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東日本大震災で医師らの活動を描いたノンフィクションは多いが、本書は活動の指揮を執った医師による記録である。そういう意味では非常に貴重な記録。今後の災害医療の参考になってほしいという著者の思いがつたわってくる。
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quite informative. As I'm a RC hospital staff, Dr. Ishi's report will help in case of future emergency of ours.
concrete tips are as follows:
1.prepare specific and concise countermeasure manual first.
2.human network beyond medical society is important
3.do anything that all you can do without thinking your territory.
4.consider when and how to withdraw and leave it to local
counterpart.
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東日本大震災で甚大な被害を受けた石巻。そこで7ヶ月という長期に渡り災害医療コーディネーターとしてリーダーシップを執った、石巻赤十字病院の石井医師の記録。
本著は被災者支援について医療の側面から記したものだが、そこに書かれている事はすべて、どんな場面にでも必要かつ大切な要素だと思う。
以下、その要素を抜粋。
• 第一線に立つ実務担当者どうしが、お互いに顔がわかり、密接に連携できる関係でなければ、災害発生時に何の意味もなさない。
• 訓練とは、そのきわめてリアルなマニュアルをもとに、担当部署や職員が本当に機能するのかを実際に検証、確認するのが目的である。でなければ、いくら訓練を重ねても「訓練のための訓練」でしかない。
• 緊急時や非常時に自らの活動を自己限定するほど、ナンセンスなことはない。
• 「こうあるべき」とか、「誰がやるべき」などという「べき」論を唱えることではなく、「どうするか」「どうしたらできるのか」と一人ひとりが知恵を絞り、みなで協力して実現可能な解決策を生み出す
• どんなにすぐれたマニュアルでも、いずれは通用しなくなる。そこで不可欠なのが「考えること」
• 考えを実現するには「行動」しなくてはならない。行動とは、客観的情報を集めることと、必要と判断したことは規制概念にとらわれず、なんでもやる、交渉すること。
自分の日々の行動が、なあなあになっていないかもう一度見直そう。
マニュアルのためのマニュアル、報告をするための報告、、、今の仕事に山積する無駄を少しでも減らす努力を始めよう。
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2011年3月26に日に発足し、9月30日の解散までの7ヶ月間にわたり活動した「石巻圏合同救護チーム」の記録を、石井正医師の視点から綴ったもの。
石井正医師は宮城県災害医療コーディネーターで石巻圏域22万人の命を託された形になる。
発災前によりリアリティのある災害対策・訓練を行っておられたのは大きな運命だと思う。そして、その場に携わっておられたのが石井医師であったというのも。
本書では被災後も災害現場の医療を統括されていた様子が非常にクリアな形でうかがえた。また、その活動は医療にとどまることなく、被災者が必要としていることに取り組もうとされていた様子もありありと伝わってきた。
僕が発災1ヶ月後に向かった地の名前が頻繁に出てきたので、その後を知ることができてよかった。
・・・次にどこで災害が起こるか分からない。
そのとき、この石井医師のように振る舞うことが出来る人がいつもいるとは限らないし、むしろ、そのような方は希有な存在だといっていいと思う。
またその人脈や環境なども、様々な、半ば奇跡のような形があったのだと感じさせられた。
この経験が、他人事ではなく、いま我々の知として価値を持つようにしていくことが重要だと思う。
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【目次】
第1章 発災
第2章 備え
第3章 避難所ローラー
第4章 エリアとライン
第5章 協働
第6章 人と組織
第7章 取り残された地域
第8章 フェードアウト
終章 「次」への教訓
かいせつ:内藤万砂文(長岡赤十字病院救命救急センター長)
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知るほど災害医療は奥が深いなと思う。実際に治療を行う人のスキルも大切だけど、それは後ろできちんと仕事を割り振ってる調整役がいるから。華々しい活躍だけじゃなくて地味でも大変で大切な仕事があるんだ。
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(2012.03.19読了)(2012.03.08借入)
【東日本大震災関連・その61】
「本書は、日本の災害医療がかつて経験したことのないさまざまな困難に悪戦苦闘しながらも、医療者のみならず全国の人々の「すべては被災者のために」という”魂”に助けられ、なんとか対応していったある災害医療コーディネーターの7ヵ月間の活動記録である。」(3頁)
2012年3月10日現在の東日本大震災による死者・行方不明者の人数は、宮城県11200人、岩手県5920人、福島県1819人、と宮城県が圧倒的に多い。宮城県の中では、石巻市3735人、気仙沼市1356人、東松島市1105人、等々、となっており、石巻市が一番多い。
参考までに、岩手県では、陸前高田市1795人、大槌町1282人、釜石市1046人、等々、です。
石巻市あたりが震源に近いことと北上川の河口にもあたるため、地形的なものが影響して大きな被害につながったのでしょう。
著者の勤務していた石巻赤十字病院は高台にあったため被災を免れ多くの被災者の救助に当たることができたのですが、病院と近くの石巻専修大学以外はほとんど浸水区域にあり、いったん病院に来ると簡単には元の場所に戻れないとか被災者の避難所も一階が浸水して二階以上にしか居場所がない、一階が浸水した自宅の二階で暮らさざるをえないとか、想像を絶する地域になってしまったようです。
市役所も進水地域の中にあったので、役所にもあまり無理はいえないという事情もあったようです。
マスコミ等で、たいへんな地域になっていることが知れたためあってか、多くの支援の方たちも駆けつけてくれたようです。
そんな中で、著者は、幾つかの研修を受けた上で、2012年2月に宮城県知事から災害医療コーディネーターを委嘱された。
委嘱された役割を果たすための心構えもできており、準備もしていたのでしょうが、一月後に実際にその役割を果たすべき機会がやってくるとは思っていなかったでしょう。
通常は、病院の外科医ですので、その仕事をやりながら災害時の備えもやるということでしょう。3.11以後は、病院の理解もあり、災害医療コーディネーターとしての役割に専念し、石巻医療圏の医療機関の再生まで、しっかり役割を果たした。
目次
はじめに
第1章 発災
第2章 備え
第3章 避難所ローラー
第4章 エリアとライン
第5章 協働
第6章 人と組織
第7章 取り残された地域
第8章 フェードアウト
終章 「次」への教訓
解説:内藤万砂文(長岡赤十字病院救命救急センター長)
さくいん
●活動内容(3頁)
1.石巻医療圏に駆けつけたのべ3633の医療救護チーム、約1万5000人を一つに組織してオールジャパンチームともいうべき「石巻県合同救護チーム」を立ち上げ、統括した。
2.約300カ所に及ぶ避難所から継続的に情報収集して、極限状況下でのさまざまな医療ニーズに応えながら、ときには「医療」の範囲を超えた活動まで展開した。
3.災害直後の「急性期」を過ぎて「慢性期」に入ってからは、打撃を受けた地元医療機関が再生するまで医療支援を継続し、地元医療に��ムーズに引き継げるように努めた。
●救急患者(23頁)
発生当日の3月11日に搬送された急患数は、わずか99人だった。(想定3000人)
(まだ水が引かず、連絡手段、搬送手段がなかった)
翌12日は、急患数は779人に上った。
(水が徐々に引いて、応援の救急車、自衛隊車両、各種ヘリが投入された)
13日の救急患者数は1251人、病院に63機のヘリが飛来した。
●情報が無い(69頁)
「情報は向こうからやってこない」
災害救護にかかわるものには「情報が無いからできなかった」という言い訳は通用しない
「HELP」の声が聞こえない、見えないのは、そのこと自体が「HELP」のサインだと捉えるべきだ
●食糧が(75頁)
3月17日から3日間のアセスメントの結果、震災発生から1週間以上も経過しているにもかかわらず、食料が全く届いていない避難所が35カ所もあることが分かった。直ちに石巻市役所にその情報を提供し、早急に改善してもらうように要望した。
避難所アセスメントで、トイレ環境などの衛生状態が劣悪な避難所が100カ所もあることもわかった。
●ラップ式トイレ(84頁)
ドア付きで、中をのぞいてみると様式のトイレがある。室内設置が可能な仮設トイレだった。この仮設トイレは「ラップ式トイレ」といい、排便の際は便を受ける袋にあらかじめ薬剤をまいておくのだという。そこに排便すると、便や尿が薬剤の作用でゲル化するのだそうだ。さらにトイレについているボタンを押すと、ゲル化した便や尿を包む袋が熱シールで密封・梱包されるというものだった。
●簡易手洗い装置(88頁)
簡易手洗い装置とは、布製の貯水タンクに水を入れ、蛇口のついたパイプを接続するというもので、難民キャンプでの救護活動などでよく使われるという。
●被災者が必要とすることなら(96頁)
僕たち医療に従事する者の至上命令は、「救える命を全力で救う」ことに尽きる。救護チームの誰もが自らの活動を「医療」のみに限定せず「被災者が必要とすることなら何でもやる」という姿勢で臨んでいた。
●二週間過ぎても(101頁)
これまでの災害医療の常識では、発生から2週間も経てば急患数は平常時に戻るとされていた。2004年の新潟県中越地震や、2008年の岩手・宮城内陸地震でもそうだった。その2週間が過ぎても、急患が減る兆しは見えなかった。
●どうしたらできる(122頁)
災害救護の現場に必要なのは、次々に現れる問題に際し、「こうあるべき」とか、「誰がやるべき」などという「べき」論を唱えることではなく、「どうするか」「どうしたらできるのか」と救護者一人ひとりが知恵を絞り、皆で協力して実現可能な解決策を生み出すことである。
●職員派遣(139頁)
新潟県の各団体は、医師や看護師以外にも多くの病院職員らを派遣して、合同救護チーム本部のロジスティック機能をも支援してくれた。
●行政を動かすコツ(156頁)
まずこちらで具体例を示すことだ。
「ラップ式トイレ」や「簡易手洗い装置」を僕たちが設置したとき、その後、行政は多くの避難所に同様のものを設置してくれた。
●行政が対応すべき問題(210頁)
避難所の管理、罹災証明の発行、瓦礫の撤去、ライフラインを含むインフラの復旧、ごみ収集、食糧配給、仮設住宅建設、埋葬・死亡証明書など亡くなった被災者に対する種々の行政手続きなど
●「意志」(232頁)
あの日から「いま踏ん張らないでいつ踏ん張るんだ」「いまベストを尽くさないでいつベストを尽くすんだ」と絶えず自分に問い続けてきた。
●彼(石井正)は何をしたのか(258頁)
①仕事を医療に限定しない
②情報は自ら取りにいく
③実務者どうしの「顔の見える関係」を
④災害医療は病院全体で取り組む
⑤被災地の医療者がリーダーシップを
⑥災害医療のエキスパートを活用すべし
⑦救護活動に欠かせない情報共有
⑧実践的な訓練やマニュアル作成が「備え」になる
☆関連図書(既読)
「ふたたび、ここから-東日本大震災・石巻の人たちの50日間-」池上正樹著、ポプラ社、2011.06.06
「石巻赤十字病院、気仙沼市立病院、東北大学病院が救った命」久志本成樹監修・石丸かずみ著、アスペクト、2011.09.06
「石巻赤十字病院の100日間」由井りょう子著、小学館、2011.10.05
「奇跡の災害ボランティア「石巻モデル」」中原一歩著、朝日新書、2011.10.30
「海に沈んだ故郷(ふるさと)―北上川河口を襲った巨大津波 避難者の心・科学者の目」堀込光子著・堀込智之著、連合出版、2011.11.05
「さかな記者が見た大震災石巻讃歌」高成田享著、講談社、2012.01.06
「ボランティアナースが綴る東日本大震災」キャンナス編、三省堂、2012.02.15
(2012年3月22日・記)
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強力なリーダーシップで、震災時の災害医療を引っ張った方のナマの記録。
被災地への医療提供というプロジェクトの立ち上げから終息までが、評論ではなく実践者の視点で綴られており、著者しか記し得ない貴重な書となっている。
医療人でなくとも本書を通して得られるものは多く、特に何らかの現場を担当する人は必読だと思う。
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医師は元々社会的な使命の強い職業ですし、医師自身もミッション性が高いことが重要ですが、この本を執筆した石井さんは災害医療という究極の現場で、その本領を十二分に発揮した存在です。医療現場という特殊な環境は時には閉鎖性という弊害ももたらします。しかし、彼は外科医師であったため、日頃から兼ね備えたリーダーシップを生かし、石巻の再生のために全力を尽くすというぶれない姿勢の下に、全国から集まった3633の医療救護チーム約15000人というにわか大所帯を統括、石巻圏における22万人の医療救護活動を支え、医療崩壊の危機から救うというミッションを果たしました。
石巻赤十字病院を拠点とする彼の活動の様子は、昨年何回かNHKの特集番組で組まれていましたから記憶に新しいと思います。その場面で彼が全国から集まった多くの医師等を前にして、「千年に一度の国難です・・」と組織の大方針を打ち出し、ともすれば功名心や自意識の強い医師たちを統制していたのが強烈な印象でした。
彼は、自分自身を例えると、平凡な外科医であり、たまたま地震のひと月前に宮城県知事から「災害医療コーディネーター」の役割を委嘱されたからだとしていますが、そういう役回りが巡ってきた時にタイミングよく大任を果たせるのも、これまでの彼の生き様から成しえたことだといえます。
この本の中で、仕事をする上で大事なポイントが、太字で書かれています。その中でも、「緊急時や非常時に自らの活動を限定するほどナンセンスなことはない」として、本来なら行政がする避難所の管理など多くの仕事を手掛けた経緯はとても重要なことだと思いました。ややもすると「〇〇がすべきだ・・とか、そもそもその仕事は・・・」の意見が出るのですが、彼はその意見に「災害現場に評論家は要りません」と切って捨てたのも痛快でした。
そして、私自身も自らを振り返って、行動もしないで意見ばかりいってないか、こうしたらどうだとか知恵を絞る工夫を怠っていないかと、改めて胆に銘じました。
この本の解説でこの現場に共に闘った他病院の先輩医師が、”誰もが石井正になれるわけではない。だが、本書はこれからの災害医療にとって確固たる指標となるはずだ。”と結んでいます。
歴史は繰り返します。是非ともこの体験から多くのことを見習ってほしいものです。
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著者の本音で書かれた記録。多くの人たちが協力し、被災地で闘っていたかが臨場感をもって描かれている。
筆者の情熱と強い意志が伝わってくる。
石井さんの「雇用の促進を」という言葉が印象に残る。
支援は状況とともに変化していく。
今回のような大災害に備える為には地域レベルでの訓練・対策が必要であると強く思った。
とてもシンプルで、読みやすいし、多くの人に読んでほしい1冊です。
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石巻赤十字病院の石井医師のブレない哲学、災害における支援のリーダーシップに感銘を受けました。
改めて東日本大震災の被害の大きさとともに、チームでボランティア活動や災害に強い街づくりを行う重要性を知りました。
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前にNHKのドキュメントがかなり印象深かったので、表紙の石井氏に思わず手にとった。
自分がすごいんじゃない、と再三本文中で言っているけど、いや十分すごい。陳腐なコトバだけど、その一言。
これほどの災害が、生きてる間にまた起こるかわからないけど、頭の片隅にこの人の言葉があるかないかで、いろいろ違ってくるんじゃないかと思った。職場の災害対策を考える参考にもなった。
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支援等々があまりにも石巻赤十字に偏っていたと言う人もいるが、ここが拠点になったのは平時からそれだけの備えをしていたからこそだということが分かる。
真っ暗闇の市内、その中に浮かび上がる石巻赤十字の建物が思い起こされた。
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石巻赤十字病院の外科部長・医療社会事業部長である著者が、宮城県より災害医療コーディネーターを委嘱された直後に東日本大震災を経験し、石巻医療圏の医療崩壊を救うべく奮闘した7ヶ月間の記録である。東日本大震災の史上類を見ない被害状況を客観的に描きながら、約1万5000人にも上る医療救護チームを率いた様子を著している。著者は、自身を「調整官」と評しているが、「人の命を救う」、「医療崩壊を防ぐ」という目標に向かっての強いリーダーシップと熱意には脱帽した。「これは官(あるいは民)の仕事だ」と線引きをしようとする人がいる中、著者は線引きなどせず、「誰であればその役割を全うできるか」を常に意識しながら行動していたように思う。著者のその熱意と、そして未曽有の大災害を前に、医師や行政、民間企業、ボランティアなどの多くの人たちが自分たちの役割を超えた活動をし、その結果、石巻医療圏の医療崩壊は防がれたわけである。災害対策と同時に、自分の仕事に対する姿勢を見つめ直す作品であった。
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東日本大震災で最も被害が大きかった石巻市だが、医療施設は赤十字病院を除いて壊滅状態となった。石巻赤十字病院自体が災害拠点病院だったということもあり、災害医療の中心として対応を進めた。この著書はその災害医療組織全体を統括したリーダーである。
内容は災害医療なのだが、これは組織に関わる全てのリーダーが読むべき内容に満ちている。活動方針とコンセプトの共有、避難場所のアセスメントによる優先順位付け、エリア分けと地域毎のチーム編成による組織編成、課題と解決への迅速な対応(フィードバック)、行政や民間企業との要請と交渉・・・・。これらが恐るべきスピードで進んでいく。著者は立場上、災害医療コーディネータではあるが、専門は外科医である。それがここまでマネジメントするのは驚異的ですらある。
このマネジメントの難しさはマネジメントをしたことがある人にしか想像できないかもしれない。人数は数百人。しかも別の地域や病院から派遣されたメンバーも多いので、文化も違う(事実、その問題は発生した)それを統制できたのは目的と活動方針、コンセプトを常に共有したことが最も大きいのだろう。まさにマネジメントの本質を突いている。
また、このスピード感を持てたのは、外科手術ではどんなに準備しても想定外な事は発生するので臨機応変に瞬時に対応が必要なので慣れっこだったとある・・・・。そうなのだろう。だがそれだけではなく土台がいるはずである。その土台を創るきっかけはDMAT(急性期に対応する医療派遣チーム)の組織力を岩手宮城の地震の時にみせつけられ、圧倒されたことではないかと思う。ここで著者は組織マネジメントの学習と訓練を重視したのではないかと思う。
文章自体も過度に熱いものではないが、感情的な言葉も点在しており当時の苛立ちを感じる部分もあるが、それを鉄の意志でおさえて判断、もしくは苛立ちを引きずり誤った判断をしたところもあるように思う。だが、その部分を著者はきっちりと書いている。(具体的にはボランティアについてだ。震災発生2週間の時期でボランティアが集まったが、彼らが酒盛りをしているところをみてしまったのだ。当時、石巻では5~7万人の食事が不足している、あったとしてもおにぎり1個という状況だ。ここで著者は「ボランティアが怪我をしても消極的対応をするように」というややクレイジーな指示を内部に行っていた。だが、その後、ボランティアが必死に対応する姿をみて、全てのボランティアがそうではないと認識し、その指示を撤回する経緯を記載している。この部分は著者にとっては隠したい部分でもあるかと思うが、ページを割いて記載しているのだ)
そして驚きなのは、この状況下でデータ収集を非常に重点を置いて行っているという点である。これは対応の優先順位を把握するだけを目的としていない。次の災害に繋げるためのデータを残すという意思があってのことだ。振り返れば「やっておけば良かった」と思えることを「やっている」のである。この状況下で先=将来(次の震災)をみていたのだ。
最後の解説で「誰もが石井正になれるわけではない」と何度も繰り返しているのが、この著者の凄さを如実に表しているのではないだろうか。。
これを読む前に「石巻赤十字病院の100日」を読んでいたので、ある程度の情報を知っていたのだが、この著書はそこでの決断に至る経緯や視点が加わっている。内容も一部重複だが視点が異なっているので、まだよんでいない人はこちらも読んだ方が良いと思う。どちらもまだ読んでいない人
は「石巻赤十字病院の100日」を読んでから、この著書を読むことを強く推奨する
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表紙の帯に石井先生の大きな写真があって、正直前から気になっていた本だったが、抵抗感があった。
読んでみたら、写真そのものの意思の強い石井先生の獅子奮迅の記録。
しかし、その中でも災害法制に役立つ記述あり。
(1)DMATは当初48時間の緊急医療を対象にしていたが、今回は、津波で死亡した人が多く、生き残った人には長期的な医療支援が必要だった。(p233)
(2)イオンが仙南交通と連携して、無料医療支援バスの運行を行った。(p216)
開業医への足とある貴重な貢献。民間企業の貢献に頭が下がる。
(3)石巻市は、佐川急便にお願いして、救援物資の仕分けを行った。(p157)
ドコモが基地局を病院近くにつくったり、グーグルが検索システムをつくったり、民間の貢献が大きかった。このネットワークを事前に国レベルでもつくりたい。