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世界の中で相対的には「幸福」であるはずの日本人は何故常に悲観的で、内向的な生活を送り続けているのか。政治への不満を嘆きながら、何故クーデターが起きず現状が維持され続けるのか。
それには日本が教育の柱としてきた儒教の考え方が影響している。つまり、君子(政治家、官僚、上司等自分にとって「目上」の人)は絶対で、刃向かうなどもっての他であり、さらに君子は自分より「優れている」はずだ、「優れていなければならない」という盲信が蔓延っているからである。
キリスト教、イスラム教は共に唯一絶対神のもとに、「人間は皆原罪を持つ罪人である」という意味で「平等」であるという思考が強い。だから日本人の様に目上の人間を絶対視するのではなく、フェアネス(機会均等)が確立されている。ブレイクスルーが起き、既得権益が擁護される日本とは大違いである。
そもそも「日本」という国家すら定義は曖昧なのだから、いつまでも小さな枠に収まり、紛い物の「愛国心」を振りかざして満足するのではなく、何所にでも行き何にでもやりたい事をやり続けていけばいい。そうすれば自分の望む「幸福」は手に入るはずである。
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著者が哲学者だからか、宗教を絡めた国民性(著者によればこれすら存在しえないものなのだけど)の説明は、新鮮で面白い。
日本人が小さい頃から教え込まれる「上の人に逆らっちゃ駄目なんですよ」思想がいつまでも残存するから日本には閉塞感が漂い続けるのであると言う事。確かに少なからず「出る杭は打たれる」日本においては、良くも悪くもブレイクスルーは起きにくい。
しかし、後半部分の愛国心の否定(「愛国心」は教育とメディアの洗脳の産物。そもそも「国家」なんて存在しない)と、日本人の定義(日本人とは、日本語という方言を話す民族である)という箇所には疑問。
人間が帰属意識の一種として自分の国に愛着を持ち、国のために尽くそうとするは当然の事だと思うし、宗教色の弱い中韓の「愛国心」は時に国家規模での摩擦を引き起こす事だってある。「日本」という国家を否定しようとする余り少し言い過ぎ。
日本人の定義に関しては単純に私との違いでしかないのだけれども。私は、いくら日本語を話していても例えば白鵬や把瑠都を日本人だとはどうしても思えない。私の「日本人」は、「日本国籍を持っている」とか「日本語を話す」とは全く別なんだなぁと実感。やっぱり、日本人の「顔」をしている人をまず日本人だと思ってしまう。勿論、その顔のルーツをたどればキリは無いんだけど。
とは言え、あまりこういった過激かつ宗教色の強い本を読んだことがなかったのでけっこう新鮮に面白く読めた。考え方の一つとして心に留めておきたい本でした。
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国際化が叫ばれているのに、義務教育で英語など語学が盛んでないのは、
「日本に底辺の労働者として縛り付けておくための一つの政策なのかもな。」
と私、個人は思います。
著者いわくたまたま何度目かの英語ブームは来ているものの
「本当に身につく英語学習法」がブームになっているわけではないらしい。
日本は自分の与えられた分際を全うさせるように、儒教文化が浸透されています。
「年長さんのいうことを聞きましょう」とか「勝手な言葉は慎みましょう」とか
儒教の価値観が小さいころから植えつけられています。でもそれこそが子供を自由な
場所に行くことができない原因なのだそうです。
ニュースなどで「時々若い人間は海外で働く勇気をもて」とかいう口先だけのおじさんの
コメントを目にしますが、普通の公立で教育を受けた人間がその能力を持ちえて
いるかどうかは明らかです。
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僕自身は愛国を是認している。
けども、この『「日本」を捨てよ』というのも、苫米地英人が書いたものだから読める。しかも、面白く読めた。
この本では、日本人というものが、「儒教による洗脳」だとか「パノプティコン(つねに監視されている)社会による奴隷状態」と表現されているのだけども、この人の指摘は常に、別の視座を与えるための表現として、敢えてそうしているように思える。
「日本」と距離をとることで、「日本」を愛せる。
ドップリと愛国に浸るのもいいが、別の視座を持つことで得られる日本感もあると思う。苫米地英人は『一つ上の抽象度に上がる』と表現しているが、これは重要な価値感だと思う。
タイトルなどをみて懐疑的に思う人は「おわりに」から読んでみると良いと思う。
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『いわゆる『信者』にならないということ』
昨今、いわゆる『信者』というレッテルは批判されるべきものと捉えれる
ことが多い。
僕自身は自分が信じているモノ、コトに対して自覚的である面から「信
者」、特に信仰を持っておられる方はそうでない方よりも高い確率で信用
に値すると考えています。
では、その本物の「信者」といわゆる『信者』の違いはなんなのか?
そのヒントになることをこの本には教えてもらいました。
その部分を一部引用させてもらいます。
中国や韓国での反日的な運動や、外交において弱腰な日本の”
売国奴政治家”を批判し、「日本を守れ」「日本はすばらしい国だ」
といった主張をもっぱらインターネットで繰り広げる人々は「ネット
右翼」と呼ばれています。
右翼とまで言われるわけですから、さぞ日本を熱烈に愛している
のだろうと思いきや、彼らのメンタリティは愛国心とは程遠い。
彼らの「言論活動」の動機は、自己肯定の欲求です。
インターネット上では、匿名で発言するかぎり、いくらでも相手を
非難できる。相手が中国や韓国の政府だろうが、日本の政治家だ
ろうが、巨大マスメディアだろうが、反論を恐れずに口を極めて罵倒
することができるのです。
そして何より、悪口をぶつけている対象と自分が対等になったよう
な気になれるわけです。余談ですが、本書のような書籍を刊行する
たびに、私もネット媒体にさんざん悪口を書かれます。
同時に、「すごい国」である日本、「世界に類を見ない伝統を誇る
皇室」といった価値と一体化することによって、自分自身を肯定する
ことができる。いわゆる虎の威を借る狐というヤツです。
こうした自己肯定欲求が噴出する背景には、経済的・社会的に弱
い立場にある人々の憤懣があるのでしょう。あるいは、本書でこれま
で指摘してきたような、日本の社会構造のなかで可能性を阻まれて
いる人々の絶望感が原因なのかもしれません。いずれにせよ、心を
病んだ人々の防衛反応の発露と言ってもいいと思います。
そのため、ネット右翼の中には、オフ会やデモを通じて恋人ができ
ると、「これからは日本じゃなくて彼女を守ります」などと平然と言い
放って、運動から引退してしまう若者もいるとか。微笑ましい話です
が、これなども愛国心から発したと見られる運動が、実は若者の承認
欲求の問題にすぎないことを物語るエピソードです。
(「日本」を捨てよ PHP新書 苫米地英人より)
苫米地英人という「カーネギーメロン大学大学院哲学科博士課程」を
修了した知的エリートで、現在もカーネギーメロン大学フェローである
権威を持った人間と一体化することで自己肯定する。
ただ一体化しているだけなら、別にいいのですが、承認欲求を満た
すために虎の威を借りて、「苫米地英人がこう言ってたのだけれども」
という形で相手を攻撃する。
苫米地さんの本を読む人にはこういったいわゆる『信者』的な言動を
する人が少なくない。
このことは一ファンとして非常に残念であるし、また、その攻撃の対象
になった方にはなんだか申し訳ない気持ちになります。
自分自身がそうならないよう、ちっぽけな自分自身を認め、受け入れる。
周りにいる人、自分に関わってくる人それぞれの考えを「1人1宗派」
でいいじゃないかとゆるやかに受け止める。
そういう生き方をしていきたい。
そう思える本でした。
自戒の念をこめて。
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「日本」を離れる、というアイデアはここから引用させていただきました。苫米地氏風に言うと、抽象度を上げる、ということ。つまりは、鳥の目になる。空間的には宇宙、時間的には2億年オーダーで考えるのが理想らしいね。この本で一番おもしろかった案は、政府選択性という発想。税金が高いがサービス充実、セキュリティが高いなど、それぞれ特徴を持った政府と個人が契約するというもの。多様な選択肢から行政を選ぶというわけです。このアイデアに、『一般意志2.0』で言われている「(日本的な)空気を可視化してマネジメントできる技術」みたいなのが融合したらそりゃかなりおもしろい。
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日本を捨てよと言いながらも日本に対する適切な距離感の主張であった。おわりに愛という言葉を使っているトコロに少し矛盾を感じたが、日本の状況と彼の本を読む人間の心の状態に配慮しているのだろう。日本方言を話す人間の純粋な心には、愛という言葉が必要な段階なのかもしれない。道州制導入のなかで、福祉をベーシックインカム一本にするという文章もあり未来の日本が少し見えてきたように感じた。現状が続くという思い込みから抜け出すための良い刺激となる一冊。
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斎藤孝の「キミは日本のことを、ちゃんと知っているか!」と対比して読むと面白そうだ。
良い悪いは別にして、日本人の特徴をよく捉えていると思う。
「巧言令色鮮(すくな)し仁」の
巧言令色=ディベートを否定、
また、仁とは「上から目線の思いやり」であって、
対等な個人の間での思いやりではない
と、指摘している。
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新しい「日本」論及び「日本人」論。
「日本」を正しく理解して、正しい方向へ進みたい人へお勧めです。
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初Dr苫米地です。気になってたんだけど,手に取るには至らなかったのですが,あるきっかけでとりあえず何でも良いから一冊読んでみようと。名瀬のTSUTAYAには3冊しかなくて,一番安いのを選びました。
中身は至って普通。日本人=日本方言+義務教育とか,抽象度を上げろとか,目新しいところはない。胡散臭さはDr中松と同レベルなのですが,それほどトンデモではなかったです。もっと洗脳にフォーカスした本を読めば印象は違うのかもしれないけれど,その気になるのはいつになることかw
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本の帯に
それでも「この枠」にこだわりますか?
と書かれていますが、こだわりたくなくても、それしか選択できない者は、その枠の中でどうしていけばいいのか。
どうすればいいのか分からないからと、そこで思考を放棄してしまうのではなく、まずは答えを出せることから出してみよう。
簡単にまとめてしまえば、こういうことかな?
http://glorytogod.blog136.fc2.com/blog-entry-1186.html
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著者の本は、少し硬めの書かれ方でないと非常にうさんくさくなる気がする。それはきっと、著者のメッセージが「奴隷状態からの脱洗脳」という抽象を用いているからなんだと思う。
この本はPHP新書だけあって割と硬めで、そのぶん説得力があった。特に「儒教の弊害」についてはとても興味深く読んだ。
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日本という国はどういう特徴があるのか?世界とどう違うのか?日本という国が好きなら海外に行き日本という国を客観的に観て比べるのが一番。日本が好きなら日本を一度突き放すべきだ。
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説得力のある文で読みやすい。タイトルほど過激な内容ではない。井の中の蛙にならないようにね、って話。著者を知らないで読んだ人のほうが納得できそう。
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ピラミッド(儒教)
お客さまは神様
情状酌量・服装で判断
相互監視社会
↑
↓
フェアネス(一神教)
金持ちでも神の前では対等
無教会派&無政府主義
特定の人々・組織の権威ヲ否定し、無力化する
→選択性政府
著者の他の本も読みたくなった。
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本書を読むことでタイトルに反し、著者ほど日本を愛している人はいないのではないかとさえ思った。日本という国の文化から根付いた洗脳による束縛から脱し、自由とフェアな世の中を作る案を出している。そして、著者のミッションである世界平和に近づく構想となっている。そのために著者が常々言及している「抽象思考」という言葉、この思考をするためにはあえて日本から離れなければならないという。本書の目的はそのようにして世界を救う人を生み出すことにある。ということは、つまり、この本が苫米地さんから次の世代に向けて渡されたバトンであるとも解釈できるのではないだろうか。