投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
アニメクリエイターとして有名な押井守によるコミュニケーション論。
アニメの話に偏ることなく、今の日本の問題を的確にえぐっている感が。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
思考エネルギーがじわじわと湧いてくるようで興奮しながら読んだ。
少し大げさに言うと、脳みそをシャッフルされるような感覚、脳の血流が早くなっていく感じ。
著者の映画は、一作だけ観たことがあるのだが、「みんなが戦争を忘れたふりをしているのなら映画で戦争を作ってやろう」という言葉に、戦闘シーンに感じた嫌悪感は、まさに著者の意図するところだったのだと合点がいった。
日本人の言語能力の低下の原因の一つに、言文一致運動を挙げている。
言文一致で、文語体が口語体になることにより、ロジカルな思考から遠ざかったのである。
また、このことを遠因として教養もなくなりつつある。
そのくせ、お手軽な知識だけを得ようとする。
この部分には、耳が痛かった。
労せずして、知識を得たいという思いは私の中にもあり、読書をする際に枝葉の部分は意味のないものと見なしてしまうことがあるからだ。
クラウゼヴィッツの『戦争論』という本は、とても読みにくい本であるが、その理由はクラウゼヴィッツが軍人であり、言いたいことを自由に言えないため迂遠な言い方がされているからだという。
そのような時代背景を知ることで、はじめて理解が出来得る。
読書だけでなく、バックグラウンドを知ることなしに本質にはたどり着けない。
全体的に、安易に、表面的になっている現状は、コミュニケーションの仕方に一端があるようにも思う。
日本の国土がそうさせたのかは分からないが、気質で片づけていい話ではないし、こういう話を堂々と議論出来るようになったらなと思う。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
タイトルに釣られて、しょうもない本かと思っていたら、結構いい本でした。
学生運動に参加していた過去があるたげに
左な思想なのかと勝手に思い込んでいたが、
本読み進めて行くうちに非常に真っ当な保守思想の持ち主である事が感じとれた。
著者がどう思っているかはわかりませんが。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
有名なアニメーション監督の押井守氏の日本人論を読了。或る意味過激な論調だが非常に考えさせられる現在の日本人が必要としているものに関して考えさせられた。多くの人に読んでほしい。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
「コミニケーションには
①関係を維持するためのもの[ウソお世辞を含む]と、
②本音で議論するためりものの2つがある。」
「日本には議論のための空間がない」
「本当の知識は重いものだ、獲得するには労力がいる、WEBで得られるものとは異なる」
などなど重たい本質論が繰り広げられる。
職場でこんなことを言っていると嫌われるだろう。
押井監督も嫌われているそうだ、
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
日本の対フランス貿易額で2番目に多いのはこの使用済み燃料であるプルトニウムの再処理費用
情緒というのは正常な思考を麻痺させる
海上自衛隊で一番足りないのは輸送艦。
輸送艦が足りないから民間の輸送機能を使うしかない
日本人は、個々の問題よりも共同性を重視する。共同性を重視するために、目先の問題だけを次々に回避していく
日本は小さな島国で逃げ場がないから、中国やロシアのようなあからさまな嘘をつく文化にはならなかった。しかし、まわりに同調するという嘘をついた
軍隊でいちばん重要なのは優先順位だ。順番なのだ。
知識をいくらつめこんでも知識人になるだけで、知識人でも大馬鹿はいくらでもいる
ばかにならないことをもって、教養人と呼ぶ。それはいいかえるなら、まっとうな価値観を持つということだ
どんな知識や情報を得ようともそのことによって振り回されたりしない、それが価値観をもつということだ
順番にものを考えられないということの他に、日本人の伝統がもうひとつある。危機感のなさだ
大和やゼロ戦などの存在を含めて日本では人気の高い海軍だが、実際は初戦を除けば負けっぱなしだった。陸軍のほうが最後まで善戦していたのだ。貧弱な装備と少ない兵隊で4年間も戦っていた。参謀は馬鹿だったけれども、技術は先進的で兵士は優秀だった
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
【ノート】
・3.11の震災を切り口に広げられていく、押井さんの、この国におけるコミュニケーションのいびつさについてのロジック。
・「ひとまず信じない」=判断を留保して自分の頭で考える、知識の問題ではなくて覚悟の問題。
・原発についての宮崎駿批判は歯に衣着せず痛烈。こう言われてしまうと「え、宮崎駿って、そうなの?」と思ってしまいがちだが、そこで「ひとまず信じない」ことこそが大事なんだ。太平洋戦争時の海軍批判もそう。
・「軍事オタク」でもある押井さんが、国を考える時に軍事のことが必須にならない今の状況はおかしいと言っているが、これは佐藤優さんとも共通。
・彼の他の著作でも述べられている、映画を作るときのプロセスが実は面白かった。
第1章 コミュニケーションのできない日本人
ツィッターはコミュニケーションの役に立ったのか?
コミュニケーションとは何か?
言語空間と言論空間
感情移入に意味はない
福島という地のもつ歴史
インターネットは言論には向いていない
なぜ、他人とつきあうのか?
第2章 僕は原発推進派である
原発問題のすべての根源
原爆と原発はセットである(これは佐藤優さんにしろ手嶋さんにしろ同じことを言ってる)
嘘をつくということ(これは加藤典洋さんなんかに通じるのでは?)
スタジオジブリが出した横断幕(痛烈な宮崎駿批判。これだけ読めばなるほどと思うが、宮崎さん側にも主張はあるのだろう)
ディズニーと読売新聞と原子力政策
あえて原発推進派になるということ(「国防」ということを、でも大っぴらには言えないでしょ?)
国防なき国の悲劇
第3章 曖昧な言葉が生む無責任な世界
順番にものを考えるということ
「みなまで言うな」という日本人の美学
書き言葉の衰退と言語能力の低下
言文一致運動と言語の特殊化
本になっていないものは信用しない
知識と教養は違う
文章を引用するということ
アニメの現場と福島原発問題
第4章 日本はまだ近代国家ではない
戦争を止める言葉を持たなかった日本
属国であるということ
「こうなったらいいなあ」だけで生きてきた日本人
日本は核武装するなと言われていたわけではない(これはホント?だとしたら、日本はアメリカにとって狡猾な印象を与えても仕方がないけど)
日本人という根拠はどこにある?(「言葉」と断言)
日本にオリジナルはない(オリジナルの定義にもよるけど。正剛さんの「日本という方法」読まなきゃ)
第5章 終わりなき日常は終わらない
危機感なき人々
かりそめのナショナリズムと見えないブレーカー(メタルギアのらりるれろ?)
オヤジギャグが象徴するもの
未熟なドラマの先にあるもの
人を説得するということ
終わらない日常は終わったのか?
山田正紀と大江健三郎(具体的に何を指している?)
震災後の世界にファン��ジーは無効なのか?
第6章 自分の頭で考える−本質論の時代
あらかじめ失われた暴動
今こそ、本質論を言ってる場合なのである
真善美の起源(これを出してきたのは、ちょっと我田引水と感じた)
ネットワークデモクラシーなどない
不謹慎という罠を超えて
被災地へ行くということ
結果を見届けるということ
「ひとまず信じない」という選択
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
なんともまあうるさいオヤジの繰り言。
現場で説得する屁理屈が仕事だとか。
この人の現場では働きたくないなあ。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
口を開けば出てくる宮さん(宮崎駿氏)の暴言。どれだけ好きなんだよと突っ込みながら読んでいた。本文は微妙な内容も多いが、日本人は論理的思考で物を考えるのが苦手なのは、日本語の文法構造がロジカルでないため、お互いにニュアンスを汲み取って語らないので言論にならないという論法は面白かった。日本語がロジカルでないから論理的思考が苦手なのか、論理的思考が苦手だから曖昧な言語になっていったのか興味深い。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
原発問題を中心に、コミュニケーションとは何かを問う一冊。著者と似た意見を持っていたとしても、通常は周囲の反感を買わないよう、あえて口にしないことをズバッと書いています。自分なりにタイトルの意味をまとめると、「立場を明確にして物事の本質を問わなければいけない場で、現状維持の空気を読んだコミュニケーションばかりだと、本質から外れてなんの解決にもならない。そんなコミュニケーションは要らない」です。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
タイトルがセンセーショナルだけれども、言葉通りの意味ではなくて、現状の、ソーシャルネット上や日本の言論は、とてもコミュニケーションが成り立っている状況ではない、ということを言っている本。
震災直後の混乱した時間帯に、各国の戦闘機が領空侵犯をして、日本の国防能力を測っていた、という話しなど、かなりマニアックな視点ではあるけれども、今まで考えたこともなかったことをいろいろと考えさせられた。
あえて自分は原発賛成派だ、と言ったり、インターネット上でのコミュニケーションを完全に否定していたり、この人の言っていることもだいぶ過激で偏った意見とは思うものの、自分の思うところをストレートに表現していて、誰にはばかることもなく堂々と語っているところは好感が持てた。
ツイッターやSNSは、問題を議論する「言論空間」たり得ているか?僕はそもそも「インターネット」という空間は、コミュニケーションには向いていない世界だと思っている。
何よりもまず、ネットでのコミュニケーションの主体は個人レベルから始まってしまうからだ。メールでもブログでもツイッターでもフェイスブックでも、それを始めた瞬間、それまでの共同体を置き去りにした個人となる。(p.35)
僕は携帯電話やPCによるインターネットとはコミュニケーションツールなどではなく、世界への窓口を限定することに成功したツールだと思っている。
ひきこもりというのは顕在化していないだけで昔からいたわけだが、これらのツールが、その環境を御膳立てしたのだ。(p.42)
近代国家としての絶対条件というのは、嘘をつかないことなのだ。だから、嘘をつきまくっている中国やロシアはまだ近代国家ではない。
欧米のまともな国なら「ここから先は絶対に嘘はない」という言論空間を常に確保している。そこで違反したら即厳罰が待っている。
たとえば米合衆国議会の上院の査問に呼ばれたら、軍人だろうが誰だろうが嘘は言えない。もし嘘だとバレたら社会的に抹殺され、犯罪者として刑務所行きとなる。日本の国会の証人喚問とはレベルが違うのだ。
なぜこんな仕組みが必要かといえば、言論空間には「ここから先は嘘はなしだ」という領域を確保しないとまともな議論にならないからだ。(p.51)
今この時代に子供を持とうとするなら自分の責任で放射能の危険の度合いを調べて判断していくしかない。国が定めた放射線の基準値が適正なのかなんて、誰かに下駄をあずけている場合ではない。専門家が当てにならないのは今回の件でよくわかったはずなのだから、自分たちで判断するほかないのだ。(p.61)
普通、どの国にだって、国の存亡の危機という過去があるものだ。だが、この国は異民族に占領されたこともアメリカとの戦争での一度しかない。それもイレギュラー扱いの優しい体制だった。食料もたっぷりもらって、民主主義というオマケまでもらった。そんな歴史を持つ日本という国は、つくづく特殊なのだ。(p.63)
日本は小さな島国で逃げ場がないから、中国やロシアのようなあからさまな嘘をつく文化にはならなかった。しかし、まわりに同調するという嘘をついた。
他人に嘘をつくのではなく、自分に嘘をつく天才になったのだ。
そして、その中で言葉を便宜的に使っても良いということにしてしまったのである。(p.72)
ロジックとしての言語というのは、平たく言えば「書き言葉」のことだ。
人間は書き言葉で文章を書くことでしか論理的にものを考えるという思考回路を身につけることはできない。
そして、今、そのロジックを身につけるための「書き言葉」も急速に失われつつある。メールにブログにツイッターにと、毎日何らかの文字をモニターへ打ち続けている日本人だが、そこには「書き言葉」は存在しない。(p.75)
僕は、基本的にネットにある言葉を信用していない。
本当に大切なことはメールにも書かない。
そもそも口語が獲得する言語空間と、文語が獲得する言語空間は違う。
口語を操っていても口が達者になるだけで文章は巧くならない。時と場所が違う人間が読んだら、わけのわからない得体の知れない文字列となるだけだ。
人を説得する言葉を並べたいのなら、一冊の本を書くべきだ。ネットに膨大な言葉を書く時間と情熱があるなら、一冊の本を書いたほうがはるかに有用だ。
僕は多弁なほうだが、どんなに語ろうと一冊の本を書くことに勝るものはない。少なくとも、一冊の本の量がなければ他者に何かを説明することなどできないはずだ。(p.82)
今の時代に「創る」ということは「選ぶ」ということと同義だと僕は思っている。それ以外にクリエイティビティなんてないとすら思う。
「創る」という言葉の意味が曖昧で、あたかもゼロから何かを生み出すような誤解を招くが、それはすでにある膨大な知的資産の中から、自分の価値観に照らしあわせて必要なものを選んでいるというだけだ。(p.91)
日本人にとって日本はなぜ必要なのか。
僕自身の答えは明快にある。日本語で仕事をして、日本語でしか思考できないからだ。それが、僕が日本を必要とする理由のすべてといってもいい。
ようするに言葉だ。日本語という言論空間がなければ日本人たりうるわけがない。
僕にとって映画を作る過程において、日本語というツールは必須だ。
日本語空間でなければ自分が成立しないからだ。(p.113)
文学や音楽や絵画が文化であるように軍事だって文化だ。英語なら、「Art」という言葉を当ててもいい。日本人もかつてはそう考えていた。文化人にとって軍事的教養は必須だった。少なくとも戦国時代から明治時代まではそうだった。
戦後から突然、それがタブーになってしまったのである。
軍事と語らなくても文化人面ができるようになり、むしろ語らないことが条件とも言えるくらいになってしまった。(p.121)
いつも言うのだけれど、主人公が優柔不断であるとか、根拠を持たないがゆえに起こるドラマはドラマではない。そして、日本のアニメや漫画や小説の多くはこれに当てはまる。すべての主人公が碇シンジくんであり、アムロ・レイくんであり、彼らには一様に根拠がなく動機もない。
ようするに未熟なのだ。
未熟であるがゆえに生起するドラマはドラマとは呼ばない。ドラマとは「価値観の相克」のことだ。俺はあんたが好きだ。あんたも俺が好きだ。でも、なぜか二人は一緒に��れない。これならドラマたりえる。だから、好きだということを言わないで永遠に続くドラマはドラマとはいえないのだ。(p.131)
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
何かを全否定、自分は否定される側、完全開き直り、という展開が何度かあったので、読んでて混乱した。一貫性に乏しい。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
日本には必要のないコミュニケーションが溢れている。逆にSNSにより必要なコミュニケーションが失われていくのか。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
押井守流のコミュニケーション、言語空間・言論空間を語っている一冊。
東日本大震災の1年後に出版され、
第一声に震災での原発について語るところから始まる。
と言っても、これが重要でもメインでもないので、
この話に感化している人は読解力が無いと言わざるを得ないでしょう。
原発事故は一例として、コミュニケーションに対する意義を説いている。
内容が、2012年のことなので、2020年以降のコロナ禍を経てのネット社会や生活保護に対しての考えが変わっていることを期待したい。
気になったのは、2008年のリーマンショックのことは、
記憶にないのだろうか・・・って、そんなことを言っても仕方ないのかな。