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プロローグから、ワクワクする面白さでした。
恒温動物は変温動物の30倍のエネルギーを使って生きていますが、現代の私達は30倍のエネルギーを費やして、恒環境を維持しようとしています。
更にエネルギーを投入して時間を作り出し、また医療の進歩などで寿命は戦後から30年も延びました。
「時間」は一定と考えられていますが、「ゾウの時間 ネズミの時間」のように、一生にも「子どもの時間 老人の時間」を考えた方がいいのではないか。
本来ヒトの寿命は30歳ほど。
生物学的に「おまけの人生」を「時間をデザイン」しながら生きるというヒントが書かれています。
また、本川先生のお話を受講する機会に恵まれましたが、中に挟まれているオリジナルの歌を聴くのが楽しみです。
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お爺さんに勧められて読んでみました。
とてもおもしろかったです。
色々と考えさせられる本だと思います。
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表題から社会科学的な論述かと思ったら、さにあらず生物科学的な論考であった。
例えば各動物の寿命を調べる。
ネズミの心臓1拍(心周期)は0.1秒、ヒトは1秒、ゾウは3秒だそうだ。そしてどれも15億回打って寿命を終える。
また動物の寿命は体重に比例するそうだ。
このあたり、酸素消費量とか標準代謝率とかアロメトリー式とか、いろいろ云われるが私には判らない。
対数を使ってきれいな表を見せられるがこれもよく判らない。
同じ体重の変温動物と恒温動物ではエネルギー消費が15倍違うそうである。恒温動物はそのエネルギーで筋肉を作り、早い動作を得て、餌の獲得が容易になり、種族が増えた。
現代の人間は同じ体重の恒温動物の44倍のエネルギーを使っているそうだ。そのエネルギーで恒温環境を作り、安楽な生活を獲得し寿命を延ばしている。戦前の農家の主婦が自分の自由になる時間は15分だった。現在は4時間である。この時間をエネルギーであがなっている。
著者によれば医術もエネルギー投入の結果だそうだ。
人間の寿命は、縄文時代30年、江戸時代45年、昭和20年代後半60年、現代80年である。
縄文時代からの50年の伸びはエネルギーの投入による。そのエネルギーは石油など天然資源を使う限り後代からの前借であり、多大な環境破壊を伴っている。
人間は前借で寿命を延ばして何をしようとしているのか。
著者はこの問いに答えるため、俄か勉強でニーチェ、カント、フッサールを読む。さらには道元「正法眼蔵」の時間論にまで踏み込む。
ニュートンの物理的時間とは別に生物的時間があるのではないかという。
延びた寿命をどうするのかについて、納得できる結論はない。
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円的な時間観を基に人生を再考するというのは新しい視点であると思う。エネルギーの代謝をその生物の時間と関連させることでもう一度これまでの、そしてこれからのことを考えて生きたい。
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動物のサイズに着目して寿命を考えてみるという、なかなか斬新なアイディアの内容です。過激なタイトルとら裏腹に、著者の真摯な態度が見てとれます。
現代人のエネルギー消費量はヒトサイズのエネルギー消費量の33倍、これを10倍にまで下げるのが良いだろうと著者は言います。なかなか難しい挑戦ですが、こういうアプローチから地球環境問題を論じるのは斬新かつ画期的であると感じました。
でもなぁ~。日本では人口減少の傾向ですが、世界的に見ると爆発的な人口増大が趨勢なので、世界的な問題としてエネルギー消費量を論じてほしかったところです(例えばアメリカの一人当たりのエネルギー消費量など)。
時間は直線的ではなく回転(サイクル)として捉えるというのは面白いです。現代日本は直線的時間に重きを置いているので、根本的な時間の概念を変えるのは一朝一夕にはできません。一人が変わっても周りが変わらなければ、ただの『変な人』で終わりですから(笑)
老人の生きる意味は生物学的にない、とはっきり言いましたが、元々人間の生きる意味なんてものは(生物学的ではなく、むしろ哲学的には)ないのだと思います。自らが意味を決め、それを全うすれば万事だと思いますし、『人間には何か生きる意味があるんだ!』と考えてしまうからこそ、『じゃあその意味とは何ぞや?』と思い悩むのでしょう。『悲しいから泣く』のではなく、『泣くから悲しい』というように、現象は本質に先立つもので、まぁ生物学と哲学を同じ土俵に立たせるのは畑違いですが(笑)
生物学から見れば著者の主張は至極もっともで正論で斬新で魅力的ですが、現実は政治的問題や経済問題、社会問題も複雑に絡み合い、どうなるか分かりません。経済学者が本書を読んでどのような感想を持つか気になります。
とにかくも刺激的な良書です。僕の評価はSにします。
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どんな本でも面白い?
どんな本でも面白い、と、若いころのワタシは友人たちに吹聴したものですが、年をとってくると緊張感というか忍耐力というか…これがなかなか持ちません。
きっと面白いだろうと思って読み始めたこの本ですが、最後まで行き着くことはできませんでした。
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生物学的な時間は、代謝、つまりエネルギー消費量で測る。小動物は超高速で駆け抜ける。大動物はゆっくり、効率よく。人間はエネルギーを多量に使って、時間を早め、環境を恒常化し、寿命を延ばしている。
様々な生物が同じライン上にプロットされるのがすごい。人間がそのラインから外れていくのは、何らかムリがあることがよくわかる。
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本川達雄さんの「長生きが地球を滅ぼす」(2006.1刊行、2012.8文庫化)は、基本的には1992年に刊行されベストセラーになった「ゾウの時間ネズミの時間」の延長線上にある作品だと思います。生物論的な経験則や理(ことわり)を人間に敷衍した考察がとても面白く興味深いです。人間が猫と15分遊べば、猫に取っては(人間の)1時間の感覚、はい、なんとなくわかります(^-^) 人間の最長の寿命は120歳ぐらい、寿命は、縄文30歳、江戸45歳、昭和25年60歳、そして老化は40歳ぐらいから起こる。急がずゆったりとw!
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ネズミの心臓も、象の心臓も、同じく約15億回鼓動すると動きをやめて死に至る。
そんな話を聞いたことがある。
ネズミの心臓は一分間に600~700回鼓動するのに対し、象の鼓動は1分間に20回程度。
だから、ネズミの寿命と象の寿命は大きく異なる。
でも、それは、ねずみや象とは違った、人間の尺度で計った話。
ネズミは、象より細かく素早く動き回るのに対し、象は動きが緩慢。
その2つの動物を基本にして、彼らの視点から考えると、少し違った考え方もあるかもしれないという問題提起。
生物にとってはそれぞれの尺度があって、それぞれの基準によってに決められた時間を生きている。
人間という別の尺度からみたら、長い短いという比較になるけれど、それは当人たちにとっては家計のないこと。
ねずみはねずみとしての天寿を全うし、象は象としての天寿を全うする。
そして、それは多くの生物にとっても同じこととして観察される。
人間の決めた時間は、彼らにとっては何の意味も持たない。その生物、その生物によって時間の捉え方、尺度は異なっているという、生物学者からの意見。
ドッグイヤーは人間の7倍の速度で進むという。
人間が10分間遊んだと思っても、わんこは1時間以上(人間の尺度で)遊んだという満足感を得ているのかもしれない。そんなお話。
そして、ほぼすべての生物で同じような時間を共有しているのに、地球上でひとつだけ自然とはことなる尺度で物を考える生物がいる。それは、もちろん人間。
そして、人間はその生物としての時間を、他の生物等からのエネルギーを奪うことによって、不自然に引き延ばしているのではないか。
そんな考えから、おそらく編集者が考えた本書の衝撃的な題名。
その内容は、ぜひ本文を読んでみてほしいと思います。
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中学生の頃から抱いていた疑問が完全に氷解した。ひとたび抱いた疑問を私が手放すことはない。アインシュタインの相対性理論がわかった気になりながら、時間とエネルギーの相対性に気づかぬところが凡人の悲しいところだ。
http://sessendo.blogspot.jp/2017/07/blog-post_31.html
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本川先生ご自身でおっしゃってるけれども、やっぱり、名著。生物デザインの2つの基本コンセプト「時間は体重の1/4乗に比例する」「時間はエネルギー消費量に反比例する」をテンポ良く説明。「物理的時間と生物的時間」「3/4乗則」「変温動物・恒温動物と恒環境動物」「絶対時間と代謝時間」等、考えるヒント満載の好著。