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『ふくしま式「本当の国語力」が身につく問題集〔小学生版〕』が好評の福嶋さんの新書。
私は福嶋さんの、本書の前半やツイッターで見られるような鋭いツッコミが大好きなので、実際はカットされたという「学び合い批判」をこそ、書籍の形でまとめて読みたかったなーと思っちゃいます。実践問題集はたくさん出てるのだし。
後半はおなじみの「3つの力」の解説と、これからの教育のあり方についてでした。センターの形式を大幅に変えるという案には賛成。あと入試にも教科書にも、評論文のくせに悪文、が採用されまくってる現実は本当に何とかしてほしいです。
※あ、アマゾンでご本人の動画が見られるのね。子ども(多分生徒さん)の声とか車の音とか入ってるw
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おもしろい。気持ちいい。傷口をエグってきてます。協議会でこんなふうに批判できるようになりたい。だから何度も読みたい。
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よく分析されていて、悪い本ではないと思う。
ただ、やはり筆者の言葉に熱がこもりすぎていて、話の持っていき方が少し強引かなと感じました。熱すぎて呪詛のような本でした。
小説をなくせと言ったり、内容ではなく形式だと言ったり、そんなに今の国語教育が悪いものかねえと思った。
少なくとも過去の積み上げがあってこその今の国語教育があって、それを今のセンター試験は焦点がぶれているからひっくり返せっていうのはむずかしい話で、そんな大々的な変革をためらってしまう気持ちもわかってあげるべきやと思う。
まあ国語教育に特化して考えたことのない自分にはまだ早い本かなと思いました。
あとがきに書かれていた「本書を書き終わったときに、今日死んでもいいと思った」という筆者の覚悟はすごいと思います。
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国語教育の考え方がぼくがぼんやりとただただ考えていたことを言語化してもらった印象です。
あんまり国語の授業って好きじゃなかったし、思いいれもないので、この本を参考にしてみようと思っています。
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「国語が子どもをダメにする」
国語力とは論理的思考力である。しかし、学校では感性の授業ばかりで進学塾の模試やセンター試験は読解偏重、難解複雑信仰、長文速読主義で弊害が多い。このままでは子どもは危ない。
国語力。それは論理的思考の技術を使いこなす能力である。
端的にいえば、論理的思考力である。
これを身につけさせることこそが国語教育である。
これは常識だ。しかし、現状はその常識を外れている。
まず、その現状を知ることだ。
そして、改革を始めることだ。
著者福嶋氏がこの本を書いた理由は「国語教育の傷口を開き、現状を知るため」です。福嶋氏はこれまで10冊の本を出版してきました。しかし、それらの多くは治療法重視のものとのことです。この本は治療よりも痛みを伴う。それだけ福嶋氏が本気であるということと国語教育が危機に瀕しているということでしょう。
内容は非常に重要なことだと思いますし、親や教師、学生も読むべきだと思います。福嶋氏は教育者ですから、道徳のような授業やみんなで授業を作っていこうといった子供達の自主性を生かすということで教えるという行為を投げた授業をしかも国語の時間に行う教師達に怒っています。
ここで問題なのが、これらの感受性や自主性に任せきった道徳のような国語をやり続け、それが新聞などで理想的な授業として取り上げられ、それについて教育者も親も誰も何も違和感を感じないということ。感受性や自主性を伸ばす授業は道徳の時間にするべきであって、国語の時間でするべきではないはずです。国語は全科目の中で大きな割合(履修時間)を占める教科ですが、小学校や中学校の重要な時期に国語が意味を成していないのは痛いですよね。
また、「進学塾の模試やセンター試験は読解偏重、難解複雑信仰、長文速読主義で弊害が多い」ということも非常に共感出来ます。実際、私は学校のテストやセンターなどではこれらのいわゆる悪問で点数を稼ぎ、論述に繋げてましたから。しかし、結局それらが国語力の向上に繋がっていないと勉強する側もしっくりきません。
これ以外にも福嶋氏の熱のこもった指摘が満載です。新聞やtwitterでの出来事を普通に載せているので、「これは何やら言われないのか?」と心配になってしまいますが、それだけ本気だということだと思います。実際、そのような事例を出してもらえると読者としても考えやすいですし。
読むべきな一冊。
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前作の焼き増し感が拭えません。鮮烈なタイトルに惹かれて読んではみたものの、タイトル以上の衝撃は差ほどないです。他にも色々と不満な点はありますが、他の方がレビューにまとめて下さっているので割愛します
この方はTwitterをされておりますが、正直呟いて終わりにしておいた方が良いのではと思うくらい、内容が薄いです。私のような貧乏学生は読んでいてだんだん悲しくなってきます。(期待していたほど内容がないため)
ですが国語教育を巡る様々な環境や学校教育について興味を持つきっかけには十分なりますし、なんだかんだで参考になった部分もあるので★ふたつです
今度は500円以上のお金を出す価値のある本にしていただきたいです
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○かなり多くの形式段落が、一文で構成されている。「論理的思考力とは、関係を整理する力である」と筆者は述べている。「整理」という点では、このような文体で書かれていることはうなずける。しかし、「論理の構築」という点では、どうなのだろう。一文段落が続いているところは、どうも先を急いでいる感が強い。
○実践現場で行われている授業に問題点を含む授業が多いというのは、否定できない。しかし、「感性」に堕することのない、優れた豊かな実践が行われているということも紹介すべきだろう。
○センターテストに対する批判は同感。「評論2問・80分」という考え方には賛成。現状のセンターテストは、あまりにも過酷すぎる。
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要約。
1.
国語教育が重視すべきは、文章の内容より形式。(内容が重視されるべきは道徳などの授業に一任すべし)
2.
文章の「型」を徹底して教えるべき。(文章の内容や思考を形にはめる、ではない事に留意)
3.
読み書きの能力とは、論理的思考能力そのものである。書く力は構成力、読む力は再構成力。論理的思考能力は、関係を整理する技術を使いこなす力を指し、具体的には、言いかえる力、くらべる力、たどる力である。
言語を使って思考をする技術は、人間が人間であるための大事な条件だと思うので、著者の考えには賛成。
大学でレトリックとか勉強しても、基礎ができていなきゃね…。
英語を勉強しても、そもそも言葉を使いこなす事が母国語でできないんじゃね…。
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中々衝撃的なタイトルに惹かれて読んでみました。
『国語力とは論理的思考力である。』
という福嶋氏によるそもそもの前提に、まず驚き腑に落ちました。国語は何を教えているのか?何を教わっているのか?と今まで考えてみた事もなかったので。
英語を学ぶ時には「Grammer」と「Reading」に分けられているのに国語の場合も「文法」と「文学」などに分ければいいというような意見もあり、納得しました。
小説を読んで登場人物の気持ちを考えるというようなものは、「道徳」だと。「国語」ではないと。納得です。
技術さえ教えれば誰でも論理的な文章を書けるようになるらしい。言葉というツールをいかに正確に使うかの技術を習得する。それこそが「国語」。私も子どもの頃に技術を教わりたかったです・・・
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義務教育での国語の授業時間は約1,500時間。そに膨大な時間が無駄に使われている、いやむしろ間違ったことを教えるのに使われている。だから国語教育を変えなければいけない。
そんな著者の切実な訴えを強く感じた。
「国語教育を変えるために自分のできることをしたい」そう思う次第である。
以上
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慶應大学入試の小論文賛辞は同感。入試問題からの小説廃除も異論なし。文学的素養は余力があればつければいいが、それよりも騙されない社会人・消費者になる必要性の方が高いはず。学校の先生方はこのあたりを本当に甘く見積もりすぎている。ただ、著者の長文速読型の入試問題批判?は異論あり。速読速解力は多様かつ大量の情報が氾濫している現代社会において、社会人や消費者の素養・リテラシーとして不可欠だからである(もっとも、現行私立中学入試ほどの難易度が必要かは些か疑義もある)。ともあれ、国語教育批判書としては参考になる書だ。
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テストが返って来たら
総合点ではなく部分を見ること
当たり前のことだけど大切なことががたくさん書いてある本
国語の授業が道徳化してるというのは本当、納得