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人間として、親として、至極まっとうな感情が詠まれている。
また避難先の南の島で、子どもが本来の自然の感覚を取り戻していく姿も感じられる。
この想いを、作者の選択は、勇気のあること。
安全とか、直ちには、とか誤魔化して、子どもたちを放射能に曝すことが勇気あることでは、決してない。
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3.11後仙台を離れた俵万智さん
母親の子どもへの愛情が伝わってくる。
子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え
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(No.12-35) 短歌集です。
私は短歌にはあまり関心がないので、俵万智さんはとても有名な方ですが「あれから」でなければ多分読まなかったでしょう。
仙台に住んでいて小さなお子さんもいたことも知りませんでした。
万智さんは、強い人だと思う。
自分の行動や思ったことを作品にして出版する。
誰が読むのか分かりません。私なら恐くてそんなことは出来ない。
作家、芸術家とは、作品をつくることはもちろんですが、それを発表することが出来る人たちなんだと改めて思いました。
作品の中からひとつだけ。
「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」
もし万智さんが母でなかったなら、どうだっただろう。子がいたからこんなに強くなったのかもしれない・・・。
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しっかりとした、母でした。
万智ちゃんがぁ~。
の歌詠んでたよね。
物語のように。
あの日(3.11)からの時の流れ。
想いが母目線で綴られていて。
一貫しております!
仙台在住だったコト。
息子さんとの離島暮らしを選んだこと。
知りましたぁ。
旅人の
目のあるうちに
見ておかん
朝ごと変わる
海の青あお
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自分が、マリオになっているんだね!
「かーかん、はあい!」は、エッセイだったけど
やっぱり、短歌がいいな。
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【まだ恋も知らぬ我が子と思うとき「直ちには」とは意味なき言葉】
俵万智といえば、『サラダ記念日』と『チョコレート革命』がむかし実家にあって(おそらく母が買った本)、読んだ記憶がかすかにある。20代の前半でベストセラーをたたきだした万智ちゃんも、もう50だ。そして、シングルで子どもを育てる母になっていた。
日経夕刊のコラム「プロムナード」で、今年の上半期には週に一度、石垣島で暮らす日々のことを書いていた。それを読んで初めて、仙台で暮らしていた俵万智が、地震と原発がおさまるまでと小学生の子どもをつれて西へ向かい、いろいろな縁もあって石垣島に暮らすことになったと知った。
そのコラムでも引かれていた歌をふくめ、震災から数ヶ月のあいだの歌がまとめられ、一年目の3月11日に出された。
【係員の入力ミスか「日本は終了しました」とある掲示板】
(6/24了)
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俵さんのように、どこででも出来る仕事で、お金にも余裕があるのなら
子どもを少しでも不安のない場所で育てることもできるのだ。
その嫉妬から、3.11の後バッシングがあったのだろうが、
それは俵さんにしたところでまったく意味がないことだと歌集を読んでおもう。
子を守る 小さき虫の親あれば 今の私は これだと思う
汚染米を 「おせんべい」と誤読して 子は駆けゆけり 秋の陽のなか
ありふれた心が後ろめたくなる花をきれいと思うことさえ
汚染米の歌が印象に強く残る。
3・11後と前で使用頻度が高くなり、生まれた言葉がある。
汚染米、ベント、直ちに…
それらの言葉と現実にいまもまだ上手く向き合えない。
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「俵万智3・11短歌集」という本が目に入ったので、
早速借りて読むことに。「3.11」、この数字が目についたら、
私はもう見過ごすことが出来ない。
あの日から1年と4カ月が過ぎようとしている。
たったそれだけしか、もしくは、もうそんなに、
と、人の思いは様々だろう。
「風化」、これが人の世界の自然なありようだけれど、
けれど、そんなありように、やっぱり逆らいながら、
思いをずっと一緒に・・、と思う自分がある。
印象に残った短歌。
「電信柱抜けそうなほど揺れていた」
震度7とはそういうことか
ゆきずりの
人に貰いし
ゆでたまご
子よ忘れるな
そのゆでたまご
仙台に電話をすればそこにある風呂なし食料なしの生活
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宮城に住んでいた俵さんが震災後、沖縄に行き、住む中で思った短歌をつづった一冊。
昨日の授業で、放射線について言っていた。60歳を超える先生は問題ないけれど、まだこれから子どもを産む世代、もちろんその子どもも、放射線がDNAを傷つけるんだそうです。
それが自分の産む子供に伝わっていく。震災によって守らなければいけないものがあった人たちは決断をしなければいけないことがたくさんあって、より強くなっていったのではないかなと思った。
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震災1年後に出版され、ネット上でも話題になっていた歌を含む短歌集
3.11当時仙台在住だった彼女は一人息子を連れて結局石垣に移住した
震災後家族と仙台に引っ越してきた私とは真逆の決断
「今」「ここで」「私は」子供たちのために何ができるだろう???
色々考えると★いくつとは言えなくて…敢えて…「評価しない」
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友達が貸してくれた。『架空列車』に続き、震災を思いだす、詩集。
こどもの明るい様子に助けられたことが伝わってくる。
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まだ恋も知らぬ我が子と思うとき「直ちには」とは意味なき言葉 子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え 子どもと過ごした東日本大震災後の10か月を詠んだ短歌集。
どれが正しいとは言えない。
どれがいけないとも言えない。
せつないです。