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紙の本
山口瞳による1960年代の人生相談に「時代」がうっすらと見える
2012/05/18 10:32
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:本を読むひと - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の初めにエピグラフ風に著者の言葉がある。《私が心がけた唯一のことは、どんなことがあろうとも、投書された方を小馬鹿にするような解答を書かないということでした。私自身がその立場にある者として考えてみることでした。》
これは最後の投書に対する「お答」のなかから抜粋された言葉だが、確かに当時40代初めごろの著者が、一つ一つの投書に真剣に答えを探していることが分かる本書の内容に沿った表現だと納得する。
さて私はこの本のなかの、ある「問い」とそれへの「お答」を読んで不意に不思議なほどの感動におそわれた。その感動はやがてうっすらと消え去ったが、なぜ感動したのか確かめたい思いは消えていない。結婚して三年の妻が夫を「どうしても尊敬できない」という。彼女は「女子大を卒業」しており、「夫は高校卒業」だが、「現場で叩きあげたタイプで、三十五歳で課長というのは、その学歴からすると異例だそうです」ともいう。だが「万事につけて考え方が低級」であり、「趣味が悪く」「性格があわない」と30歳になるその主婦は書いている。「問い」のなかからは省かれているが、「お答」の文面から察すると一歳の子供もいるようだ。どのような経緯で結婚したかは不明だ。《いくらすすめても実用書以外の書物を読みませんし、映画や演劇に誘っても行こうとしません。先生! どうしたらいいでしょうか。》という言葉で「問い」は締めくくられる。
著者はあわただしく、「お答」をこう書き始める。《なにも考えることはないじゃありませんか。すぐに離婚しなさい。『週刊文春』のこの欄を見たら、即刻、荷物をまとめて家を出なさいよ。》そして、どんな夫婦の軋轢でも「おさまるものならおさめてみようという態度」を自認する著者が、ただひとつ例外として、「尊敬できない夫」「尊敬できない妻」というケースを挙げる。
だがむしろ続く文章を読むかぎり、著者の怒りは、投書してきた女性が何かを知らないこと、無知という心の状態にあることに向けられているようにも推測される。だから相手の傲慢さ、駄目さ、救いようのなさを書きつらねながら、さらには「私にとっていちばん嫌いな女なんだから、相談にのる必要もない」と書きながら、著者はこの「お答」をどう締めくくるか少し考えあぐねたかもしれない。
《あなたは、ご主人が学歴もないのに、がんばって現在の地位についたのは将来の妻や子の幸福をねがってのことだと考えたことはありませんか》という投書者への「問い」は他の解答者でも書く言葉にちがいない。だがこうした言葉は、最後の文章にいたる手前において必要な布石なのだろう。結局、著者は次のようにしたためて、解答を終える。《最後に老婆心あるいは蛇足。/もし、私があなたの立場だったら、こんなに楽しいことはないと考えます。そういう男を豊かな心の持主に改造する仕事は面白いよ。》
この最後の文章において山口瞳はいわば転調をおこなっている。ある主婦に、ある人生相談を綴らせるにいたったものに想像力をはたらかせている。これまでコテンパンにやっつけていた彼女に対し、ある思考の転換をもたらそうとしているのだろうか。
ともあれ私はこうした最後にいたる「お答」の流れをたどるどこかで不意に、ある情動にとらわれたようだ。もしかしたらそれは、この「お答」を読む投書の主自身になって、自身の無知を知ること、そしてそのことが間近にいる存在への愛に結びつく、得体のしれない感情の転換を「生きる」ことだったかもしれない。1960年代、墨田区に当時住んでいた30歳のS子がどうこの「お答」を現実に読んだかにかかわりなく、である。
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