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人との関わり方
エッセイも悪くない。むしろ良いと感じた一冊
育児のスタンス参考になる。人に絶望しない、過去を否定しない
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正解か不正解かじゃなくて、自分が本当に必要としていることを見極めることが大切だという言葉が印象的だった。自分がその時点でベストだと考えて選んだ道が、結果的に「不正解」だったとしてもそれはそれで仕方がない。それも人生の一部として受け入れて生きていく覚悟を持つ必要があるということ。
本当に自分の心が求める道を選べば、たとえ失敗に終わっても後悔しないはず。周りにとやかく言われても気にせず、その時点で自分が信じることを大事にしたいなと思った。
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人との関わりを瞬間で捉えるという考え方もあるんだな、と。なかなかない視点。all ok なところが好き。
すごく読みやすい本。
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――「自分とは違う状況のなかで生きている人がいる」
自分にとっての利益がほかの人にとっての損失なのかもれない。自分の幸せの裏には、ほかの人の不幸があるのかもしれない……どうしようもないことかもしれないけど、そんな風にみんなが考えながら生きていけたらもっといい世界になるのかなぁ。
――相手がどういうつもりで言ったかじゃなくて、自分がどう受け取るかでいつも自分の幸せは決まるのだと思います。
あとから考えてみるとバカだったなーと思っても、そのとき自分が幸せだと感じていたら、それはまぎれもない事実。誰かからの言葉も、その人がどういうつもりで言ったかじゃなくて、自分がどう受け取るか。逆を言えば、自分がなにも考えずに言ったことが相手に響いてることだってあるのかもなぁ。
――自分から言ったりもしないし、言いたいとも思っていないけれど、人は誰でも、他の誰かに聞いてもらいたいことがある。そして、それを聞いてもらえる日がくることを、心のどこかで待っている。
言葉や行動にその人の気持ちが表れるのかもしれない。だけど、言葉や行動にできないところに本当の思いがあるんじゃないかと。そんなことに気づける人になれたらいいなぁ。
――一〇〇点満点で三〇点の友人だったと思うか、三〇個いいポイントがあった友人だったと思うのか。
その人の満点を勝手につくって、あとから☓をつけていくよりも、いい意味であんまり期待しすぎないで、そのなかでいいとこを見つけてくほうが確かに生きやすいかもなぁ。
ま、とにかく、悪い方向じゃなくていい方向に力を使っていけたらいいなぁ。
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『女子アナ以前』の方が好きだけど、小島慶子の考え方(幸福論?)がさっくりと読める。人に期待しすぎないとか、いつでもやり直せるとか、人間関係に”成分表”はいらないとか、執着に関してとか。心が楽になる人もいるのでは。
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正直ありきたりなことが書かれているので、「心の整え方」を知りたい方は別に本作じゃなくてもいい気がします。
小島流の文章が結構アクが強いので、ファンは楽しめるでしょう。
個人的には、特に後半の内容に共感しました。
「相手に絶望したり嫌ったりするのではなくて、自分の中で違う問題を提起してしまったほうが、新たな答えを得る可能性がある気がするんです。」
「とった行動でしか自分は生き延びられないのだとしたら、後から不正解だと分かったとしても、その時は必要だったということを受け入れざるを得ないんですね。」
「誰かの悪口を言っていれば、自分が世の中を考えていることになる。そんなふうに思い込むということは、つまり、自分の暮らしが人任せだということです。」
「相手がどういうつもりで言ったかじゃなくて、自分がどう受け入れるかでいつも自分の幸せは決まるのだと思います。」
「あなたはないものばかり見ていない?手にしていないものに価値があると思い過ぎていない?今ここにあるものだって、悪くないかもよ。」
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ラジオで人気を博した小島さんの著書、というか、インタビュー集?
生きていると辛いことが沢山ある。だけど同じ数だけ、尊くて素敵なものがあるとちょっとでも気づかせてくれる本。
今まで色んなメディアで話してきたであろうこと、また、あんまりメディアでは聴いたことがなかった小島さんの半生が綴られている。その中で小島さんが感じたことを発信して、ちょっとでも共感してくれたり、笑ったり安らいでくれたりする人がいれば。そんなことを思いながら出版されたのでしょうか。
正解なんてものはない。ただ、自分がこう感じたから発言しただけ。それに対するあなたの意見はどうなの?
小島さんがよく言うセリフである。
本の中で、自分の体を見られるよりも、ラジオ等で発言したことを視聴される方が恥ずかしいといった内容を言っていたのが印象に残った。
肉体的な裸よりも、思考的な裸のほうが恥ずかしい。少しわかる気がする。自分の体を見られるより、ブログやツイッターでの発言をまじまじと見られ、自分の論文を目の前で読まれると、自分の頭の中を凝視されているようでとても恥ずかしい感じたことがあるから。
薄くない本で難しくないのでサラッと読めます。そんで、ちょっぴし元気を貰えます。まさに、タイトルどおりの本だと思います。
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つまるところ、女子アナの幸せ自慢。
こういうことは、ラジオの自分の番組で話すか、ブログに書いてください。
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内容は納得いくものもあれば、それは共感できない、というものもあり。
でも、違う人間なので、それが普通といえば普通でもある。
それはいいのだけど、誰かのおしゃべりをだらだら~っと聞いてる感じで、まとまってない感がちょっと読みづらかった。
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こういう考え方すれば楽になる人多いだろうなあ、と思いながら読んだ。自分自身の考え方に近い部分も多く共感できる。あまりにもまっすぐというかマジメに感じられてとてもまねできないと思う面もあるけれど、それが小島さんという人らしさでもあると感じる。ラジオで話していたこととこの本に書かれていること、一貫性があるぶれない姿勢が良いと思う。
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不器用だから考えて分析して立ち位置を決めていくんだね。
手に取った時に懸念していた押し付けがましさはまったくなかった。
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タイトルで惹かれました。
感想ですが、内容としてはおおむね共感するけど、ちょっと文章が軽くて、そこが残念。
もっと重みのある語り方をすれば、多くの人に届くような気がします。
実感を大切にしたほうがいい、という主張には完全に同意。そういうコミュニケーションがもっと多くなればええのになあ。
あと、自分だけかもしれないですけど、たとえ話がことごとくわかりにくく感じたのが気になった。下手なのかな…?
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震災の時に知った小島慶子さん。
エッセイかな?と思って、手にしてみたら、結構真剣なコミュニケーション論とでもいうのかな?
読みやすいので、1時間かからず読了。
第1章 「メディア」と私
第2章「世間」と私
第3章「他者」と私
読んでいて、「共感のできるところ」「この言葉は心に残したい」と思ったところに、付箋を貼りながら読んだが、第1章〉第2章〉第3章の順で付箋が多い。
これは、第3章が、子育てに関することが多く出ていたせいだろう。
子育てとは、無縁の生活をしているので。。
この本が書かれたのは2012年。
それから6年経っているけれど、メディアの体質は変わらないし、それを見てしまっている自分たちも変わっていない。
『放送は食べ物に似ている。〈抜粋〉本来、放送というのは、食べ物と同じように、慎重に扱わなくてはいけない。なぜなら、食べさせた人間も、食べた人間も気づかないところで、相手を変えてしまったり、結果として世の中をかえてしまったりすることがあるから。』
まさに、今のテレビがそうじゃないかな?
一律に同じことを同じ角度から、同じようにしか放送しない。。
『だって、相手が許せない人間で、それを信じた私も馬鹿だったと思うってしまうと、それはつまり、「許せない相手を根拠にして、自分を否定する」ということになってしまいますよね。』
まさに、これを何度も何度も繰り返しているのが自分。
自分が選んだことなのだから、自分が馬鹿だったと思うことで、自分を否定し続けているんだ。と、改めて思う。
人生、なんでもかんでも、最終選択をしているのは自分の脳みそなんだよね。
だからといって、自分を否定する必要はなく、過去に問いただして、どんなことだったのかな?と考えてみることが必要なのね。
『過去は常に物知らず』そのとおり。
著者の考え方は、結構、自分にしっくりくるし、共感できる部分も多い。
もう少し、著者のことを知りたくなった。
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母親の価値観・人格的な影響を強く受けて、自身の価値観・人格となっていた結果、自身が苦しみ、更なるストレス要因が加わって引き金となり精神的にも病んだ。
その状態から脱する過程で得た、新たな自分自身で得た価値観と、それに基づく直観的・主観的な考え方をしよう、皆それぞれ違って当たり前、的なお話。
親子に限らず、自身の価値観の縛られない、他人を縛らばい。自分の頭で感じて・考えて行動すべきで、他人の言動に自身の現状や将来を頼るな!他人のせいにするな!
...ってところか。口語体で書かれていて読み易い。逆に、重たい人生論を重たい気持ちで厳粛に読みたい人には向かない(まあ、題名を読めば分かると思うが)。