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読み終わったあと、泣きたくなった。在特会は日本人そのものだ。初めは妙に主観的な文体が気に入らなかった。在特会のような陳腐な団体のルポなんだから、もっと冷静で客観的な文体の方がいいだろうと思った。しかし、エピローグで打ちのめされた。筆者自身が言っている事は僕にもよく分かる。僕が学生時代、オウムが一世を風靡した。僕の友人の多くも入信し、逮捕者も出た。彼らは一様に真面目で、生きづらそうだった。僕も生きづらさを感じていた。僕がオウムに入信しなかったのも偶然でしかないのかもしれない。在特会はまさに当時のオウムだ。社会でうまく生きられない真面目な若者の受け皿。擬似的な家族。彼らは右翼でも保守でもない。ただ、自己実現をし、承認して欲しいのだ。それはバブルがはじけ、失われた20年を過ごし、大震災を機にその腐った屋台骨が晒された日本に絶望した、多くの日本人と何も変わらない。日本人は今、自信を失い、進むべき道も見失い、頼るべき価値観も分からない。ただ、自己実現を求め、承認される事を望んでいる。在特会は日本人そのものだ。
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ネトウヨの存在は知っていたしヤフーのコメント欄等にへんてこなコメントをする連中をなんだこいつらと思ってもいたが、「在特会」の存在は知らなった。みっともない連中だが自分の中に存在する差別意識を妙な形で喚起させられるのはとても嫌な気分だ。
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在特会って、すごく暴力に弱そう。ここは暴力と言うよりもゲバルトという方があっているかもしれないけど、反対勢力にそれをかけられたら脆いと思う。
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そもそも彼らはなんでこんなことを主張するのか。
これにあるのは、ネット上でのエスノセントリズムに満ちた罵詈雑言が不思議だからだ。どこのどんな面した連中がこんなことを書いているのだ? と。それを実際に見てみたいという気持ちはわく。
で、実際に面出しした連中が現れたし、それを追ったルポということになる。
結果は、なんというなく予想通りという感じで意外性はない。
意外性がないだけに、疑う気持ちもわく。
だれしもがもつ憎悪や恐怖、そして差別感情を、匿名だから言いたい放題言うという見方。特別な存在ではなく、そこに心の闇を拡大するツールがあったというものだ。
なぜそうするかというと、社会が不安定になって、仲間を求めるからで、仲間を作る手段として恐怖や憎悪を利用している。
だから、実際の「敵」が恐るべきものなのか、憎むべきものなのかは、どうでもいい。
著者はあえてこの用語や説明を使っていないけど、ナチス台頭時のドイツと同じであり、階級脱落や無産階級であり、疎外であり共同体の喪失だ。エーリッヒ・フロムの自由からの逃走の見立てである(エーリッヒ・フロムについては本書内で言及している。)
これ(自由からの逃走の見立て)は私も妥当だと思う。というか、そういうふうにしか見えない。
2ちゃんねるでもそういうことなんだろうなあと思っていて、面出しした連中のルポを読んでみたら、実際にそうだったという感じだ。
それだけに、「分かりやすすぎる」というのが、いささかひっかかる。
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では具体的に、他にどういう解釈があるのかと言われると分からない。
ただ、なんとなくだけど、良いいい方が思い浮かばないのだけど、それは「闇」じゃないのではないかと思う。
闇じゃなくて、「暴力の欠如」にあるように思う。なんでこんなにゲバルトに弱そうな活動が、曲がりなりにも存在しているのか、そっちのほうが気になった。なんか間尺に合わないぞ、と。
それは、在特会に「敵」とされた側からの暴力的反撃(つまりはでもで乱闘になって、鉄拳でもゲバ棒でも殴り倒せ)の欠如という意味ではなくて、「暴力を受けるかもしれない」という恐怖感が在特会に欠如しているという意味だ。
私は、この本の中で「大人たち」と言われている人々に違和感を感じた。
彼らはこれを知っているはずなんじゃないのか。むしろプロなのではないか。
世代間のギャップとか、ネットとか、「リアルとバーチャルの区別の付かない」という説明とか、そういうところに落としこむ話じゃないように思う。
まとまりのない感想文ですいません。オチ無しです。
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主に在特会に関しての取材をもとにした内容。参加者の裏の側面が興味深かった。在日朝鮮人への非難だけでなく、生活保護受給者へのバッシングにもつながるものがあるなと思った。要するに、オレがこんなに不遇なのにお前らズルして得しやがって!ということか。そして在特会を産み落とした温床に、差別を表面的には意識していない一般市民の思いがあるということなんだと書いてありうなづけるところも。
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在特会の取材を通して見えてくる日本の現状。受け入れがたい在特会の活動ではあるが、他方で人々をそこに導いてしまう日本社会の構造に打ちのめされる。
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数年前ぼくは時々2チャンネルを覗いたり書き込んだりしていたが、その時に何の脈絡も根拠もなく「お前は韓国人か」と罵倒してくる書き込みがあった。様々なスレッドにそのような書き込みは見受けられ、在日韓国人に対する敵意をあらわにしていた。彼らはいったいどの様な人物で、このような鬱屈した書き込みをするのだろうと怪訝に思うと同時に、何が彼らを嫌韓に向かわせるのか不思議でもあった。相当数のひとが匿名性を傘にこのような醜い書き込みをするのが人間の持っている本質なのだろうかと思うとなんともやるせない気持ちになった。
後に「ネトウヨ」と呼ばれる人々が存在するらしいということを知ったが、その実態は謎だった。しかし、この本を読んで、ネトウヨと呼ばれる人々が想像以上に具体的な活動体を持つことを知って驚愕した。「在日特権を許さない市民の会」通称「在特会」は、全国に1万1千人の会員を持つ保守・右翼団体の中でも最大規模を誇る団体である。この本は、その在特会がどのように成立したのか、かれらに加わる人々に心理はどのようなものなのか、詳述している。
すべての人がとは言わないが、承認欲求を満たせない人は、時としていびつな形でその欲求を満たすことがある。しかもそのいびつさに無自覚であることが多い。いびつさとは所詮、ある定規のもとで計ったものに過ぎないからだ。
この本で描かれているのは、まごうことなき人間の弱い姿なのだろうと思う。その姿が明らかにされたことで、暗闇で息づいていたモンスターが照らし出されたような、すっきりとした気持ちになれた。
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2012年この一冊、みたいなサイトで紹介されていたので興味を持った。
在特会という名前だけは聞いたことがあったけど、どんな団体かは知らなかったので中々興味深かった。会を通じて団結し擬似家族を形成する姿に羨望を覚える気持ちは少し分かる。
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本書が面白いのは、入念な踏み込んだ取材をしながらもバランスの取れた書き方をしているからだと思う。著者は「エピローグ」で書くように、在特会にシンパシーを持ったことは一度もないとしつつも「青春」している彼らに羨望を覚える。その著者の取材によって浮き彫りにされていくのは、街宣活動では聞くに耐えない暴言を吐くが終わった途端優しい人柄を見せる両義的な在特会の人々だ。在特会、会長の桜井などへの単なる批判だけではなく、彼らはどんな人間なのか、彼らを駆り立てるものは何かという「人」への興味を、ある種の羨望とともに追いかけていくスタンスが本書をより深みのあるものにし、バランスの取れた内容にもしているのだと思う。
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「先進国」日本の幻想が崩れ、経済が落ち込むなか、「生きづらい世の中」をつくった「敵」探しがすすむ。その中で、在日韓国人・朝鮮人にさだめ、うまくいかない原因をすべて彼らに押しつけ、自ら(を含む日本人)を「被害者」と位置づけようとする。「在特会」に救いを求める人たちの構図のこうした読み解きは、なかなか説得力がある。著者の「在特会」周辺への取材、聞き取りがていねいで、「ただの正体がわからない不気味な人たち」ではなく、ごくふつうの人たちが所属しているのだということがよくわかる。「上から」ではなく、取材対象と同じ地平から、という著者の視点が、読む側にも落ち着きを与えてくれる。
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なんともやるせない気持ちにさせる本だなあ。
こういう「気分」みたいなものが、昨年末の選挙結果にも反映されているのだろうか?
多文化共生を飯の種にしている以上、こういう本もたまには読むのである。
頁をめくっている間中、頭の中にはブルーハーツの曲・[TRAIN‐TRAIN]が鳴り響いていた。歌詞の一節にこうある。『弱い者たちが夕暮れ/さらに弱いものを叩く』
言わんとするところの多くは語るまい。
で、結局この人たちは何がしたいのだろう?というのが読み終わっての正直な感想。
いわゆる右翼の人からも「在特会には思想がない(p.245)」と言われる始末で、そうなると街頭であらゆる罵倒語を駆使して誹謗中傷を繰り返すのは一種の憂さ晴らしかオフ会のようなものなのでは、という気がしてくる。筆者はその点こそが、在特会の運動が広がった原因の一つではないか、と分析するのだが。
在特会おなじみの主張として筆者があげる、自殺者三万人とセットになった外国籍住民への生活保護支給問題(P.53ほか)など、少し考えれば、自殺者数三万人と、外国人生活保護受給問題とは何の関係もないことが分かるのだが、彼らは大まじめだ。三万人の自殺者の原因が外国人の生活保護受給に帰するというのならまだしも、この二つを強引に結びつけてさも在日の人が特権を有しているかの如き言い回しなど、論理破綻も甚だしく、到底理解できない。自殺者を減らす問題と、生活保護受給者を減らす問題はどちらも専従に取り組むべき課題だ。
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元々は全く興味のなかったテーマ。
「凄いから」と勧められるがまま読んだ。
感想は、「確かに凄かった」。
そこそこネットに触れる機会がある人間にとって「●●は在日の仕業」とか「犯人は在日」とか、2chやヤフコメ、Fb、Twitterなどで繰り返し在日朝鮮人を中心に人種差別的な発言をする輩がいることは知られている。
でもその中心にこのサブタイトルにある「在特会」という「市民団体」があるとは知らなかった。(全てが彼らによるものではないが)
そして、彼らがどういう人間で、何故そのような行動をとるのかについてのルポルタージュ作品が本書である。
私はこの本を読んで、作者のエピローグと同じ感覚を持った。
私の勝手な言葉で書けば、彼らは、特殊だけど特別ではなく、もしかしたら自分も彼らのようになっていたかもしれないし、隣人は彼らのような人たちかもしれない、ということ。
彼らを生み出しているものは何なのか、安直に考えれば所得格差や無縁社会ということになるだろうが、そればかりではないようにも思えた。
私も筆者同様、彼らの考え方や行動には微塵も賛同できないが、彼らのような存在は何かの必然性をもって生まれていると感じた。それが何なのか、かつての彼らのような存在は今どうなのかをもっと知りたくなった。
学生運動や全共闘世代についても。
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『在特会』なんて知らなかったし、
『ネトウヨ』の意味も最近初めて知った。
でも、ネット上に溢れる過激なコメント
の数々が気になって読んでみた。
プロローグからガッツリ引き込まれた。
『なぜ?』という深い疑問から始まった筆者の取材は、
エピローグにおいて『在特会的なるもの』を
己の中にも見て終わる。
そして、読者である自分の中にも、
『在特会的なるもの』が少なからず
潜んでいることを知った。
筆者が結論づけているように、
『在特会とは、あなたの隣人』なのである。
ネット社会、格差社会、
反エリート主義、社会的排除、
スケープゴート、マイノリティ、
無縁社会、擬似家族、承認欲求、
カタルシス、ルサンチマン・・・
さまざまな心理や社会背景が
複雑に絡まり合って
在特会は産み落とされた。
描かれているのは在特会の闇ではなく、
日本社会の闇のような気がした。
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在特会が攻撃目標にしている教育機関に勤めている知人がいたこともあり、その名前だけは随分前から知っていた。動画も見た。どんな過激な主張であれ、言論の自由は一応認める立場ではある。但、市民運動と言うなら目標が伴わなければならない。著者は彼等の理念、行動には全面的に反対する立場ながらも、その置かれた状況には一定の理解を示しているように見えるが、私的には閉塞感・孤立感から逃れる為に、群れ且つ攻撃対象を見付け発散するという行為には一片の理解も共感も見い出せない。身を捨てる覚悟がないから攻撃対象を掏り替えるしかない。
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Interesting book to learn new-type terrorism in Japan
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在特会を追いかけたルポ。実際にメンバーに取材をしている点は評価できる。
著者は、節々でメンバーの心理を推察している。しかし、感想でしかないので、たんたんと事実だけを記録したほうがよかった。
在特会の成長のはいけには、カリスマ的リーダー、国内にいる「敵」への攻撃、人々の心の隙間、集団性など、
ナチスと同じ集団心理の原理が働いている。
これはナチスだけでなくカルト集団などにも起こる再現性のある現象である。集団心理やナチスドイツの歴史などを勉強してから、書いて欲しかった。
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