紙の本
生き残った人びとのために
2019/08/14 15:37
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:夏の雨 - この投稿者のレビュー一覧を見る
この連作短編集の作者朽木祥さんは1957年広島生まれの被爆二世である。
だから、被爆地ヒロシマへの思いは深い。
しかも彼女の作家としての主戦場は児童文学であるから、子供たちにもあの時のヒロシマを、戦争を理解してもらえるように、決して難しい語彙ではなく、明快に簡潔に物語を紡いでいく力が必要だ。
昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。ヒロシマ。
「一瞬で7万の人びとの命が奪われた」。しかし、朽木さんはこの本でたった3つの物語を書いたにすぎない、という。
「雛の顔」は不思議な予知の力を持っていると思われた真知子と、その母と、その娘、三代の女たちの物語だ。
あの朝これから起こることを予知したかのように勤労奉仕に行かなかった真知子。多くの犠牲者が出た町内への遠慮から被爆間もない市中に真知子を送り込む母。美しかった母真知子が入市被爆で死んでいく姿を見つめる娘。
「石の記憶」はあの日の朝用事で銀行に行くといったまま戻らない母と、その母を捜す娘の物語。
娘が見つけたのは銀行の入り口の石の階段に残された、母の影。
原爆は影だけを石に刻むほどの圧倒的な威力だった。
三作目は「水の緘黙」。
「緘黙」とは、口を閉じて何も言わないこと、押し黙ることをいうが、主人公はあの日のショックから自分が何者であるかも忘れようとする青年。
しかし、あの日の悲惨な記憶は自分だけではないことを知り、犠牲者たちのことを覚えていようと決意する。
朽木さんはこの物語の主人公たちは「過去の亡霊」ではない、未来の私たちだという。
だから、忘れてはいけない。
あの日のヒロシマのことを、犠牲となった人たちのことを、生き残った人たちのことを。
投稿元:
レビューを見る
広島出身の著者が描く「あの日」のヒロシマに生きた人々の物語。
淡々と綴られるのは、日常が消えた街の姿。
今だからこそ読んでおきたい、そして子どもたちに手渡したい1冊です。
投稿元:
レビューを見る
人は目にしたものに耐えられないとき、本能的にその記憶を葬ろうとする。どうして自分は女学生を見捨てて逃げたのか。僕は原爆のあの日に耐えきれず、記憶をすりかえ自分の名前すら忘れてしまった。一発の爆弾が多くの理不尽な死をもたらし、生き残った人たちをも苦しめ続ける。投下の直前まであった人びとの確かな暮らしとあまりにも悲惨な死。それを忘れてはならないと思えたとき、僕はいったん死んだ自分の心を取り戻しはじめた。広島生まれで被爆二世の朽木祥さん、物語に登場するほとんどの人びとに実際のモデルがあるそうです。物語の修道士の言葉にもありましたけど、この大切な記憶をあの日を知らない私たちも自分のものとして分かち持ちたいものです。図書室に入れたので、子どもたちにさっそく紹介したいと思います。
投稿元:
レビューを見る
表紙が印象的で、著者が聞いたことあるなあっと思ったので手にとる。
あ、そうだ「引き出しの中の家」の人だ~、と。
あれはよかったー。メッチャすき。
で「八月の光」である。
読み始めてすぐに、ああ、これはヒロシマの話なのだな、と思う。
ああ、もうすぐ、次のページをめくれば。
起きることは分かっている。
でも登場人物たちはそれを知らずに、いってきます、とでかけてゆくのがなんかつらかった。
垂れ下がった皮膚、はれ上がった顔。
本当に、想像の追いつかない、心を止めなければ耐えられない光景だったのだろうと思う。そうゆう話を聞くたびに、それだけの惨状を生み出した兵器を使用した罪はないのだろうか、それに対する怒りはないのだろうか、と思う。繰り返しません、忘れません、と言うけれど・・・・・。
戦争に被害者も加害者もいいも悪いもないのかもしれない。
日本だって、731部隊とか、信じられないほどの残虐な行為を行っているし。でもだからといって原爆を受け入れる気にはなれない。
いや、怒りはあるのか。
「夕凪の国」だったか。
「死ねばいい」と誰かに思われた。でも生き残った、生き残ってしまった。
そう思って生きていた主人公が原爆症で死ぬ。
あれは落した者をはっきりと意識しての死だった。
自分は殺されるんだ、と。
そうだよな、と思う、あれは津波のような自然災害でもなんでもなくて
それを落とした者がいるのだ。
が、落した者が本当に、その結果を直視したら、きっと耐えられないだろう。たとえどんなに大義名分があろうと、あの日の苦しみを知ったなら。
心も体も、未来も、あらゆるものを壊す兵器だ。
忘れるな、忘れてはならない。
意味もなく惨い死を受け入れなければならなかった何万もの人を。
でも本当に忘れないでいられるだろうか?
つい1年前の3、11のことを忘れたかのようにスカイツリーやオリンピックに湧く国で、何十年も前のことを忘れないでいられるだろうか?
8、6、8:15 8.9 11:02
この数字だけは絶対に覚えなさい、と昔先生に言われた。その先生は
何度も何度もそう言った。
忘れないように、忘れないように。
何度も何度も。
だからこういう物語は必要だと思う。
忘れないために。
投稿元:
レビューを見る
あの夏、あの朝、ヒロシマで奪われたたくさんの命。
とてつもない悲劇の中の虚無と絶望。
気をゆるすと失われかねないその記憶は、伝え、残し、繋げなければならないのですね。
「生き残った人びとのために。」
これから生きてゆく人びとのために。
原爆の無惨さも、そして、おそらくは原発の無情さも。
投稿元:
レビューを見る
原爆投下から67年目 犠牲となった方々の一人ひとりに、それぞれの物語があったということが、淡々と語られている。
投稿元:
レビューを見る
ファンタジー世界に仮託しない、原爆を主題にした短編小説集。
「助けて」と呼ぶ女子中学生を見捨てて逃げた青年の話が秀逸。
本当は、人の心の綾を丁寧に書いた物語に「秀逸」なんてほめ言葉は使いたくないのですが、今は相応しい言葉がみつかりません。
どの短編も辛い話ですが、読後感が暗くはありません。この悲劇を越えて生きてきた先人への尊敬と親炙を感じます。
自分も、悲劇に負けなかった人たちに学びたいと思います。
投稿元:
レビューを見る
もうすぐまた原爆記念日がやってくる・・・あの日新型爆弾に一瞬にして焼かれたのは私だったのかもしれない。そう思って読みました。そして今生きている私たちがするべきことは何なのか・・・考えさせられました。
投稿元:
レビューを見る
【収録作品】雛の顔/石の記憶/水の緘黙
それまであった日常。どこにでもある光景、人の思いが断たれる。忘れてはいけない、繰り返してはいけない。
投稿元:
レビューを見る
ヒロシマ。原爆投下により世界に知られることになった名前。しかし、60年を過ぎた現代、はるかかなたの昔話のようになってはいないか。
一瞬で亡くなった多くの人、長く後遺症に苦しんだ人、生き延びて伝える人…。そうした人々のことを知ることが「何だったのか」を考えることにつながる。一篇一篇は短く、有名なエピソードに肉付けしたものもあったが、そっと誰かに手渡して夏に一度は思いをはせたい一冊。
投稿元:
レビューを見る
ぱせりさんのブログで見かける作家さんで読んでみたいと思っていました。
図書館でこの本を見つけた時は、「あった!」と。
8月の題名から今読むべき、と読み始めましたが、こんな軽い気持ちで読む本ではありませんでした。
「八月の光」=原爆でした。
広島出身ん作家さんで原爆2世とありました。
作家さんの想いがストレートに伝わってきます。
もう一度広島に行きたくなりました。
「石の記憶」石の階段に人の影が残っていた。
このことは知っていましたが、初めて知った物語でした。
投稿元:
レビューを見る
八月の光を浴びて亡くなった人たちと残された人たち。淡々とした文章でさらっと読めてしまうけど、「忘れてはいけない」という作者のメッセージは重くて強いです。
投稿元:
レビューを見る
2013よみこん推薦本ー高学年ー読み物。評価A。
あとがきより。「なぜ私でなかったのか」「なぜ私は生かされたのか」
「いま生かされている人びとの未来が、どうか、平和と希望に満ちたものでありますように!」
投稿元:
レビューを見る
広島原爆を題材にした被爆二世の方が書いた本。
生き残った人の話、資料を元に書いていてリアリティのある小説。
校長先生のおすすめ本で読了です。
投稿元:
レビューを見る
「あの人たちが死に私たちが助かったことにどんな意味を見いだせと、神が考えているのか、私にはどうしてもわからないのです」
そうか、とうとうあの三月のことを物語で思い返す時期がきたのか……と、読了後しばしぼんやりしてしまった。
なぜあのひとが死ななければならなかったのか、なぜ自分は生き残ったのか、そういうことに理由を見出さないと生きていけないから考えるけど、本当は理由なんかなくて、ただ生き残ったという事実だけが刃のように冷たく突き付けられているだけで、ともすればその冷たさに負けてしまいそうになる。そういうひとたちがきっといま、本当はいっぱいいて、これからもっと増えていくかもしれない。
そういうときに何かの救いとなれる力を持った物語がずっと、忘れられずに、書き続けられますように。