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S字曲線をひとつ。
横軸は今日の所得。縦軸に将来の所得。
「S字曲線と貧困の罠」で、グラフや式は、以上。終了。
経済学出身のひとは経済学してないということになるのでしょうが、
ありがたいです。読んでよかったと思える本だと思う。
そして駒場の佐藤仁(だっけ?)の授業を思い出した。(結局単位とれたんだったかな・・・忘れた。)
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結局そこに貧困の罠はあるのか?そしてあるとすれば(もしくは本当には「罠」でなくても、そう見える原因があるとすれば)、そのボトルネックはなんなのか?について、延々今日わかっている範囲のこと、具体的な事例を検証し紹介していくつくり。
読んでいて、段々陥ってきたのは、貧困ってなんだっけ?と。
いや、うん。
「貧乏人」について書かれているのは確かで、そこからの線引きは、だから単純に所得の、金額という数字で。
いや、「貧乏人」の選択の合理性とか行動の「仕方のなさ」の詳細を見せられると、そう考えてるつもりはなかったのだけど確かに数字での線引き以上の線引きを自分も想定していたのだ、ということが良くわかってくる。
あまりにも「ふつうの」人間行動の積み重ねでしかなくて。
(「無知」なんじゃなくて、ちょっとそこのとこについて情弱で、しかも情弱でも何とかなるようなインフラのある環境にいないってだけじゃん、と。
だって私も水道の消毒の仕方とか、子供に是非受けさせるべき予防接種の種類とか効用とか、区から通知がきたから行かなきゃ、もしくは親が私に受けさせたらしいやつだから、この子にも受けさせなきゃ、ていうだけだもの。)
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訳者あとがきでもとりあげられているけれども、
「貧困は何千年も人類とともにありました。貧困の終りまであと五十年か百年待たねばならないのであれば、それはそれで仕方ないことです。
少なくとも、何か簡単な解決策があるようなふりはやめられますし、世界中の善意の人々・・・とも手を結べるようになります。」てのはかっこいいなぁ。。
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貧乏な人はどうしてみんなタバコを吸うのか?
自分自身の、無知、偏見そして自信過剰を思い知らされた。
汚職と賄賂にまみれた役人たち、べらぼうな金利の金貸し、酒、タバコ、SEXに溺れるだらしない人々。。。
テレビなどからの断片的な情報だけで、貧乏な国の人たちを無意識のうちに見下していたのかもしれない。
でも、貧乏な人たちも僕らと同じように分別も理性も愛情もあるし、僕らと同じように短絡的で目先の利益にとらわれやすい。
僕らと何も変わることのない同じ人間だということだ。
では、なんでこんなにも境遇が違うのか?
あたりまえだけど、そんなことを1つの理論で説明し、一発で解決する方法論なんてない。
経済学というと、どこか紋切型で机上の空論、リーマンショックを引き起こすような邪悪な学問というイメージだけど、この本で出てくる経済学は、個々の問題に対して貧乏な人達がなぜそんな選択をするのかを徹底的に解き明かし、どのように介入すれば効果が得られるのかということを考えて、ひとつひとつ実践していくことだった。
この本を読んで、あらためて経済学というものへの憧れを感じた。
NHKスペジャル「human」でも言っていたように、我々は信頼する力を持つことで人間となり、高度に分業化を進めていくことで今の繁栄を築くことができたそうだ。
貧困から脱出するカギは、どれだけ周りを信用できるようになるか、それによって余計な心配ごとをなくして自分の得意なことに専念できるか、ということなんじゃないだろうか。
それと、少し飛躍しすぎかもしれないけど、会社がどうしてもっと効率的に仕事ができないのか、ということも本質的には同じことなのかもしれない。もっと周りの部門や人達を信用することができたら、もっと効率的に仕事ができるだろうに。
そのときには、相手の悪意や狭量さを責めるのではなく、なぜそんな仕事のやり方をするのか、その意思決定の背景をよく考える必要がありそうだ。
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ファンダメンタルな理論の意見対立から現場の試行錯誤まで幅広く取り上げられて、貧困支援とか開発経済の問題意識を知るにはいい一冊。でもちょっと記述がだらだらしてかったるいかなー。アマルティア・センのほうがまだ読みやすかったか。
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貧乏人も、与えられた環境化で合理的な判断をして生活している。だから援助をする場合には、現場での人々の判断基準や、ささいな障害を正確に捉えることで効果的な援助が期待できる。
また、援助が無い状態では貧困の罠にはまってしまう場合には、最低限の援助を行うことは効果的であり、何も援助せずに住民の自由に任せるだけでは何も生まれないことが想定される。
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貧困にあえぐ人たちが、貧困から抜け出せない理由を分析した本。今日の食料に困るほどの貧困であれば別であるが、一般に稼ぎの一部を翌日に繰り越せれば貧困から脱出できるはず。しかし、実際には一定以上の収入がなければ、貧困のスパイラルから抜け出せないことをデータから示している。なかなか興味深い。
定期的に貯まった貯蓄で投資出来れば段階的にステップアップ出来るはず。しかし、収入の多少にかかわらずテレビのようなものの購入意欲は変わらないので、本来向けられるべきものにお金が使われないことあげられている。
多くのデータを提示して、説得力のある説明である。
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「貧困国の人も、先進国となんら変わらない人間なんだ」と思ったし、今までそういう偏見を持っていたんだなぁと気づいた。そして、富裕国の人はラッキーなだけなんだ、と。
10章は先進国の官僚にも示唆に富むと思う。
また、今までに「傲慢な援助」(W.Easterly)と「世界一大きな問題の解き方」を読んで「自由市場派VSビッグプッシュ派」(や「政府・研究者VS民間」)という二極でしかみれなくなってたということを痛感。
そんなふうに、「考えてみたら当たり前のこと」に色々と気づかせてもらえる本。
人間の心理とか、日本の問題とか、色々なものも見えてくるので、他の分野・問題への示唆にも富んでいると思う。
良書。開発経済学・貧困問題に少しでも興味のある人に是非勧めたい一冊。
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供給ワラーと需要ワラーという視点を比較しながら、マクロな社会調査データと、ミクロな実地調査を組み合わせることで、貧困の真実に迫る貴重な書籍。
私自身、知らず知らずに国連のミレニアム目標を盲目的に信じていたが、先進国の援助モデルは「貧困の罠」と言われる「貧困であるのは、特別な地理的/歴史的条件があるからであり、その罠から抜け出すためのビッグプッシュを行うべき」という(供給サイドの)論理に偏りがちである。
しかし、本書では、貧困であるがゆえに、多少の収入の増加があっても、それを将来の健康、教育などに投資することよりも、嗜好品によった食品、娯楽に投資しがちであることや、QoLを高めるといっても、情報の不足、(なにがQoL向上につながるかの)信念の稀弱さ、問題の先送り(デブスモーカー問題:分かっちゃいるがやめられない)が起きやすいと指摘している。
つまり、貧困の現場の行動原理と、私たちの身近な行動原理は、同じ人間だもん、変わらないよという見え方も生まれてくる。
だからこそ、大事なのはよい行動を「あと押し」するデザインであるという切り口には大変共感した。
本書では、供給/需要いずれかに偏ることなく、供給ワラーのアプローチではそれを受け取る側のマインドセットによってうまく機能しない場合を考慮すべき、需要ワラーのアプローチでは自由意思と市場原理が機能しない要因があることを想定すべき、と両者の弱みをみきわめつつ、強みを組み合わせるアプローチを提唱しているように思う。
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本書は最新の開発経済学の潮流をわかりやすく説明したものである。本書では、近年開発経済学の研究で見られるランダム対照試行の研究結果概要を、従来の開発経済学での議論と比較した上で解説している。結果として、従来の開発経済学での議論に整合的なものもあれば、そうでないものもあり、開発経済学での議論のリアリティを付与しているという意味で意義のある一冊である。もちろん、ランダム対照試行のいう分野が発展的であり、国や人種が違えば異なる結果が出ることだってありうるわけだから、本書で示されてるランダム対照試行の結果やその解説を鵜呑みすることは危険である。
ランダム対照試行は、大雑把に言えば開発経済学に行動経済学の手法を取り込んだものであるが、それのみならず(本書ではあまり解説されていなかったが)ミクロ計量経済学の分野とも非常に密接な関係にある分野なのだろうと感じた。具体的には、ミクロ計量経済学には、例えば教育政策といった政策に対する政策評価分析を行う分野があるが、そこで扱われるサンプルの仮定などは、まさにランダム対照試行におけるサンプルの仮定の議論と同質である。
もちろん、このようなランダム対照試行に対する批判もある。具体的には、その試行によってどこまで説明できるか、といった批判である。この批判は先述したミクロ計量に関わるものでもあり、ミクロ計量や行動経済学の発展にともないこれらの社会科学としての在り方が問われてくるのだと思う。
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貧困の経済学ではない点に注目する。
マクロ経済における「貧困」問題が、個別の事象においてし実態を表していないことについて細かく述べている。合理主義的な個人の経済活動ででゃまく、バイアスや購買心理、保険や貯蓄に対する姿勢について、個別の事象に詳しく、その対比の中で我々の購買活動の心理への洞察が深まる点が面白かった。
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V・バナジー、E・デュフロ(山形浩生訳)『貧乏人の経済学』みすず書房、読了。貧困からの脱却は経済学の主要なテーマ。本書は理論の単純な解答と論争より、現場取材と実験経済学の手法から等身大の解決を提案する。貧乏人は非合理でも怠惰でもない。状況下で合理的選択をしているが限界もある。
貧乏人は非合理でも誘惑に弱い怠け者でもない。目下の条件の中で合理的に行動しているにすぎない。では問題はどこにあるのか。例えば、子供たちを違う環境へ送りたい。しかしその選択は必ずしも合理的ではないということだ。
よくも悪くも教育が脱出へのチャンスとなる。しかし親たちには、子供を教育に通わせる魅力がないのも事実。勉強させるよりも働かせた方が収入は増えるし、教育とは金持ちエリートの特権という思いこみも存在する。
貧困撲滅の特効薬は存在しない。先ずは、貧乏人の声に耳を傾け、彼らの選択の論理と現状を理解することから始めよと著者はいう。貧困は不可避に再生産される。だとすれば「目の前の不正義を解決する知恵を出す」(セン)しかない。
途上国の犠牲の上に活動が成立する先進国の人間には(勝ち組でも負け組でも)貧困の実態はよく分からない。本書は副題の通り「もういちど貧困問題を根っこから考える」。経済学の素人でも読みやすい一冊。支援か自立かの二元論の襞に分け入る。
スピヴァクの言葉を思い出す。「フーコーらは資本主義下での抑圧構造を分析し、抑圧される側が社会変革の主体であるかのように説いた。しかしその理論は、経済発展を遂げた先進国でしか妥当しないという。しかも、先進国の住民は金持ちも貧乏人も、第三世界の経済的犠牲の上にいる『勝ち組』だ」。
声は奪われ続けていく。
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目から鱗とはこのこと。
従来までの貧困研究における見方は、政府(サックスなど)VS市場(イースタリーなど)という図式が大方のところだったが、もっと現場重視の、理論と実践に基づいた書籍である。
行動経済学と密接に関係しているとは思わなかった。
これからイースタリーやサックスらの書籍も読んで、それを踏まえて改めて本書に戻ってきたい。
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経済学のけのじも知らないですが…
政府などが行う、ボトムアップ的な施策には対象者が豊かになることに寄与しないものもあるということを分かりやすく解説してくれていた。
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山形訳なので購入してみる。珍しく語尾がですます調なので上品な語り口。
途上国への支援は有効か否か。根拠無く支援するひともいるし、支援しなくても無駄だという意見もある。よかれと思って提供した資金や物資は果たして彼らを幸せにするのだろうかという疑問を先進国の人間は抱く。しかしこの本を読んでも実はそれははっきりしない。結局はっきりしないということがこの本を読んで分かることになる。成功する例も失敗する例もどんどん紹介されるのだが、その是非はこの中ではあまり問題にされていない。
後半、訳文の接続詞の使いかたがラフになっていて(「で、」とか)翻訳にムラがある印象。巻末の訳者あとがきは、いつもの山形節で頭に入ってきやすく、自らシンクタンクでの経験も照らしあわせて本音を率直に語っている。本文はいささか取り澄ました雰囲気なのだが、その部分も原典に合わせた訳としたのだろうか。
(貸出中)
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各所で評判の"Poor Economics"、評判に違わず物凄く面白かった。一度読み始めたらページを繰る手が止まらなかった。
一見不合理な選択を続ける途上国の人々の意思決定の裏にはどんな論理があるのか。そしてその論理に耳を傾けることで、はじめてどんな援助が有効なのか答えが得られる。
「サックス・イースタリー論争」をRCTの快刀で乱麻していく爽快感。色んな人に勧められたけど、自分からもオススメ。
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大分前に、あまり中身を確認せずに、貧乏人の面白おかしい話と勘違いして買った。読み始めて、しまった、と思ったけど、これが面白かった。
著者は、貧困の現場で、いかに実効性のある対策プログラムを開発するかというお仕事をされている人たち。
ばらまけばよいというものではなく、人々をいかに動機づけるか、ということが問題になってくるという面は、少し、経営などの問題とも似ていると感じる。
貧困と聞くと、またかわいそうなアレとかやるせないアレを聞かされるのじゃないか、と身構えてしまっていたのだけど、僕は、貧困に対するという事がどういう事なのか、実は全くわかっていなかった。これは予想以上にサイエンスだ、と思った。