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民藝のやわらかい解釈。
寒い古民家の冬。コタツを買ったら、という母の提案を私は断固拒否していた。だって炬燵って存在感大きすぎるし、しまうのも場所を取るじゃない。そしてある日、私はすごい発見をした。椅子に座って、膝に毛布をかけてその近くでファンヒーターをつければ、毛布全体が暖かくなり一人コタツの出来上がり。暮らしに必要なモノを自分で創造するって、こういうことじゃないのかなって思う。(貧乏ではない!)
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買うことになれた僕らは、飼いならされているにすぎないということです。使いこなす時間よりも、モノが生まれ出てくるスピードの方が早い。そんな生活の中に、ヒトが成長する隙間は潜んでいるのか、何かそういう隙間の役割を果たしてくれるモノがあるのか、疑問に思います。
暮らしに学ぶ暮らし。そもそも昔はそんな生き方をしていたはずです。暮らしに必要なモノは自分で創造する。文字通り、一から作ることもあるでしょうし、同じモノを何通りにも使いこなすこともあるでしょう。——暮らしながら学び、経験則を発見し、知恵をつけ、やがて生きた知性へと育っていく。
同じような視線を民藝は持っていたのではないでしょうか。
知恵と体感が息づく暮らし方、日々をサバイビングすること。そんな提案が民藝だったのだと思います。民藝は答えじゃありません。時代のアンチテーゼと裏側の真実を示しつつ、デザインの現在に必要な、生きるための知恵、モノの発見の「鍵」を教えてくれる存在なのです。
服部滋樹 graf