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以前、京都観光に行き龍安寺から銀閣寺に行く予定が、銀閣寺に辿りつく前に「国際平和ミュージアム」に入ってしまったことから、安斎育郎さんのことを知った。
講演がすごく面白いということで、ぜひ聴きたいと思っていることを話したら、この本をいただいた。
昨日、講演を聴く機会に恵まれた。本の中と本筋が一緒で40年近く一貫した考えでやってこられたんだと思った。
講演は、手品などを取り入れ、ホントに聴く人をあきさせない感じであった。
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一つの筋は大変立派なことだろう。しかしいい加減もっと前向きにならなければいけないのではないか。
黒白、表裏、陰陽何でも二極化で攻め立てようとするこの国のあり方が危うい。
必要なのは現在の状況をいかに速やかに打破することだけなのに、ただただそれだけを考えるべき時なのにあらゆるところで横やりが入り物事が進まなくなる。
過去の事と起こった事実を切り分けられなければいつまでたっても解決することはないだろう。
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2012年9月発行。
原発事故直後、放射線なんて、普段気にしていなかったものを皆が急に気にしだした。そのときは理科が主役だった。けれど、理科的把握ができるSPEEDIが使われず、同心円状で避難を指示したり、そもそも原子力を推進してきたり、といったことは社会科の問題。というわけで、原発事故の理科・社会。
理科のほうが話題になることはずいぶん少なくなった。現実的にはつい最近も大量の放射線が事故現場から出ていたり、汚染水が漏れていたりと問題は収束していないのだが、メディアも受け手も慣れたというか飽きたというか、直ちに健康に害がなかったからいいか、となってしまったのか。
それでも(誤解してる人も多いが)、被ばくや国民全体の理科的リテラシーは一応あがったのだと思う。
一方で、社会の方のリテラシーは、と見ると、導入の歴史や推進翼賛体制が結局のところ強固なままである。デモは続いているが規模は小さくなっている。省エネのため止まっていたエレベーターやエスカレーターは動いている。やっぱり慣れちゃったのか。
再稼働問題は、やはり社会(避難とか)のほうは、なあなあにして、理科的にOKか、という話になっている。もっとも、再稼働の根拠自体が社会科の問題ではあるが…。
というわけで、理科・社会と並べられたけど、理科は厳然たる事実であり、社会は変えられるはず、と考えると、希望も絶望も、社会のほうか…。
喉元過ぎて熱さ忘れてない?