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もともと、アメリカ人にして日本人以上に日本語の達人として尊敬していたアーサー。
核を支配するアメリカの市民でありながら、世界最強のホワイトハウスのプロパガンダにもまけずに、核の本質を見抜き、広島で出会った遺品たちを通じて、日常のことばから現在への問いかけをしてくる。
中学生の制帽に、勉強することの本質、世の中を観て、考え、自分をしっかり確立していくためにこそ、「勉強」があること、つまり基本的人権としての学習権に思いを通じさせる。
この作品は、多くの子どもたちばかりでなく、大人にも読んでもらいたいものだ。
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原爆の絵本です。
原爆資料館に収められている、資料たちが8月6日の日のことを語ります。
表紙の写真は、米軍の捕虜を捕らえていた牢屋の鍵だそうです。
ピカアアアアアアと 光ったら もう
とじこめられた ヘイタイも
とじこめた ヘイタイも おなじ。
静かに、語られる言葉は多くのことを教えて、考えさせてくれるようです。
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絵本は目標百冊にいれないつもりだったけど、
これはちょっと特別。
人間ってこういう風に死んじゃだめだ。
特に子供は。
『わたしのいもうと』以来の衝撃。
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遺品という言葉で片付けてはいけない、アーサー・ビナードさんの書かれる「かたりべ」がぴったり。
決して多くない文章で、こんなにも多くのことを語れるのは、詩人でもあるアーサー・ビナードさんだからでしょう。
どの写真も、美しいといってもいいくらいなのだけど、ぐぅーーーと胸の奥の奥が痛くなります。
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胸にズシン!と来る、重量級の本だ。8月6日の朝8時15分に、広島で罪のない人々がどんな目に合わされることになったのか、その事例が見開き1ページ1ページの中に語られる。語るは、訳がわからない内に生きることを突然断たれた人々の遺品たち。14の見開きページから、忘れないでと声が聞こえるようだ。絵本という媒体を考えた時、この企画の思いきりとそこに込められた想いを感じる。文章と写真の二方向より語られることから、若い人々は何を感じるのだろう。涙で焦点が曇ることなく冷静に読めるが、その内容は胸に落ちて忘れることはないだろう。
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絵本専門店の方に絶賛オススメされて買ってみました。英語圏の作者が、第二言語で書かれている作品。第二言語でこれだけの表現が出来るって、すごい・・・。
ヒロシマの平和資料館の資料の写真と、その持ち主にまつわるお話でつづられる絵本。原発問題が騒がれる今読むことには、意味があると思う。
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思ったのは、美化しているわけではないけれどきれいな写真。一瞬で何もかもが変わってしまった。今でも残ったものが生き証明になっている。
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1945.8.6am8:15からずっとさがしている。
この世の答えを
人の愚かさや哀しみの答えを
見つからない答えを
そして、再び、人は過ちを繰り返す
読み聞かせにはちょっと重い
けれど…語りが優しいので割と読めます。
5歳児にどこまで伝わったか…
また、時間を置いて読みたい一冊です。
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1945年8月6日、朝8時15分。
広島上空で爆発したウラン爆弾。
その空の下に暮らす人々の生活を、一瞬にして奪った。
そのことを、過去に起こった遠い出来事としてではなく、
いかに自分に引き付けて感じられるか。
この絵本はそのことに挑戦していると思う。
残されたモノたちが、語る。
軍手が、お弁当が、眼鏡が、帽子が、靴が…
持ち主はどこに行ってしまったのかと。
軍手はソウチくんの右手と左手を、お弁当はレイコちゃんの「いただきます」の声を、今も、さがしている。
普通の人たちの普通の生活が、まざまざと感じられる。
家族や友だちや、自分自身のことのように。
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広島平和資料館の展示品が語り部となりました。ひしゃげたお弁当、座っていた人の影だけを残す階段、フレームだけになったメガネ・・・14の写真と詩で構成されています。
アメリカで原爆投下が日本の戦争を終わらせることができた、という教育をうけてきた作者が、広島に来て、原爆投下の現実を知った。
歴史としてしか知らない私たちも、読むべし。
巻末には それぞれの品物の持ち主の実名、原爆体験の実話が紹介されている。
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初めて資料館に行ったのは小学生だった。
日常的に戦争の傷跡がある場所から離れてみて思ったのは、
あれは非日常なのだ、ということ。
ヒロシマ、ナガサキ、そこから離れた場所での、
忘れられているのか?と、感じてしまうような感覚。
負の遺産としての核分裂を平和活用していこう、
そういう部分もあったらしい原子力発電。
でも、そこに隠されていた本当や嘘。
知らないままではなく知ろうとする力を忘れないでいたいです。
戦争は勝ち負けがあるけども、終わらないし終われない。
そんな事が続いて欲しくない、と思います。
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この本を見て 確信した
正義の戦争なんて 絶対ありえない。
どんな状況であっても、けっして戦争を認めてはいけない
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1945年8月6日8時15分。ヒロシマ。原子爆弾。
その時、ピカドンを体験した時計・弁当箱・靴・帽子・ビー玉等がカタリベとなって話がすすむ。
「いただきますを待ってます。」
「ぼくはタツヤくんの頭を守ろうとしたけど、生き残れない。
なにを勉強したら、タツヤくんは生き残れたかぼくはさがしているんだ。」
その体験したモノからの視線でかかれた1ページ1ページは
原子爆弾の大きな悲劇を物語っている。
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広島の原爆資料館で見た遺品が語りだした。
そんな写真絵本だった。
私は、中学も高校も修学旅行で広島に行った。
でも、うちの生徒たちは、修学旅行は沖縄。
広島の原爆ドームや原爆資料館へ行く機会はないかもしれない。
だからこそ、学校図書館に入れなければと思った絵本。
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戦争を語る写真絵本。著者がアメリカ生まれのアメリカ人であるところに感銘を受けた。
あの日、突然に日常を奪われた持ち主たちを探すかのような「モノ」たちの語りは、そのまま大切な人を失った誰かの心の声でもある。