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アラーキーの仕事を写真家、評論家、編集者、女優と様々な人が論じる。
レムコールハースの東京についての文章が面白かった。
東京というのは近代化していく一方で昔から残るものはそのまま。多数的で共時的なアイデンティティのストップモーション。そこがカオスで魅力的な部分である。
東京は陳腐さの侵入に対しあれほど抵抗するのに、新しい不毛さに侵略されつつある。
新しい不毛さとは二つの面を持つ東京。
第一は生気のない、口当たりのよい新しい容器の集積。新設のインフラに連想されるランドスケープ。
第二は公共領域、『西洋的に』の構築。保存運動、歩行者専用道路、パブリックアート。
この第二の近代化の動きは危険だという。
存在しないコミュニティを公に宣言し、秩序という妄想を夢見る、ノスタルジックなタペストリーを大量に織り上げつつあるという。
真実をそのまま写していく彼に、この均等化したランドスケープと、西洋を追った保存運動やパブリックアートは対象となっていくのか。という内容。
自分の中で第二の公共領域の西洋化は、よい風潮であるという意識しかなかった。が、死んだものに腐敗する自己満足的なことと捉えるとも考えられる。先入観で本質さも見えなくなる。
そしてこの現実がアラーキーの写真にどう写されるか、逆に期待する。