紙の本
終末医療の渦中にいる自身の未来の姿をふと思ってしまうリアリティ
2012/06/10 15:39
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投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
水村美苗『母の遺産』は、その副題の「新聞小説」に、かなりの意味がある。著者の最初の小説を別とすれば、『私小説』『本格小説』と、これまでの小説はいずれも小説の一種のジャンルというべき名称をタイトルとしていて、今回の作品も、それに連なるものと考えてよいからである。
『母の遺産』は読売新聞に連載された「新聞小説」だが、『私小説』が著者自身とその周辺を描いたもの、『本格小説』がドラマティックな骨格をもったものだとすれば、連載を続けて読みやすい、あるいは連載の途中でも興味をもたせる、といった日本的なエンターテインメント性のある小説である。老いた母親の介護、そして長年連れ添った夫の浮気という題材自体も、一般的な関心の範囲内にあるといえる。
同時にのちに、「新聞小説」とは主人公の祖母がそれを読み、そのために主人公の大変な介護の対象となる母親がこの世に生じることになった尾崎紅葉の新聞小説『金色夜叉』を指してもいることが明らかになる。複合的な意味合いが「新聞小説」にあることがこれで分かった。(図書館の本を読んだので、帯文がそのことにふれていたのは後で知った。)
最近は日本の小説をあまり読んでいないのだが、興に乗って二日間で500ページ以上の本書を読んでしまった。面白いことは認めざるをえない。
以下に記すのは、ストーリー上、少し気になった部分であるが、未読の人は予備知識のないほうがいいかもしれない。主人公、美津紀はわがままな老女の母親が転倒骨折し、その介護にあけくれるが(その大変な過程が本作の中心をなす)、ふとしたことで夫に別の女がいることを知ってしまう。入院した母親の面倒に忙しいなか、大学教授の彼はベトナムに「サバティカル」で旅立つ。忙しさと夫への不信のせいで、美津紀は母親が病気で亡くなっても、そのことを知らせないままにしておく。また以前、夫の浮気は二度ほどあったのだが、そのときより相手が若そうな今回の浮気(というより、それ以上のもの)を知ったことも夫には黙っている。
ところで主人公は夫のパスワードを知っていたため、ベトナムにいる二人のeメールのやりとりを読んでしまうのだが、そのなかで女が計算高いことを知る。
《女は哲夫の年収、貯金や株の総額、マンションのローンの残高、さらには美津紀のおおよその年収まで知っていた。〔略〕そして、別居の話もまだ出ていないのに、話し合いだけで済む協議離婚なるものを成立させるため、美津紀に分けるべき財産を計算してきていた。》
ここで本書のタイトルとなる「母の遺産」が生きるのだが、すでに入院中に老人ホームに移るため土地が売却された母親の財産のことを、相手の女は知らないらしい。《あますことなく平山家の懐を把握している女だが、千歳船橋の土地の話は知らされていないようだった。》
ストーリー上、問題となるのは、たとえ夫が相手の女に、妻に入る財産のことを黙っていたとしても、そうしたことを計算高い女が考慮しないことの不自然さである。細かな金銭を気にしない女か、それとも主人公の母の遺産さえも考える女か、どちらかでなければならないような気がする。またベトナムで二人が同居しているならeメールの必要もないのでは、とも思う。かくてこの小説は、「母の遺産」にストーリー上、抜き差しならぬ重みをもたせつつ、そのためにかストーリー上の齟齬がさらされる、そんな小説になってしまった。とはいえ、あくまで主人公の視点から描かれる小説であるため、矛盾が矛盾としてやぶれるほどではないと言い添えておきたい。また「母の遺産」にも複合的な意味合いがありそうだ。
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ここ数年,私には新刊に飛びつきたい気持ちにさせる作家がほとんどいなくなってしまっている.そういう中で水村美苗さんは貴重な例外.それにしても,前作「本格小説」からどれだけ待ったことか.しかし待っただけのことはあった.
前作と違って波瀾万丈な人生を扱っているわけではなくて,親の死,夫婦関係,そして自分自身の老いといった,誰もが多少なりとも経験することがテーマである.自分の意志で一人で生きるという,若いときには当たり前のように考えてしまうことが,親,家族,肉体の衰えといった要因で,歳を重ねるとなかなか難しくなっていくことをこの本は実感させる.それだけに,かなり身につまされ,自分の生き方を考えさせられる.私が主人公の美津紀と同じ女性だったら,たぶんこの衝撃はもっと強かったろう.
ただ,そうした不幸の中に沈潜せず,自分や母親を客観視するだけの理性,知性が,この本を重さから救っている.また以前の「私小説」を思い出させる姉妹の会話(ほとんどが愚痴だが)にはシニカルなユーモアすら感じられる.
文中あらゆるところで,ぴったりの表現や比喩が現れ,引用する間がない.昨今の濫造されている本とは格が違う.それでいてこのボリュームだから,書くのに時間がかかるのもよくわかる.でも次作はもう少し早く読みたい.「日本語が亡びるとき」から救うのはこういう優れた小説なのだから,水村さんが小説を書く意義は大きい.
若者向けの本があふれている中で,この本が大ベストセラーになることはないだろうが,日々生活に追われながら,人生の下り坂を意識せざるをえない私のような世代に,小説を読むことの意義と楽しみを与えてくれる本当に貴重な本.
星一つ減らしたのはこれを何度も読むのはきついなという気持ちから.この本自体に罪はありません.
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寡作ながら質の高い小説を書いている水村美苗の新作。小説には珍しい(だからこそテーマとして選ばれただろう)中年女性の人生について書かれた自伝的小説です。
素晴らしい小説です。あまりにも生々しく、読んでいて本当に辛く感じることも何度もあり、それでも先を知りたくてページをめくってしまうような作品です。しかし、その生々しさゆえにもう一度読み返すことはとてもできそうにありません。
例えば、母親の死を看取る描写。わがままに生きた母を看病しつつ、早く死んで欲しいと願い、計算高く遺産の金額を見積もり、憎みつつもやはり血のつながった肉親であるという関係。
あるいは、夫との離婚に悩み、離婚後の将来設計についてリアルな金額をあげてそろばん勘定をする描写。美津紀の家庭は一般的な基準で言えばかなりの高収入ですが、夫の慰謝料や母からの遺産、自分の所得を計算すると決して裕福な生活ができるわけではない。…そんな風に書かれると美津紀ほど恵まれていない自分の将来なんてもっと絶望的じゃないか!…と思ってしまいます。
「私小説」で描かれる行くも戻るも決断できない曖昧な葛藤に、年齢による「老い」が加わってますます自縄自縛になっているかのようです。中年女の業とはかくも深いものなのか。
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親の老後とか介護とか死とか、自分の老後とか、読んでいて身につまされて、めちゃめちゃ暗くなって苦しかったけれど、ものすごく引き込まれて読むのがやめられず、長さもまったく苦にならなかった。もっと続いてもいいくらい(「母」が亡くなってからは読んでるほうもほっとして読むのが少し楽になったし)、この先が知りたいくらい。
特に後半は、そうそう!と思ったり、ハッと気づいたり、まさに、共感と気づくことの嵐、っていうような感じで。もうすばらしかった。
人生なにも成せなかった、とか、思い描いていたようにはならなかった、とか、そういうふうに思っても、そういうふうに思う人はいるし、それでもいいのかも、と思えてほっとしたり。年をとってもいつまでも、なにか楽しいことはないか刺激はないか、とか執着するのはやめがほうがいいのかも、とかか考えたり。なんだかこれからの生き方までいろいろ考えさせられたような。
あまりにいろいろ自分の気持ちに沿うようなものがあって、書ききれないし、うまく言葉にもできないような。
同年代(40~50代)はみんなそう思うのかしらん。
文章自体はウエットではなく、どこか客観的で冷静な感じもしてそれもすごく好き。
でも、読み終わったあとは、なにか少しさわやかというかすがすがしいような気持ちにもなった。
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残念。図書館で借りたけど、雑事に追われて読み切れなかった。時間切れ。全524頁中257頁まで。
親の介護や終末期のことなど、自分の経験と重複する点もあり、やや複雑な思いをしながら読んでいた。またの機会にゆっくり読みなおしたい。こういうお話がどういう終わり方をするのか結末が気になる。
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おんなもの。というか、母娘、家族の愛憎混じる物語から、最後は思いもよらなかった浄化へ。といったところか。
時代背景が物語のベースとして見えてきて、同じく新聞小説であった金色夜叉のエピソードが物語内の現実と、物語の中で読まれる物語としてうまい感じで絡んでくる。そして、フランスで金色夜叉に当たるのがボヴァリー夫人。
物語のようなドラマチックな人生を人間が求めてしまうのは、物語を知ってしまったからかもしれない。という問いかけには、なんとも考えさせられる。
意味と物語を求めすぎて、私たちは自然の流れでなんとなくどこかに流されていき、それを受け入れるのが下手になっちゃったんじゃないかと思った。
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新聞連載当時から掲載日の土曜日が待ち遠しかった「母の遺産-新聞小説」。そうそう、そうだったと思い出したり、ここは加筆されたのでは、と思ったり、ああここで唸らされたっけ、ともう一度感じ入ったり。
新聞連載のあと、このノリコさんのモデルでもある作者のお母さんが自分の生い立ちをつづった「高台にある家」も読んでいたので、今回さらに理解が深まった気がする。新聞連載当時はわかりにくかった金色夜叉のくだりや自分とお宮さんを重ね合わせてしまったお祖母さんの時代の話など、ノリコさん目線で描かれている「高台」を読んでいると読んでいないとではノリコさんの印象も違うのでは。
私にとってこの作品には、目を開かせてくれるような哲学があり、言い表せなかったがゆえに混乱し積み重なっていたものをどんぴしゃりと言い当ててくれる言葉ある。
またきっといつか読み直す。美津紀の年に追いついた時、ノリコ世代になった時、また違う感想を持つのだろうか。
この本を、あっという間に読み切ってしまったという母は、はたして誰の目線で誰に共感しながら読んだのだろうか。母親の性格からして、長寿だったがいろいろあった自分の母親の晩年をノリコさんに重ねていた可能性が一番高いが、私からすれば当然ノリコさんと母を重ねて読んでいたわけで、これは恐ろしくて聞くことができない問題です。
そしてもちろん自分自身もいずれ「ああ早く死んでくれ」と思われることを強く自覚しております。それは絶対にそうなると思う。。。
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母の介護と学者である夫の悩む大学講師兼翻訳家の50代女性が主人公。重いですが、リアルなテーマです。夫って、まさか、岩井克人がモデルじゃないと思いますが。『續明暗』は大学の時に買って以来、積読。『明暗』も読んでないから。その後、『私小説from left to right』『本格小説』はスルー。『日本語が亡びるとき 英語の世紀の中で』は最近興味深んだ記憶が…
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母の死を願っている、というよりは、元気でキレイなままずっと生きていて欲しい、という思いが感じられました。過去にいろいろあった上に、我儘言い放題の老いた母にうんざりしていたとしても、やっぱり母娘。
それに引き換え、夫婦の絆は・・・。
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母に早く死んでほしいと願うのは不謹慎なのか?これは悲喜劇。分厚い本だけど、面白くて、最後まで飽きなかった。親の介護、夫の裏切りに疲れた主人公に救いはあるのか?百年あまり前の新聞小説、「金色夜叉」と現代の新聞小説の取り合わせが珍妙なようで、意外に効果的。
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水村さんは初読み。
中高年の母娘関係が圧倒的な表現力で描かれている。
緻密な内容にとにかく引き込まれる。
そして読後感もなかなかよい…久々のヒット。
リアリティがないのはフランス語ができるあたり…
そして結構な遺産が舞い込んでくるあたり…
装丁もいい。
『母の遺産』の『産』の字に指輪があしらわれてるのだ♪
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母・姉・夫との関係に振り回されながらも、自分の中で正当化し、受け入れていく。なぜここまで受け身になってしまうんだろうと、最後まで美津紀を初め、登場人物たちに共感できないままに終わってしまった。
土曜日の朝から、この新聞小説を読むのは重すぎる。
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『本格小説(上)(下)』があまりにも面白くて、こちらも読んでみた。親の最後を看取る場面や離婚問題、老後の暮らしなどとても現実的であまりにも生々しく、読むのがかなり苦しい。
特に母親が亡くなるまでの病院でのシーンは自分や母親の入院体験があるだけに、将来経験するんだろうという思いと共にリアルに迫ってきた。
母親が亡くなるまでを一晩で一気読みし、翌日、母親が亡くなった後のシーンを一気読み。後半(母親が亡くなった後)は、気楽に読めるし、箱根湖畔ホテルのちょっとミステリーチックな雰囲気やそこに集う人々との交流がなかなかよくて、人付き合いをあまり好まない私でもこんな雰囲気ならといいなと思えた。
読後は意外にもスッキリ。むしろ勇気が沸く。最後の姉の奈津紀の配慮はとても嬉しかった。これで何となく過去が相殺されるように思えたし、姉妹愛があることにもホッとした。そして姉の夫裕二の坊ちゃん育ち故の懐の大きさもホッとして、それと同時に哲夫は別れて正解だったと思わせる…、上手いなあと思う。
それにしても、どうみても主人公と著者が重なってしまうので、故に浮気夫は岩井氏なのかといぶかってしまう。
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お正月に相応しい長編小説。母であれ、姉であれ、理解し共感することは難しい。家族だからこそ憎んでも最後に母を許す主人公に、最後にこれから老いる自分にも人生に一縷の望みを与えられた気がする。暗く辛い話にもかかわらず、からりとした文章のおかげで読みきれた。
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彼女の小説は骨格が大きい。
なぜか気になる作家の1人。
亡くなった母に対する肉親であるが故の突き放した思い。
現在の著者の身の上と重なるのだろうか。
読み応えあり。