この震えを後世に伝えよ。
2012/03/11 21:20
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投稿者:kc1027 - この投稿者のレビュー一覧を見る
東日本大震災という現実から1年が経ち、追悼式が行われ、また新しい日常が始まる。でも、ただ夢から覚めるように日常という名の現実に逃避するだけではいけないのではないか、悪夢のような東日本大震災という現実に、より深く内在するようにして、わたしたちは覚醒しなければならないのではなかろうか、大澤氏は震災による激しい動悸を書き留めるように本書を綴った。
大地震と津波と原発事故を経て、わたしたちは倫理観でさえも無と化してしまうような、種の絶滅さえ想起させるような、超越的な現実と出会った。倫理を持ってしても論理を持ってしても拭いがたい、生きていくことに対する不安は偏在している。剥き出しになった生の理不尽さは、打算的な日常に還元されかねない。阪神淡路大震災のあとにオウム事件が起きて、戦後民主主義というものに根本的に疑問符がつけられたように、東日本大震災によって発生した原発事故は、いまもわたしたちの現実と未来の重たい基調音だ。
制御出来ない自然の脅威には、ひたすら畏れを抱き、備えるしかない。でも結局制御出来なかった『神』のような原子力は、平和憲法と非核三原則を持つこの国にとって、アルコールを飲みたいけど酔っぱらうのが嫌で生み出したノンアルコールビールのようなものだと、著者は喝破する。そこまでしてすがらなくてもいいのではないか、節電生活も多少経験した今のこの現実を前に、誰もが少しは頭をかすめる原子力への根源的な不信感、この大衆の素の心をどう汲み取ればいいのか。まだ見ぬ未来世代の重たい現実にどう向き合えばいいのか。
著者は本書で起源を明示した脱原発を提起している。すでに起きた破滅の予兆は、わたしたちに選択を迫っている。必要なのは独裁で引っ張る強烈なリーダーではない、とも著者は語る。必要とされているのは問いかける主体だ。正義で地球は救えなくて、誰もが無知で誰もが真理に到達出来ないなか、問いかける主体だけが今のモヤモヤした感覚を少しずつ晴らしていく。東日本大震災という現実はまだ目の前にある。その御しがたい現実に問いかけ、その問いかけの言葉が行動に転化される時が、この国の覚醒の時。消し去れない問いかけは誰の中にもすでにある。それはこの国の遠い未来に生きるはずの、誰かの胸にも響き渡る魂の震えでもあるはずだ。
福島でこの本を薦めることが出来ますか?
2013/10/19 23:37
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投稿者:kwt - この投稿者のレビュー一覧を見る
脱原発・制限下での原発の容認,どちらも選択肢としてあるでしょう。制限を付ける程に,原子力発電の経済的優位性は下がり,最終的には核分裂という巨大エネルギーに依存しない世界が来るかもしれません。
でも,本書の後半部に至っては,私は飯舘村や福島で紹介する気になれません。貴方は出来ますか?
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一度読んだだけではわからない!(すごく良い意味で)
第6章のソクラテスが「第三者の審級」として機能云々のくだりがとても鮮烈だった……。
大澤さんは今までも同じことを言っていたのかもしれないが、大学を辞めてからのこの数年に「跳躍」したように思われ、そうすると将来どこまで行くのかとてもワクワクする。
また(たぶん同じ文脈で)「古典」を読むことが大事なのは、それを読んでいるうちに無意識的に「自分が知りたかったこと」に出会う云々という話がとてもありがたかった。本当にそのとおりで、「古典」だけが連れて行ってくれる深みというものがある(と思う)。
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正直、特に前半が大変難しく感じられた。
読み進めて後半になってまとめのところまで行き着いて、わかる部分が実感できるようになった感覚を受けた。
たまには頭をギュッと絞る読書も必要だと思う。
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科学の通説というものの機能不全に見られるように、信と知の乖離が起こっている。
ありうることは知っていた、しかしその可能性を信じてはいなかった。しかし、出来事が起きた後には、それはもともと十分に現実的だったこととして、つまりいつ起きても不思議がなかったこととして存在していたと見なされるようになる。
過去を事後の視点から眺めるときに現れるものに、必然的だったという以外に、別の可能性もありえたという考えもある。
別の可能性の希求は、現在への憂鬱や不安というかたちで無意識に常に潜在しており、それが未来の他者の現在における存在の仕方である。
どのようにしたら未来の他者へと配慮すること、連帯することが出来るのかが考察されている。
リスク社会におけるリスクは、一、極めて大きく致命的、二、その確率は非常に小さく、ときに計算不能、である。
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大変興味深い。現実歪曲ワールドのようでもあり、自然災害を目の当たりにした、知性の一つの帰結とも思える。書き下ろしではないので、章の間で話題が少しズレることに違和感を覚えた。
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近年、著者が巡らせてきた様々な哲学的論考(『不可能性の時代』、『ふしぎなキリスト教』など)を切り口に、3.11を読み解いた作品。著者独特の表現が多用されていること(「第三者の審級」、「アイロニカルな没入」など)も踏まえると、はじめて著者の本を手に取る方には難しいような気もします。
論考の中身も、キリスト教の終末思想や、ノン・アルコールビールの思想などをむりくりに3.11に結びつけて語っているようなところもあります。私個人としては『不可能性の時代』を読んだ時に感じた衝撃(特に秋葉原の事件を切り取る社会学的視点に驚いたわけですが…)は感じることはなかったのでした。期待が高かったといえばそうかもしれませんが…。
それにしても、3.11を契機に何かがもっと大きく変わる気配が合ったのですが、いつの間にかそれもしぼんでしまった感じがするのは私だけではないと思います。見て見ぬふりをしてきて、技術的な出発点は同じである原子力を、原爆という形で恐ろしさを知っていながら、原発を抱え続けたこの国のこれまでの道を、どのような視点から見つめなおすべきなのか。その最初の一歩でもあるような気がします。タイトルにある「深い覚醒」はまだ先だとも感じました。
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東日本大震災以降の原発をどう捉えるのか。
原発事故の危険性がわかってしまった今となっては原発はなくすという選択しかないと結論している。
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知が融合するとこんな風になるのかなぁ・・・・。
百科全書的でおもしろかった。
でも・・・・、原発に無理やり???って感じも無きにしも非ずかなぁ。
ソクラテスとキリストとマルクスと原発かぁ・・・。
理念としてはわかるし、視座も角度も愉快なんだけど・・・・。
全体としては現実的ではないですね。
2012年5月現在、日本のすべての原発は停止してますが、著者はどのような判断を下すのか楽しみです。
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20120701 自分には良く理解できなかった。解ってもらおうという意識は無いのだと思う。業界用語を羅列したプレゼンテーションの様でした。
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『夢よりも深い覚醒へ』岩波文庫・大澤真幸
正直言って自分の手には余るテーマだけれど、こういう時世だからこそあえてレビューを。3.11を受けて、原発のありかたの是非を根源的に問う哲学書。この問題設定をおこなう以前に答えは決まっている。かくも危険な存在であると分かっている原発をなぜに容認してしまうのか。
その答えは比較的簡単で、「原発はもともと相当に安全に造られているのだから、一切の原発の建設を諦めるというような極端に走らなくても、事故を起こさずに済むのではないか、と。…「われわれ」が極端に用心深くなって、原発を放棄してしまえば、「われわれ」だけが損をしてしまうのではないか、と。要するに、原発の建設を一切禁止するという極端な予防策は無意味ではないか、と。こうした思いが出てくれば、結局は、原発の建設に踏み切ることになる。」(55)
では中長期的な視点で脱原発を図ろうとする際に、「探求の主題」として挙げられるのは「どのような前提が受け入れられ、満たされたとき、こうした(脱原発への)理路に有無を言わせぬ説得力が宿るのか」(15)ということだ。
この問いに対する結論は第3章で明かされる。すなわち、「未来の他者との連帯」にこそ解決の鍵はあるという。その「未来の他者との連帯」をいかにして見いだすかというと、単なる子の代・孫の代という身近な近親者に対する“想像力”ではない。「現在のわれわれへの不安と救済への希望」だという。
「未来の他者は、ここに、現在にーー否定的な形でーー存在しているからである。たとえば、現在、われわれは、充足していると思っているとしよう。(中略)しかし、同時に、「現在のわれわれ」は、説明しがたい悲しみや憂鬱、言い換えれば、この閉塞から逃れたいという渇望をもっているだろう。 その悲しみや憂鬱、あるいは渇望こそが、未来の他社の現在への反響ーー未来の他社の方から初めて対自化できる心情ーーなのであり、もっと端的に言ってしまえば、未来の他社の現在における存在の仕方なのだ」(149)
この文面を見ると、「今感じる不安を解決するための行動こそが未来につながる」という、しごく簡単なことをわざわざ難しいレトリックを用いて説明しているように思えるが、カント〜ヘーゲル〜マルクス〜ウェーバー、そしてアメリカの自由主義という思想的な手続きを踏んだうえでのこうした結論なので、単なる言葉遊びではない。
4章・5章は、より具体的に変革を担う主体としての宗教と階級に焦点。いうまでもなくウェーバーとマルクスの再解釈にあるけれど、本書の主題を理解するには3章までで事足りる。
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震災の傷が癒えたとはとても言えないが、1年が経ち、震災に関わる様々な論考を目にすることができるようになってきた。本書は、震災を手がかりにした哲学書であるとともに、実際の震災問題として脱原発を目指すという二重の論考である。続きはブログ→http://hiderot.blogspot.jp/2012/05/blog-post_16.html
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震災・原発事故のお話を、フロイト、ロールズ、江夏、イエス・キリスト…と相変わらずの「そんな無茶な」と思わせるアクロバティックさを保ちつつ、その説得力に今回も驚きました。
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(2012.09.24読了)(2012.09.14借入)
【東日本大震災関連・その103】
副題「3・11後の哲学」
「本書には、2011年3月11日に端を発した出来事―東日本大震災と原発事故―をきっかけにして考えたこと、考えさせられたこと、われわれ(の社会)について考えざるをえなかったことを記してある。」(あとがきより)
東日本大震災と神の問題という発想は、普段することはないけど、信仰をもっている人にとっては、なぜ神は、あの人を殺し私が助かったのか、という問題が生じる、という。
確かにそうかもしれない。
原発は、廃止すべきかどうかという問題は、偽ソフィーの選択だという。確かにそうかもしれない。でも、そう感じられないのは、なぜかという考察をしてくれているのだが、よく理解できなかった。
キリスト教、哲学、『ソフィーの選択』、マルクス主義、いろんな切り口から考える糸口を探っている。分かりやすい部分もあるけれど、ちんぷんかんぷんで、ついていけなかったところもある。マルクスやらヘーゲルやらが出てきたあたりは、お手上げだった。
【目次】
序 夢よりも深い覚醒へ
Ⅰ 倫理の不安―9.11と3.11の教訓
Ⅱ 原子力という神
Ⅲ 未来の他者はどこにいる? ここに!
Ⅳ 神の国はあなたたちの中に
Ⅴ 階級の召命
結 特異な社会契約
あとがき
●脱原発(10頁)
日本は、全面的な脱原発を目標としなくてはならない。とはいえ、すべての原発を即刻停止して、直ちに廃炉の準備に取り掛かるというやり方は、現実性に乏しい。原子炉ごとに閉鎖の年限を決定し、段階的に完全な脱原発を実現するのがよいだろう。
●『ソフィーの選択』(20頁)
ポーランド人でレジスタンスの活動家とつながりがあったソフィーは、ナチスに逮捕され、二人の子どもとともにアウシュヴィッツに送られた。彼女は、そこで、ナチの将校から選択を迫られる。二人の子どものうちのどちらか一方を選べ、と言うのである。選ばれなかった方の子どもはガス室に送られることになる。ソフィーが、どちらの子どもも手放すことができない、として選択を拒否すると、将校は、それならば二人ともガス室に送ることになる、という。ソフィーは、苦しんだ末、年長の息子の方を取り、妹の方をナチに委ねてしまう。
●事故が起こらなければ(55頁)
原発事故が起きないようにする最も確実な手段は、言うまでもなく、原発そのものを建設しないことである。しかし、次のような思いが出てくるのは避けがたい。原発はもともと相当安全に作られているのだから、一切の建設を諦めるというよな極端に走らなくても、事故を起こさずに済むのではないか、と。
●プルトニウムの人体実験(86頁)
ウェルサムの『プルトニウムファイル』は、1940-50年代のアメリカで、プルトニウムの影響を調べるための秘密の人体実験の全貌を暴くことを、主要な目的としている。この実験の被験者には、回復する見込みのない重い病気の患者や、囚人、知的障害児らが使われた。
●ノアが神を救った。(98頁)
もし神が、すべての被造物を洗い流してしまったとしたらどうだったかを考えてみればよい。���の場合には、神は完全に間違った宇宙を創造していたことになるだろう。つまり、神による天地創造は全く無意味なものだったことになる。従って、神がやったことに意味があるためには、すべてが破壊されてはならないのだ。ノア(たち)が箱舟に乗ったことによって救われたのは、ノア(たち)ではない。神こそが、ノアの方舟によって救われているのである。
●偽ソフィーの選択(111頁)
もしソフィーの手のうちにあるものが、二人の子どもではなく、一人の子どもとエアコンや大金だったとしたらどうであろうか。強盗がきて、子どもか金一億円のどちらかをよこせ、と彼女に迫っているとしたらどうだろうか。
●ハイデガーのテーゼ(136頁)
ハイデガーは、人間と動物(生命)と無生物との関係を、非常に有名な三つのテーゼに要約している。
① 石(無生物的な物)は世界をもたない
② トカゲ(動物)はわずかに世界をもつ―貧しい世界をもつ
③ 人間は世界をつくる
●ノンアルコール・ビール(163頁)
「原子力の平和利用」というスローガンは、ノンアルコール・ビールを連想させずにはおかない。原子力は、危険である。その危険性は、半端ではない。なにしろ、それによって人類や生態系そのものが破壊されてしまう恐れすらあるのだから。その危険な部分をすべて除去して、安全なだけの原子力を作ろう。その産物が原子力発電所である。
●誤植(232頁8行目)
権威あるテスクトの逆説⇒権威あるテクストの逆説
(「ス」と「ク」が逆転しています。岩波書店の本で誤植を初めて見つけました。小見出しなので、編集者のミスなのでしょう。)
☆関連図書(既読)
「慈悲の怒り」上田紀行著、朝日新聞出版、2011.06.30
「ふしぎなキリスト教」橋爪大三郎・大沢真幸著、講談社現代新書、2011.05.20
(2012年9月26日・記)
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4章の途中で放り出す。『不可能性の時代』よりもさらにヒドイ。
一見別物と見えるものを並べることで、より深く物事を理解できるようになることをめざしていることはわかる。けど、いろいろでぶち込んでくる類比が、どれもうっすら似ているという程度で、目を開かれる気がしない。中途半端な類比を複数ならべるより、1つだけをじっくり比較したほうが、いいんじゃない?
惰眠をむさぼり、浅い夢を見ているような読書経験であった。