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「嫌悪」とは、そもそも病原菌や異物など、害のあるもの、生命を脅かすものの体内への侵入を防ぐための生物学的反応であり、人間以外の動物にはない反応である。なぜならば、嫌悪感は成長の段階で、文化、環境などから獲得する抽象的思考によるもので、ある人によっては耐えられないものでも、別の人にとっては取るに足らないものであるといったことがよく起こる。また同様の理由から、ある対象に対して持つ嫌悪感は克服することも可能である、と、おおよそこのような内容である。
若干眉唾っぽいな、と思われる見解もあるにはあるが(現に同じ専門分野の研究者である監修者も「賛同できない部分もいくつかある」と言っている)総じて興味深く、例えば嫌悪感を表す表情は、そのまま毒物や異物などを吐き出す、外に出そうとする行為に直結しているなど、なるほどと納得させられることも多かった。しかし。
心理学的考察を期待したのに、いや、実際に心理学的考察に終始してはいるのだが、これを最後まで読み続けなきゃいけないのかと憂鬱になるくらい、まさしく「嫌悪」に溢れた著作であったと言わねばなるまい。
現代社会では許されないような差別的侮蔑的内容、とても言葉にはできないような下劣な性的嗜好、その行為、想像するのもおぞましい食べ物などなど、結構な分量のえげつない記述が続く。ひょっとしたら18歳未満の人は避けたほうが無難かも…それくらい、手にしたことを後悔さえするような内容なのだ。
ただ著者は興味本位でも悪趣味ででもなく至って大真面目、研究者としての立場から真摯に考察を論じている。
それは十分理解できるが、それにしてもなあ…。
星のマイナス要因ではある。
読むことがまさに著者の理論を体感できる著作だったと言える。
気分が悪くなるのを厭わない方はお試しください。
あ、でも著者の理論によれば、これのどこが?と思う人もいるってことだろうなあ。私はドン引きでした…。
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なるほどと思うところがいくつかあるが、エッセンスを凝縮すると非常に少なくなり、かなり冗長な感じがする。
また、嫌悪感は学習によって得られるといいながら、遺伝子に組み込まれるというようなことを言っており矛盾も見られる。さらに、ミラーニューロンによる説明が全くないのが残念。嫌悪感と根本を同じくすると言っている共感はミラーニューロンによってもたらされるという説が有力になってきているが、そうすると高等な哺乳類にも共感は得られるはずである。
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1章 さあ、食べよう
2章 嫌悪する瞬間
3章 脳における嫌悪感
4章 細菌戦争
5章 不快なのは他人
6章 ホラーショー
7章 性欲と嫌悪感
8章 法と秩序
9章 嫌悪感が教えてくれること
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嫌悪感は社会的感情である。だそうです。なるほど。
面白いです。一気に読んでしまいました。
様々な場面や事件を絡めながら、嫌悪感と怒りの違いやその表情が
どんな時と似ているのか、男女差やお国柄などの文化差などいろんな
嫌悪感について詳しく解説。
あちこち誤植が多いのがちと残念ですが、内容はホントに面白いです。
知らなくても困らないけど、知っておいたらいつかどこかでお役立ちになるかもしれないし、ちょっと賢くなった気持ちになれます。
時間のちょっとある時攻めるのがよいかと思います。
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嗅覚心理学の第一人者レイチェル・ハーツによる「嫌悪感」の分析。よく言われることだが、その人の性向は「好きなもの」よりも「嫌いなもの」を調べた方がよく分かるらしい。「嫌悪感」というのは人間にとってより原始的で根本的な感情だと考えられる。そもそも、生存のために危険を回避する、という行動においては「嫌悪感」というものが重要な役割を担っていたのは想像に難くない。捕食動物に対する恐怖、食物の腐敗臭や有毒な化学物質の味、大気中の有毒ガスの臭いなどを「嫌悪感」として感じられる個体が生きのびて子孫を残した結果が、私たちの嗜好として残っているのだろう。
しかし生きのびる為の「嫌悪感」という感情が、現在の社会の中では様々な問題を引き起こしているのも事実である。
病人や身体障害者、異民族の存在やその文化などに対する「嫌悪感」は
、あるいはちょっとした「差異」をもとにしたいじめや差別、さらには対人関係の悩みまでそれははびこっている。
筆者は「嫌悪感」を解明することで、それらの問題から脱却する方法を探ってるが、それは本能に根ざすものだけになかなか難しいように思える。
人類の理性が本能を押さえ込むことが出来るか、というテーマはなかなかに重いものである。
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勝間さん推薦の本。
嫌悪感は、病気や死にまつわる持って生まれたものと社会的なしきたりによって成長過程で身につくものがあるようだ。
嫌悪感があるおかげで、病気や死を遠ざかることができ、社会の一員として存在することができる。
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「嫌悪感」とは、拒絶である。その核心には心の奥底にある恐怖、不可避な死への拒絶がある。しかし、この感情は心の中にいつもあり、コントロール可能である。即ち自分の考え方次第である。その考え方一つで物事をポジティブに考えられるようにするか自問自答出来る。結局、この「嫌悪感」は「自分」自身のことであり、どんな不愉快なことが自分に起こるのかについて知る生き残るための直感である。
この感情は人間の真の姿を映し出されている。だからこそ、この感情に注目することで人間とは何か、そして自分らしさとは何かをより深く知ることのできるきっかけを与えてくれる本である。
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ごめんなさい。本当のことを言うと、全部読めてないです。
内容が気持ち悪すぎて。。
う○虫の入っているチーズとか、そんなんばっかり。
ダイエット中の人には良いかもしれません。
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面白いのだが、こまごま検証してあって何の話だったか忘れる。
結構疲れる本だった。
腐ったものをありがたがる人々がいるのに嫌悪感を抱く人もいる。
社会的に学習しているからで、生存への適応だという話から始まる。
ロブスターは奴隷の食べ物だったとか、虫はエネルギー効率がいいとか、嫌悪の表情は万国共通だとか違うとか。
生存の適応は優性保存とか違うとか。
嫌悪感を感じ易い人は生存に適しているとか。
とにかく、興味本位で読むにはつらい。
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この本による最大の気付きは、嫌悪感という感情は文化的・
社会的脈絡において学習していくものであるということ、
そして、それは「共感すること」と強く結びついていると
いうことだった。その他、いろいろと面白いことがたくさん
書かれているのだが、構成が弱く、ただ羅列してあるだけの
印象になってしまうのが惜しいところ。最後の、嫌悪感は
贅沢であるという指摘にも納得。
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豊富な事例数は圧巻。
しかもええっと驚くような内容ばかりで、ときにひるむほど。。ウジ虫チーズとか、カニバリズムとか。ほんとにこの人が書いてるの? と、後ろ袖の著者の写真を何度も見返してしまった。
嫌悪感にまつわるめくるめく刺激に身を任せて読み進めると、
案外と主張というかこの著者独自のコアはあんまり多くなくて、冗長な感じがしてくる。
嫌悪感が文化に根差していること、社会的に形成されることは、たぶんこの手の人文書を読み慣れている人にとっては全くもって想定の範囲内。嫌悪感が動物にもあるのかとか、どう形成されていくかの丹念なレポートとか、そういうのを期待して読んだら外れかも(そんな期待に応えようとすれば壮大な人体実験になってしまうから倫理的にアウトなんだろうけど)。
あとこの本を読んでいて気がついたのは、
私は語中の全角スペースに嫌悪感をいだくということ……。
訳者の癖なのか、「ロッキー マウンテン オイスター」とか「ロング アイランドのイースト ハンプトン」とか、なぜか「・」でなく全角スペースが挿入されている。人名や、映画のタイトルは「・」で区切ってあるのに(一部=もあったと思う)。
縦書きの日本語のなかに全角スペースがぽつんとあるのを見て、最初はなんだか落ち着かない気分になった。
しだいにイライラし始め、最後には嫌悪感さえいだいた。おお、嫌悪感が形成されたではないか。なんてね。
終盤にはあんまり全角スペースが見られなくなり、
その代わり(?)、誤植が目立つようになった。
ちょっともったいないな。
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あなたはなぜ「嫌悪感」をいだくのか。レイチェル・ハーツ先生の著書。誰も感じることのある生理的な嫌悪感が生まれる背景やそのような嫌悪感をコントロールする方法について学べます。好き嫌いの感情や嫌悪感を持つこと、持たれることは人間として自然なこと、そう思うと気が楽になります。
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嫌悪感をあらゆる方向からとらえようとした本。
食品に関する嫌悪感の中で、チーズを発酵する際に虫を使っていることが結構ポピュラーであることに衝撃を受けた。発酵のためとはいえ、虫がいっぱいのチーズをうまそうに食べるというのが、本当にあるのとは思わずちょっと身の毛がよだった。
しかしながらこれも程度の問題であり、日本のくさやとかを食べるのと、まぁ多少のレベルの違いなんだろうと思った。
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嫌悪感を抱かせる様々な事例を次々と例示してくるのが、面白いですが。。読後なんとなく胃がムカムカした笑
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苦いもの(寿命を縮めやすい)を避けるための機構が感染や道徳にも流用されたのでしょうか。人間以外の哺乳類に嫌悪感がないらしいというのは面白いですね。どうやって細菌を回避しているんでしょう。
この本に引かれている例でおえっとなってしまう人もいるようです。
クッソ汚い文化に触れてきた私は平気でした。ネットの例のアレは暴露療法だった…?