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「通過儀礼」をキーワードにした映画評論。視点としては面白いし、なるほどと首肯する部分も多々あったが、それだけでもないだろうという気もする。
ひとつのものの見方というものを教わりました。
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宗教学者の島田浩己が「通過儀礼」という視点で映画の見方を紹介した一冊。
どの章も大変興味深く読めるが、ハイライトはやはり第一章の「『ローマの休日』が教えてくれる映画の見方」と第三章の「アメリカ映画は父殺しを描く」ではないだろうか。第一章では本書の基本的な視点を古典『ローマの休日』を例に、第三章ではアメリカ映画は何故父殺しを主題に置くのか、その文化的・歴史的背景を『フィールド・オブ・ドリームス』等の映画を引き合いに出し、紹介している。
筆者の主張をまとめると、映画(特にアメリカ映画)の主人公には通過儀礼に伴う葛藤があり、それを乗り越えて人間として成長するところに観客を揺さぶる物語があるのだという。振り返って考えてみると、私が繰り返し見ている映画、【遠い空のむこうに】や【ルディ/涙のウィニングラン】もまさに通過儀礼の視点で見ればそうである。【遠い空の向こうに】ではロケット技術者を目指す息子(ジェイク・ギレンホーク)の前に、炭坑夫で厳格な父(クリス・クーパー)が、【ルディ〜】では、大学のアメフトプレイヤーを目指す学生(ショーン・アスティン)の前に、監督が立ちはだかり、主人公はそれを乗り越えていくことで、人間としての成長を見せる。筆者の言うところの、宗教学的な通過儀礼の区分である、「分離」「移行」「結合」が伴うとき、物語はぐっと引き締まり、観客の心に訴えるドラマ性を帯びていく。
「通過儀礼」という視点で見ると、逆に心に響かない映画もはっきりと浮かび上がってくる。その一例として挙げているのが、言わずと知れた『魔女の宅急便』である。筆者は『魔女の宅急便』では主人公のキキが、トンボを助けた後にどのような変化をとげたのかあきらかではないと言い、通過儀礼が不在であると指摘している。私はこの章を読んで、目から鱗が落ちるようだった。今まで、何となく宮崎アニメの中で『魔女の宅急便』が「ときめき切らない」(あえて分かりづらい言葉を使う)理由が分かったような気がしたからだ。確かに『魔女の宅急便』には乗り越えるべき"敵"がいない。あえて挙げるとするならばせっかく届けてパイを「私これ嫌いなのよね」と迷惑そうにする孫娘だが、これも本書の中でも指摘されているが、視点を変えて考えれば、別段嫌な人間とは言えない。つまり、【魔女の宅急便】には青春映画に必要不可欠な「乗り越えるべき壁」がないのであり、だからこそ、宮崎アニメの中でも、心に一生残るような傑作になり得ていないのではないか(この映画の見所がそればかりではないことは認める)。
『男はつらいよ』を例に、日米の「通過儀礼」の違いを指摘する章も大変興味深かった。アメリカ映画には明確な通過儀礼が存在するが、『男はつらいよ』に代表される日本映画には明確な通過儀礼と言えるものがなく、しかし、年月を重ねると確実に人間としての魅力が増している、不思議な性質を帯びていると述べている。あとがきで町山智浩氏も指摘しているが、かつては部落などの共同体が行っていた通過儀礼の儀式だが、国家による徴兵制、企業の教育による代行を経て、現代社会ではその担い手がいなくなり、��供から大人になるのにますます時間がかかるようになっている。これは現在20代後半である私自身を振り返っても当てはまる。『スタンド・バイ・ミー』や『いまを生きる』のような劇的な体験はなく、乗り越えるべき父親も「壁」というほど厳格ではなかった。ずるずると成人式を迎え、気づけば「大人」と区分される年齢になっていた。精神的な意味では本当の「大人」になっているか疑問である。
社会学者の上野千鶴子氏も自身の著書で述べているように、親や教師は本来「明日からもうあなたは要らない」と言われるために存在するのである。そうした環境が得られない現代社会で私は映画を通してその疑似体験をし、足りない通過儀礼の要素を補完しているのかもしれないと思った。
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これをよんで、二十年前にみて、こころを揺さぶられた映画「櫻の園」の根底に少女たちの通過儀礼があったことを知り納得。もう一度見直そうと思う。
町山智浩氏による解説が素晴らしい。
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「通過儀礼」という観点から様々な映画を分析した本。たしかに「魔女の宅急便」などの分析は納得した。全体的にすらすら読めて面白い。ただ、普段観る映画の数がそれほど多くないせいか、ややこじつけのように感じられる箇所もあった。
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通過儀礼という見方…おもしろーい。
ジジとの会話が出来ないまま、というのが最近会話であがったところであった。シンクロニシティ。
ジジがパパになったから、と適当に結論付けたがどうだろう。
町山さんの解説も良い。じーんときた。
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分離ー移動ー統合。
通過儀礼という観点を映画に活用した、ただ、それだけ、の本。
こういう観点が新鮮だった時代があったのだろうか。
内容は軽くありながら丁寧でとてもよい。
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「父親殺し」といった人生の通過儀礼という観点からアメリカ映画、そして日本映画を読み解く。
前半の「ローマの休日」、「スタンド・バイ・ミー」、「スター・ウォーズ」などにおける通過儀礼の表現の解説は詳細で面白い。
後半の日本映画の方は自分自身があまり見てないから、ちょっと何とも言えない。
町山智浩氏の解説は解説自体が「通過儀礼」となっている。
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通過儀礼・・人生の節目を迎えある状態から別の状態へ移るのを確認するための儀式・・という観点から映画を見る。「ローマの休日」「スタンド・バイ・ミー」そして小津、黒沢、寅さん、宮崎映画までとりあげている。
通過儀礼は成人、結婚、葬式に代表されるが、分離、移業(試練)、結合(統合)を経るという。成人においては、親の懐から離れ、厳しい試練を課され突破して初めて大人の仲間入りができる。
「ローマの休日」ではヘプバーン演じるアン王女が分離(王室からの逃亡)、移業(髪を切る、街中での経験)を経て、統合し王女をしての自分を受け入れる、という通過儀礼の様相が見事に描かれているという。また「スタンド・バイ・ミー」も、死体探しで街を離れ、レールに沿って歩くことで試練を経て、また街へ戻り一皮むけた自分になる、とい通過儀礼の王道が描かれているという。また戻る場合は別の道を戻るのも定例だという。
「東京物語」では老夫婦が人生をまっとうするための準備の旅と読めるという。
物語を進める際に、序・破・急、という手法があるが、それが、分離・移業・統合、ということに置き換えられるのか、と思った。
単行本時の題名が「ローマで王女が知ったこと」であるが今回改名して「映画は父を殺すためにある」という題に。父を殺す、という”通過儀礼”のダイレクトな題にしたことで購買意欲をそそることに成功している。これまで自分では気づかなかった見方でなかなかおもしろかった。また島田氏はこんな映画をみてるのか、とより近親感が湧いた。
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『スタンドバイミー』でなぜ少年たちは死体を探しに行くのか。ぼんやりとは自分なりに答えがあったのだけどこの本を読んで腑に落ちた。
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「父親殺し」は、心理学的にも成長の一段階として必要なステップであるというのを、よく少年心理について書かれた本などで読むことがあり、それを映画にあてはめたらどうなるのだろうと興味を持ち、借りてみた。
通過儀礼という視点から映画を分析した本書。
「ローマの休日」「スタンド・バイ・ミー」から「男はつらいよ」、黒澤映画、小津映画、宮崎アニメまで、有名どころの見たことのあるものばかりなのでイメージは湧きやすい。
言われてみれば、と頷けることも多く、アメリカ映画の多くがキリスト教のそれに影響を色濃く受けているというのも今更ながらに再認識させられた。
宮崎映画についての考察は、う~ん、どうかな、著者が考えるような深いところまで吟味はされず、娯楽として楽しむための映画を作ったらこうなっただけ、という感じがしなくもないが。
「スタンド・バイ・ミー」もかなり昔に何度か見て以来しばらく見てないので、この視点で鑑賞したらまた違った印象で面白いかも。
何にしても、映画の重要なテーマの一つが通過儀礼というのは納得できるし、主人公が成長していく物語が、洋の東西・文化の違いを問わず、人々に受け入れられるというのは、よく理解できる。
一つの捉え方として、こんなふうに映画を見てみるというのもアリかもしれない。
巻末の町山智浩氏の解説がまた非常によい。
彼の映画評論をいくつか読んでみたくなった。
ちなみに、単行本は「ローマで王女が知ったこと」というタイトルだったそうだ。タイトルが違ったのね…道理で図書館で見つからないわけだ。
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映画を通過儀礼(イニシエーション)という観点からみた本。最初は、その視点が乱暴な気がした。が、読んでいると、納得した上に、映画の役割というのはそういうものではないか。観る者に、感情移入させる。と、同時に、その追体験を生じさせるのではないか。町山智浩さんの解説も良い。
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映画の見方の1つを教えてくれる本。
全ての映画には意味が本来的に存在しているはずであり、
それをいかに読み解くか…は見る人間に委ねられているため、
何をどう評価しようが全く問題はない。
この本も映画の見方の1つであるという認識で読み始めたものの、
通過儀礼という視点が面白く…なるほどなぁと思う瞬間が
多かった。読みやすいし、映画の見方を養うには最適かと。
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「通過儀礼」をキーワードに映画を見てみる。
と、そこに描かれているのは「父殺し」の世界。
その典型が、あの「スターウォーズ」。
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「通過儀礼」についての話。
アメリカ映画に限らずさまざまな物語において通過儀礼がどれほど必要か、と筆者は書き記している。映画のとある方程式の一つ。
これを知っておけば「通過儀礼」を指標に映画を楽しむ事が出来るし、またその方程式から逸脱した作品を楽しむ事も出来る。間違ってもその方程式から外れているからといってその映画を駄作だなんて思ってはいけない。
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映画評論家の町山智浩が推していたので購入。
映画のストーリーをイニシエーションとして捉える評論はこれまでにもあったし、前出の町山氏も同様の意見を『映画の見方が分かる本』などの著書で書いていたが、この本はそういった中でもかなりわかりやすく読みやすい部類に入ると思う。
ハリウッド映画が父殺しの物語を多く生み出しているのがキリスト教の影響にあるというあたりの考察は、宗教学者たる著者の面目躍如。
ハリウッド的な黒澤映画と、日本的な小津映画の比較は、今までなんとなく感じていた両巨匠の違いをくっきりさせてくれた。
いい本です。
中でも特に気にいったのは『男はつらいよ』を取り上げた章。
渥美清という同一の俳優が長いシリーズで主役の寅さんをずっと演じ続けることによって、役者自身が刻んだ人生が役のキャラクターにオーバーラップし、過去作との比較で本来変化していない寅さんが事実上成長して見えるという考察はとても面白かった。