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途方もない迷宮のような作品。閉鎖的で永続的で螺旋状。上手く言い表せないが、ここまで矛盾を孕んだ作品には中々巡り逢えない気がする。いわゆる「この矛に貫けないものはない」と「この盾で防げないものはない」が両方とも間違いなく違和感なく共存している。濁流のような理不尽さをどうにか消化したくて一気に読了。とにかく不可解で、けれど明解さも併せ持っている。宗教的で、哲学的なエッセンスが強い。
「扉が扉でなくなるのはどんな時?」
それに対する答えに鳥肌が立つ。
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謎に包まれて始まり、ページをめくるにつれて、「私」が何者なのか、が分かっていく。宗教的な色合いが強いが、解説に書いてあるように、反キリスト教的にも読める。
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亡くなって一年に読もうと、西語版も取り寄せて読むこと五回。未だに難解。最初、こんなもん書いて(宗教的に)大丈夫かと思った。二回目で、あまりの拡散ぶりにクラクラし、三回目はミステリ風かと思い、四回目でこれは実はAdam y Edenにループするのではと思い、五回目、本日、一年たってやっと、私が大好きだったフェンテス氏が亡くなって、もう新作は読めないのだと納得した。私は彼の文章を終わることなくずっと読んでいたかった。邦訳ですら、彼独特の西語のリズムを伝えていると思う。
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★★★★★+★
凄まじく禍々しい小説。
迷宮の中で私が互換する、つまりは生まれ変わる。
よくこんな小説を書けたな。
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ハッピー・バースデー・ジョージ。
映画化もされた『おいぼれグリンゴ』やその他戯曲等も手掛けるメキシコの国民的作家カルロス・フエンテスが挑んだ、揶揄と批判が隠された挑戦的小説。回転し続ける迷宮とも表現されている、宗教的な禁忌を絡めた傑作文学です。
「その目はキチョウの群れを集め、フクロウの夜を散らす」
「扉が扉でなくなるのはどんなとき?」
見知らぬ部屋で目覚めた主人公の前に現れる少年と女性。登場人物がほぼ3人(と1匹)だけ、しかもほとんどが部屋の中という状況での物語は、言いようのない不安感を与え続けます。
「あのときは一人だった。アルプス山脈という巨大な純白の霊柩車のなかで」
「いつまでも夏が続くとでも思っていたのかい。夢を見るにもほどがある」
困惑する主人公の畏怖をよそに無神経にも淡々と進んで行く筋書は、目覚めた後にも一日中頭に纏わりつくような生々しい夢のよう。
「唯一の真実は永久に一粒のブドウの中心に葬られ、失われるかもしれない」
「五つのハスの花が思い出させる誓いとは、どんなものか?」
閉鎖的な空間でもありながら、それでいて果てのない感覚を味わわせる。この状況下や奇妙に小奇麗なメタファーは形而上学的な解釈に通じるものなのかもしれません。また、40ページ以上に及ぶ訳者解説も読み応え十分。
あらゆる理解と時空を超えたトリック・アートのような世界。難解極まりないので、閲読希望の方は迷い込まないようくれぐれもご注意を。
そんなお話。
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受胎、誕生、死、再生、輪廻転生、反キリスト等々。
色々なキーワードが浮かんでくる。
物語は複数の時間と複数の空間が、あるときは時系列に沿って、ある時は平行して、ある時は全く同時に存在するといった形で進む。
登場人物は、例えばドッペルゲンガーではないもう一人の自分であったり、これから生まれてくる自分であったり、幼いころの、あるいは年老いた自分に対峙する自分であったりする。
最後の方になって、物語の全体像が見えてくるのだが、決して謎が解かれた訳ではない。
ネットで検索してみると、色々な方が謎解きに挑戦し、「この本はこれこれこういうことを言っているんだよ」と記述しているのだが、どれをとっても「そうだったのか!」とは思えず、「違うんじゃないの」と首をかしげるものばかりであった。
当たり前の事なのだろうが、「謎」の答えを出すのはあくまでも読み進めている自分の感性であり、自分の感性で求められた答えが「正解」なのだと思う。
僕自身も完全に理解出来たとは言えないし、「漠然と」という注意書きが必要な状態だが、ある程度は内容を把握できたと思っている。
この「ある程度は内容が把握できる」という絶妙な塩梅が本書の魅力の一つなのかも知れない。
この絶妙な塩梅があるおかげで、もう一度読み直してみよう、と思わせてくれるのだ。
たまらなく面白い本だった。
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神保町ブックフェスティバルの作品社ブースで購入。
最も難解な作品と言われているように、なかなか一筋縄ではいかないのだが、じわじわと沁みてくるような気がする。解説に挙げられているキーワードより何か大きいものを感じる……。
巻末の解説が物凄くボリュームがあった。