鬱病者の書いた幸福論
2014/01/04 16:46
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投稿者:pappy - この投稿者のレビュー一覧を見る
筆者が文中でも明らかにしているように、五木寛之氏は鬱病だと思われる。すなわちこの書は鬱病の人が書いた幸福論である。したがって、この書には深い諦感が満ちており、幸福を願い、それを目指して進んでいこうとするような高揚感はどこにもない。
第一章で幸福の基準がないこと。第二章で生きるためには殺生をしなければいけないこと。第三章で青い鳥は身近にあり、気づいたときには飛び去ってしまうということ。第四章で愛別離苦と生老病死について。第五章で階級社会について。第六章で健康と努力について。第七章で承認と出世について。第八章で長寿について。第九章で絶望の中の小さな幸福について、それぞれ記載されている。
いずれも思いつきをそのまま文章にしたような内容で、とりとめもなく、深い洞察のようなものはない。ようするに温かい一杯のコーヒーを飲む瞬間こそが幸福なのだ、と言いたいのだろう。
五木氏のように数々の賞を受け、名声と富とを勝ち得た人にとっては、もはやそれ以上の幸福は望む必要もないのだろう。これはおそらく文壇だけではなく、他の分野でも同様なのだろう。功成り、名を挙げ、富を得ても幸福にはなれないのである。
本書の中で最も幸福度が高いと感じられたのは強制収容所で極限状態を生きる人々が美しい夕日に感動したとき。次がイタリアでカンパリを飲む労働者たちや貧しい子供がおいしそうに魚を食べるときである。むろん裕福な生活をしている者には同じ夕日を見ても、カンパリや魚を食べても幸福は感じないだろう。幸福とはかなり相対的なものであることがわかる。現代人が幸福を感じず、それを探しているのは、裕福であるからに他ならないのではないだろうか?
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著者の本は、好きなほうで、少しは読みましたが。
この本は、あまり内容的にはインパクトもなくありきたりだったような気がします。
人間の覚悟や、他力は非常にインパクトがあって面白かったのですが、この本はそこまではないかと思いました。
同じタイミングで買った「親鸞」に期待
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幸福とは何か? 普段あまり考えなくなったが、一度しっかりかんがえるには、よいきっかけを与えてもらえる本だと思う!
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五木寛之のエッセイ。80年日本を生きてきた人の「幸福とは?」が語られている。日本の総中流が生んだ弊害…どこの国でも貧富、支配者と被支配者がいる真実に覆いをかけてしまったという点には納得。自分の本当の立ち位置を知るべき。読みやすい作品。
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童話「青い鳥」兄妹が部屋に戻ったら青い鳥がいた。原作ではでその後すぐに鳥は逃げてしまうらしい。そして今の日本が、青い鳥が去った後の状態だという。それでも皆幸せを探している。
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現代の若者はある程度幸福であることは自覚している。しかし、将来への漠然とした不安が心の底からの幸福を妨げているのではないか。若者が不安なくイキイキとした人生を送れる国を取り戻すために国のカタチを変えていく必要がある。
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タイトルは「新・幸福論」。「新」というからには、元となる「幸福論」があるのでしょう。アランの「幸福論」を意識したのかもしれません。アランの著作が「論」というより「幸せ」をテーマにしたプロポ(哲学断章)であったのに対し、こちらは五木氏得意のエッセイ集です。
本書を通底している五木氏の思考は、決して幸せになるための「明るく活力に満ちたプラス思考」ではありません。「普通の人びと」の視点から現実をとらまえて、ある種の諦観も心に持ちながらの生きる姿勢を書き綴っています。
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格差社会の中で、一流の会社に勤めることが幸せとは言えない。少子高齢化社会の中で長生きすることだけが幸せではない。何が幸せなのか、新幸福論では、語られていない。美しいものに触れるなど小さな幸せを大切にしたいと筆者は最後に述べていた。
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幸福は身近なところで自身で見つけ出していかなきゃならない。
そんな気はしていたけれど、これを読んで確かにそう思った。
幸福を探し得る自由な状態にあることに感謝。
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ちょっとした喜びを感じる感情のひだが大切で小さな幸福が生きる力になる。だから日常の中で自分の好きなこと、自分にとってすごく気持ちがいいこと、幸福感を感じることを大事にする必要性を今一度、思い出させて頂いた。
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私もポジティブシンキングで考えたいが、常に反対の思考も沸き起こる癖がある。
「幸福の中に不幸があり、不幸の中に幸福がある」、そんな同居した感覚は五木寛之でなくとも、日本人が持っている感覚だと思う。
そう感じながらも努力もし、上を目指すだろう。
移り変わり変化する社会の中で、思考し感じることも変わっていく。
幸福と感じ、不幸と感じることも、この社会と共にある。
最大多数の幸福に近づけるために、自助努力で自立し、ほどほどの満足で良しとしなければならない。
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家にあったので読んでみました。おもしろかったです。
さすが、五木寛之氏。落ち着いた文体で、しみじみと幸福について語っています。
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「青い鳥」の飛び去った空しい日常の中で、自分なりの幸福を探す事ができるか。探す自由がある事そのものが幸福と思えるか否か。そのために必要なのは人間の情感・センチメントであると。
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五木寛之 著「新・幸福論」、2012.3発行です。芥川龍之介が、昭和2年、「ぼんやりした不安」で睡眠薬自殺をした。東日本の大災害のあとの日本、そんな時代ではと著者は感じてます。一億総中流、原子力の平和利用、福祉社会、高度成長・・・、そんな「青い鳥」が去ってしまった今、私たちはどうするのか、冬の時代の幸福、希望とは?! 「幸福は遠くに夢みるものではない。生活の身近なところに、日常の平凡な片隅にある」本当にそう思います(どんな時代であれ)健康であることが幸せの一つだと思いますし、社会のお荷物にならない長寿も。
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「青い鳥」の去ったあとを生きなければならない。
格差と、ふとしたときに感じる喜び。命を食べること。
盲目であることが幸福なら、私は盲目ではありたくない。