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1972年に新人物往来社より書き下ろした『熊本県人』を「あとがき」を付して再編集したとある。小川哲也氏の仕業である。ありがたいことだ。著者は肥後人気質を南北朝時代の菊池氏より始めた。菊池氏の執拗な抵抗に対して疑問に思っていたが、「菊池の家風は、肥後人の反功利主義的な美意識と極端にかたむきやすい観念主義の、最初の発現」(p48)と説明されれば納得せざるを得ない。
第三章乱世の二雄で加藤清正と小西行長を取り上げ、「清正の記憶が、細川氏の保護のせいもあって長く保たれたのにくらべると、小西行長は、意識的に肥後人の記憶から抹殺されてきた」(P71)と指摘したは心憎い。行長の領した宇土・下益城、八代・天草は海洋的性格を持っていたが、内陸的肥後を引き継いだ細川氏により小西氏の遺跡は破壊された。島原の乱でこの章も終わる。熊本県人性が一筋縄でいかないことが、明らかにされる。
第四章では『阿部一族』に細川肥後藩の士風を見ることから話が始まり、なじみのない名前が多く出てくる。第5章は小楠が主役である。最後に第7章で神風連を出して閉めたのだが、熊本県人という括りではなく、肥後人で終わった。