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福井晴敏 著「小説・震災後」を読みました。
東日本大震災後、東京に住む平凡なサラリーマンの家庭が舞台。原発事故を経て、希望を失い心の闇にとらわれてしまう息子。その息子に希望を取り戻すためにあがいていく家族。そして、祖父・父・息子の三世代が紡ぐ「未来の物語」が語られていく。
フィクションでありつつも、そこに描かれている世界はまさに現実の世界、現実の家族であり、自分の家族や子供たちのことを考えずには読めませんでした。
あの震災後、どの家庭でも今の生活のあり方やこれからのことをそれまで以上に考えずにはいられなかったと思います。
そこに、未来や希望を見つけることは大変なことでした。
しかし、作者が描くように、これからの世代の子供たちに前に進むべき未来を見せていくことが、今社会を支えている私たちには必要なのだと強く感じました。
この小説で知った明るい未来を感じさせる新技術が現実のものとなることを一人の大人として期待したいです。
自分の子供たちにもこれからの未来が思い描けるように自分自身の生き方を見つめていこうと思います。
作者福井晴敏の熱い思いが描かれた小説でした。
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未曾有の被害をもたらした東日本大震災。
あの日を境に、日本中を包んだ「闇」。
主人公である野田の息子の心に巣食った闇を中心に話が進む。
息子、父、祖父、それぞれの思い。葛藤。
いろいろな気持ちを抱え、どうやって「震災後」を生きていくか。
忘れてはいけない大惨事。でも、若い世代はこの「震災後」を生きていかなくてはならない。
主人公野田が、息子に、子供達に話しかける。
「こんなときだけど、そろそろ未来の話をしようか」
前を向いて生きていくことの大切さを再認識しました。
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書いてることは否定しないけど、青くさく、説教くさい。セリフが全部説明ってどうよ。小説じゃなくてよし。
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期待感バリバリで読み進めた前半・・・そして、いっきに失速した後半orz
もっと丁寧に読めば響くものもあったのかもしれないけど、
それを言えば、丁寧に読ませるだけのモノがなかったということで、演説を聴いていた子供達もそうなんじゃないかな?
渥美さんが出て来た!ってところだけ興奮したわ。
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二〇一一年三月十一日、東日本大震災発生。多くの日本人がそうであるように、東京に住む平凡なサラリーマン・野田圭介の人生もまた一変した。原発事故、錯綜するデマ、希望を失い心の闇に囚われてゆく子供たち。そして、世間を震撼させる「ある事件」が、震災後の日本に総括を迫るかのごとく野田一家に降りかかる。傷ついた魂たちに再生の道はあるか。祖父・父・息子の三世代が紡ぐ「未来」についての物語―。『亡国のイージス』『終戦のローレライ』の人気作家が描く3・11後の人間賛歌。すべての日本人に捧げる必涙の現代長編。
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小説という場で自分の言いたいことを言っているので最後のほうはひたすら聞いているだけになるが、その主張の中で「未来と将来は違う。未来を考えるべき」というのには共感。世の中は成熟しきっていて、この15年ぐらいの激しい進歩は一般人レベルでは想像することができなくなってしまっているため、現状の負の面ばかりに焦点を当てげんなりさせることしか大人はしていない。プラスの面はなにひとつなく、高齢化や原発などシビアな局面をどうやって乗り切っていくか、ということしか語られない。そんなことばかりを聞かされながら大人になっていく今の子ども達はこの先をどうやって生きていくのだろうか。
震災がきっかけではあるが、今まで考えたこともかいような、そんなことを考えさせられる。
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人類資金を書くに至った作品ではないだろうか?
後世に何を残すのか?
そんな難しく考えることはなくとも、我が子には幸せな世界を残したいという気持ちを持つのが普通の親ですね。
私もその一人だと自負しますが、東日本大震災のあと、原発問題がさかんに議論されても電力不足で現在の生活レベルを下げることは無理だと諦めの境地に立ったのを思い出します。
そんな中、自分一人の力ではどうすることもできないじゃないか?と簡単に割りきり喉元過ぎればという感じで、普通の生活に戻ってしまってる自分を戒めるきっかけとなりました。
ちょうど娘が高校進学、息子が中学進学というタイミングで、この作品に出会えたのはきっともう少しちゃんと考えろと言われているような気もします。
何ができるかはわからないが、きっと何かできる。そう信じて自分に出来る精一杯をやっていこうと思います。
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息子にどんな未来を残すのか、残してあげられるのか、そんなことを少し考えてみたいと思った一冊。取り扱っているテーマをみて何気無く手に取った一冊だったがなかなか良い本でした。
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先の震災を題材にある家族を通して、人が生きることの意味を描いた小説。細かい部分では青臭く聞こえてしまう部分もあるけれど、描いているテーマはローレライと同じ。それは私自身、若かりし日に仕事の方向を決める時に考えたことと通じるものがあり、すんなりと受け入れられる。
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小説に名を借りた「未来」へのメッセージ
久々に福井さんの小説を読みました。
「亡国のイージス」以来、福井作品はよく読んでいましたが、この作品にも、やっぱり脇役ながら出てくるんですね。市ヶ谷とか...そして、おじいちゃんがまた格好いい(笑)
震災から3年たって、改めて、本作品で震災後を振り返ることができました。震災後、原発事故後の日本での行動の総括と、その後の未来を語る作品となっています。
自分の子供、さらにはほかの子供たちにどんな「未来」を残せるのかを考えさせられました。
主人公は平凡なサラリーマン。震災後の原発事故を含むさまざまな出来事がすべての人の希望を失わせていきます。そんなさなか、息子が起こしたネット上の事件。
震災後の家族の不安、そして未来への不安の中、なぜか、主人公の父親がそっち系の重要人物だったりして、とてもミステリアス(笑)そんな格好いい父親との交流を通して、主人公が一歩踏み出し、そして、息子と向き合い、メッセージを託す、そんな感じの物語。
エネルギー問題をどう解決するかも、本書の中では語られていますが、その解決策がどうこうというよりも、未来を見据えて、まずは、一歩を踏み出そうっというメッセージを強く感じました。
「将来は放っておいても必ずその人のものになるけど、未来は必ずやってくるとは限らない。見よう、見せようとしなければ見れないし、手にも入らないもの…それが未来です」
私たちは子供たちの未来に何を見せてあげらるのでしょうか?
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エンタテイメントではない。
血沸き肉躍るような興奮も無ければ、スカッとする結末が待つわけでもない。
“家族小説”と銘打たれてはいるが、これはむしろ……福井晴敏の思想表明本、とでも位置付けるのが正しいだろうな。
彼の、いくつかの代表作すべてに共通する筆者からのメッセージが、本書はより強く感じられるから……。
決して楽しく読めたわけではないし、筆者の主張に全面賛成なわけでもないけれど、読んで損はない一冊かと。
★4つ、7ポイント半。
2015.04.08.古。
“渥美”は、明らかに記憶にある“あの人物”だとして……、主人公の父も、設定的には(現役を退いて10年?)、例の代表作に登場していたのかしら??
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うーん。説教臭い。
とにかく主人公のセリフを借りて、著者のあつーーーーい思いが述べられていて、ちょっと疲れる。
問題になった、「闇」っていうのにも、あんまり共感できなかった。
だって仕方ないじゃない。それでも生きていくんだから。
そうおもう私は、やっぱり「女」なのかなー。
だからか、小説の根幹になる、問題に共感できず。
家族間のトラブルにも共感できず。
震災の話題はちょっとフレッシュすぎて、痛い。
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読んでいるうちに、あの時の気持ちがよみがえる。
やっぱり苦しくなる…。
子供たちの未来と将来について、とても考えさせられた。
親父と妻は芯が強くて、主人公のダメっぷりが際立つが、
これが私自身も含めて、大多数なのかもしれない。
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1.著者;福井氏は小説家。映画好きで、映画用シナリオを書いていたのが小説執筆の契機。大学中退後、働きながら小説を書き始めました。「川の深さは」が話題となる。「Twelve Y.O.」で江戸川乱歩賞、「終戦のローレライ」で吉川英治文学新人賞、「亡国のイージス」で大薮春彦賞などを受賞。「福井氏は、究極の状況を作り出し、そこにおける“人間”のあり方を浮かび上がらせるという手法を多く用いてきた作家」と言われています。
2.本書;東日本大震災(マグニチュード9.0・最大震度7・死者15,900人という戦後最大の大地震)での大津波と福島第一原発の事故をモデルに書かれた作品。震災後の日本人の狼狽と不安を描き、未来に向けた問題・課題を提起。主人公である野田と父親の言葉の重み、息子の未来への期待が心に浸透します。福井氏は「今まで自分が書いた作品の中で、一番読んでもらいたい大事な本」と言っています。
3.個別感想(心に残った記述を3点に絞り込み、私の感想と共に記述);
(1)「日本は現場力(前線・会議等の広い意味)の国だ。何としても危機を乗り切れ、法整備も含めて必要なものはすべて用意する。トップがそう言ってくれれば、現場は命に替えても不可能を可能にする。資源も信用もない敗戦国が、経済大国の仲間入りを出来たのも現場力のお陰だ。・・安定した社会では上の方から現場意識が失われてゆく。規定のルールに頼り、自己判断の責任を回避して、想定外の事態に対して腹を括るという事ができなくなってしまう。プロ意識の欠如だ」
●感想⇒組織は大きくなればなるほど、規則やルールを重んじます。人を一枚岩に束ねないと職務遂行出来ないと考えているからです。確かに、それは一理あります。しかし、ルールで対処困難な場合には現場の知恵が極めて重要です。上司も部下も、ルール通りに仕事をしていれば、楽に決まっています。人の上に立つ者は、いざという場合に、解決策を見出せない時は、現場を知り尽くしている者に任せ、責任はとるという度量が必要です。私は色々な上司に仕えてきました。事なかれ主義で責任を部下や同僚に転嫁する輩が多かった気がします。そうした中で、「事実を隠さずに説明してくれ。責任は俺がとる」という上司もいました。彼からは、組織人としての多くの知恵を学びました。
(2)「日本に取り憑いた“闇”は、すでに次の局面に入っている。忘却だ。心に傷を負った事、その前後に感じた事を丸ごと忘れ去り、縮こまった精神を復元させようとする。回復に向けた重要なステップであるが、突きつけられた問題(地震大国で原発を運用するのはリスクが大きすぎる)も忘れてしまっては・・。犠牲から何も学ばなかった復興など無意味だ。もう一度、失われた未来を取り戻す為に」
●感想⇒嫌な事が起きると、“時が解決”とばかりに、問題の要因を突き詰めて、対策しようとしない人がいます。確かに、嫌な事は忘れる事も必要でしょう。“人の噂も七十五日”とばかりに、忘れ去り、また同じ過ちを犯す事もしばしばです。以前某社(製造業)を見学する機会がりました。正門を入ってすぐに品質棟という建屋があり、見せて貰いました。中は、“失敗に学ぶ”事例で埋め尽くされていました。製品品質の保証は、重要課題との事。震災に関しても、“個人への啓発と共に、後世まで語り継ぐ”取組みは、大変良い事です。忘却の一言で済ましては決してならないと思います。
(3)「問題は、社会の仕組みが依然として成長を求め続けているという事です。・・経済成長する代わりに失業者が増え、一人一人の負担が大きくなり、格差が拡がるというのでは本末転倒もいいところです。幸福と繁栄という人類共通の目的に対して、今の仕組みはもはや最適とは言えない。・・仕組みを変えずにそこにこだわったら、日本は世界の中で置き去りになってしまう。・・それは未来じゃない。停滞の果てに訪れる黄昏、緩やかな自殺にも等しい」
●感想⇒社会は、どの分野でも成長する事を目標にしがちです。豊かな生活を目指しているからでしょう。企業は活動や決算数値・・など、前年・前回より向上したいと考え、切磋琢磨します。それを周囲が良否の判断基準としているので、止むを得ない面もあります。しかし、現在は地球温暖化や食糧危機等で、将来に疑問を投げ掛けられています。成長指向はある部分は認めざるを得ないと思うものの、行過ぎは子々孫々にまで、大きな負担(環境・借金等)を背負わせるのは自明の理です。先ずは幸福とは何かを考え直す事です。物心のバランスはいかに。それには、個々人の意識改革、良識・実行力のある政党・政治家選び等が重要でしょう。
4.まとめ;「関東でマグニチュード7級地震が起こる確率は70%、東海に至っては80%以上。地震大国で、原発を運用するのはリスクが大きすぎる。今回の震災で得た、それが最大の教訓だ」とあります。東京電力の“福島第一原発廃炉への中長期ロードマップ”では、40年ですべての工程を終える事になっています。しかし、「40年廃炉は無理。100年、200年という長いスパンで考えるべきだ」 という専門家もいます。大量の放射性廃棄物の後始末は先送りされたまま。震災から11年経ちました。原発のあり方のさらなる検討と対策を願ってやみません。また、震災に向けては「なるようになる」ではなく、個人は出来る事(防災対策・避難訓練参加など)を確実にやるのが最低限の責務です。絶対神話はありません。本書の解説を書いた、石破茂氏の言葉「“人間は歴史に学ぶ”というのは嘘で、“人間は歴史に学ばない”というのが歴史の最大の教訓」は納得出来る名言。(以上)
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2011.3.11に発生し、未曾有の事態となった東日本大震災。本書は、同年6月から「週刊ポスト」で連載され、同10月に刊行された単行本「震災後」の文庫化とのこと。解説が、あの石破茂さんというのも凄いですね。
読みながら、著者のリアルタイムでの正確な知識と状況把握に驚きながら、発災直後のことを思い起こしました。内容がとてもリアルで、敢えて「小説」と付けたタイトルの意味を考えてしまいます。重いイメージと共に、どんな伏線が仕込まれているのか等、想像力を掻き立てられました。
東京で暮らす野田一家、特に祖父・父の姿と言葉を借りて発する、著者の熱いメッセージ性が強く、時間が経過した今となっては、くどい或いは説教くさいなどと揶揄されるかもしれません。
しかし、震災直後の収拾のつかない混乱ぶり、政府・マスコミ・国民が右往左往し疑心暗鬼になり、相手に対する配慮の欠如が誤解を生み、誤解が嘘を招くという負のスパイラルが起きる描写は、生々しく色褪せずに甦ります。
今振り返っても、人間の弱さ・愚かさを感じ、ここ3年ほどのコロナ禍にも教訓は生かされていないなと、つくづく感じます。
被災地のボランティア経験は、野田の息子に自己有用感と共に、高揚感の反動としてボランティア・シンドロームの引き金になり、事件につながってしまうのでした。
個人的には、特に野田家と被災者との関わりの場面には涙を誘われました。こうした、人との関わりの中で、進むべき道を見出そうとする物語に比重がもっと置かれていたら、より共感できたのかなと思います。
それでも、祖父から父へ、そして父から息子へ、希望をつなぎ未来を示そうと、その方法を模索し伝えようとする姿勢そのものが、明日への道筋と受け止めました。