紙の本
ナオコーラの苦悩
2012/03/28 08:16
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
言葉には、いい響きをもつものと悪い感じを与えるものがある。
たとえば、「企み」という言葉にどんな印象をもつだろうか。罠をしかけるような悪い感じはしないだろうか。しかし、「企み」はあってしかるべきものだろう。それは攻めるための一つの戦術ともいえる。
作家にも「企み」があっていい。巧い「企み」は、読者を唸らせる効果がある。物語のなかにどんな罠を仕掛けるか、読者の息をのませる、立ちどまらせる「企み」なら、歓迎する。
そんな「企み」を、山崎ナオコーラは拒んでいる。
どころか、作家としての手の内をさらけだそうとしている。多分そのことは彼女にとって、とても真面目な選択なのだろうが、はたして読者はそれを求めるだろうか。
19歳で作家デビューした雪村は自分の抱えている女性という性を持て余している。身体は十分に発達し、胸の膨らみはそれなりに満ちた。しかし、作家として生きていくことを決心したことで、彼女は自身の性を捨てようとする。髪は短く、胸の膨らみも手術で除去してしまう。
男性に恋はするものの、それは実ることはない。
「私は作家だ、と雪村は思う。女だけど、女の前に作家だ」。
主人公の独白ながら、これはまさしく山崎ナオコーラの悲鳴のような決意だ。
物語の中に、そういった「企み」は隠せただろう。しかし、山崎はあえて「企む」ことをしなかった。自信の性を捨てたがっているのは、物語の中の雪村という主人公でなく、作者自身である。
そんな作品を読んでいて、少し胸が痛んだ。
山崎ナオコーラは必死になって何を守ろうとしているのか。作家とはどんな生き物であろうと考えているのか。
物語は自身のなかで完結すべきではない。読者にゆだねるべき何事かもあるだろう。
作家はすべての神ではない。作家のもっている性なり過去なりそれらをひきずっていくしかあるまい。
山崎のこの作品は「企み」もせず、自身をあまりにもさらけだすことで、読者を置いてけぼりにした。
山崎ナオコーラが男性であろうと女性であろうとかまわない。作家かどうかは、読者にゆだねるべきではないだろうか。
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わたしが今まで読んだナオコーラさんの小説で一番好きで、一番共感できた。性別の違和感、というよりわたしという人間にはこうであって欲しいという願望、理想がものすごくうまく、繊細に描かれてる。この気持ち、わからないひとはわからないんだろうな。けれどわかるひとにはピンポイントな物語。
登場人物、全員が好き。とくに時田くんには救われる。
劣等感で、自分という人間を客観視してしまうひとへ送りたい。
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ひとことで言えば、ある女の子の成長物語。
書くこと、仕事をすること、女であること、生きることなどを、年齢を経ることで少しずつ学習していく主人公の姿に安心する。
自分の性と向き合いながら仕事をして生きていくというのは、女の私からするとなかなか難しいことだなと感じていて、きっと作者もそう考えることがあるのだろうな。
女は大なり小なり、じぶんのなかに”男の子”の人格を持っているのかもしれない。
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作家、「山崎ナオコーラ」が考えていることなのか、主人公「雪村」が
考えていることなのか、どっちも正しいのだと思う。
そのせいで、雪村が自分と同世代という設定を幾度も忘れそうになった。
性にとらわれず、一人の人間として見られたい、というのはきっと誰しもが持っている。
時田が、友達になりたい、と言う卒業式のシーンがすごく良かった。
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「人のセックスを笑うな」でおなじみの、山崎ナオコーラ。
初めて読みました。
本屋でたまたまみつけて、読んでみたかった本。
別に、帯にあるような「仕事愛 vs 異性愛」っていうような、
いわゆる”仕事をとるか、恋愛をとるか”、みたいな話では全くなかった。
女の子でいることって、時にすごく面倒くさい。
上手く向き合って、割り切ることができればいいのかな。
「女の子はかわいくないとだめなの?」
「女の子は恋愛してないとだめなの?」
「彼氏がいないとだめなの?」
そんな風に思ったことがわたしにもある。
ベトナム料理屋での時田くんとのやりとりが良かった。
「自信があるかないかで物事を考えてしまうのは、自己愛の中で生きているからなんだよ」っていうようなセリフ。
中学生や高校生の恋愛がなかなか上手くいかないのは、自信をつけるために付き合ったりすることが多いからなのかもね。
でもわたしにもまだそんな部分があるのか、このセリフの意味がまだ上手く咀嚼しきれてない気がする。
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音訳ボランティアで読んだ本。
なにがいいたいのかよくわからなかった。
男の子のような部分は女性誰でももっていると思うし、その反対も大いにあると思う。
自意識が過剰なだけでは…。
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主人公の女性作家は「性別を超えて、作家として存在したい」
そんな思いを胸に、いろいろと苦悩するのだが
正直私には分からなかった。
これは私が男性ということもあるのだろうが・・・
ナオコーラの書く日常って結構好きだったのだが
今回の作品にはイマひとつ乗り切れなかった・・・。
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初ナオコーラ。
文書も読みやすく短いのであっという間に読めた。
共感できる部分もあったので、まぁよかったかな。
山登りは無理でも周りに山や自然しかないところに
一人でポツンと立ってみたいかもと思った。
私は何を感じるだろう。
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主人公はナオコーラさんの分身なのかしら。
性同一性障害、とまではいかないけれど、性別というものに疑問を感じながら生きている人は沢山いるだろうと思います。
ちゃんとどっちかに寄せて生きられている人が羨ましい。
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10代の自分ばっかりみていた女の子が、大人と知り合い、恋を覚え、仕事を始める。ハタチを迎える。社会にでる。世の中をみる。ひろい世界。すると、それまでの純粋は濁るんだろうか。とんがっていた角は削られるのだろうか。まるくなるのだろうか。そこからさらに年齢を重ねたわたしはたぶん知っている。知っているからちくちくしたよ。
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今まで読んだ、山崎ナオコーラさんの作品の中で1番好きかも。
あまり深く考えずに、すらすらと頭に入ってくる文体が好きです。
後半で出てくる、紺野と2人で入ったロシア料理屋さんで注文した「こけもも」のお酒ってどんなだろう?? うーん気になる!
橇に乗ったピロシキも魅力的です(笑)
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仕事、異性、「私」の中にあるもの。「~なくてもいい」と言ったり思ったりしながらそれでも、生きていくんだな。ナオコーラ氏の作品の中の女の子たちは。
「誰の意識に留まらなくても、物は存在している。人間も、誰かから愛される必要はない。誰にも愛されない人間も、生きているのだ。」
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作家である女性が自分は男の本が書きたいと苦悩する。
女性として扱われることに疑問を感じる。とは言っても女性が好きとかいうわけではないのだけれど。
男性・女性とか性別にあまりこだわらなくてもいいのにと思ってしまうが、作家にとってはそれほど単純な話でもないのだろうか?
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人のセックスを笑うな、の人。ジェンダーの話?自己愛。少々嫌なことがあったり、傷つけられたりしとも関わりたい。
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雪村の中にいる「男の子」はメタファーなのだろうな。自分が嫌いな人の耳には誉め言葉は届かない。自分に全てのベクトルが向いていると、人を介してしか自分は存在できなくなる。しかも人から愛されてもそれを疑いたくなる。ほんとうに気持ちを向けるべきは世界の側。でも雪村は何度か告白されててうらやましい(爆)