し、兄弟子達におくられたお手紙。ここでは、「報恩→我執からの脱却」ということを再認識。「我執からの脱却」が「無明への勝利」に結びつくという理屈ではあるが、これがなかなかの難事だ。
続いて「寂日房御書」
寂日房を介して在家の女性門下に送られたお手紙。
目指すべき境涯、常楽我浄(じょうらくがじょう)を学ぶ。そのためには覚悟せよと。
「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者といはれぬる事はや不祥なり、まぬかれがたき身なり」
「四条金吾殿御返事(不可惜所領事)」
人生の岐路にさしかかっている弟子の四条金吾の決意に対し、大聖人が送られたお手紙。
四条金吾は、主君から「法華経を捨てるという起請文を書かなければ、所領を没収し、家臣から追放する」と迫られた。現代で言えば、会社勤めのサラリーマンが社長からクビを迫られたような状況だ。生活や家族のことなどを考えれば究極の選択を求められた状況だ。
その背景には、周囲の妬みなどによる讒言という構造があった。それに屈することなく、主君に「誓約書は書かない、法華経は捨てない」と自身の信念を貫いた四条金吾を讃えられたお手紙だ。
この決断が正しかったことは、この事件の結果、四条金吾が君主の信頼を取り戻し、所領が以前の3倍となったことから知ることができる。