紙の本
事例は手堅くまとめているが結論が練り切れていないのでは
2016/10/29 21:53
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:tomoaki - この投稿者のレビュー一覧を見る
「冷静な軍人に対して、暴走するシビリアン」という構図を、クリミア戦争やフォークランド紛争、さらには著者が国際政治学を志すきっかけになったというイラク戦争には最もページ数を割いて記述した一冊。
それぞれの戦争・紛争の事例は手堅くまとめているが、「シビリアンの暴走をどう止めるか」という結論が「徴兵制」というのは単純だと思う。著者がシビリアンの暴走の理由を「コスト意識の欠如」だとした点を考慮しても、だ。
シビリアンの戦争に対するコスト意識の欠如を理由として、その解決策に徴兵制を位置づけるのであれば、事例としてまとめた戦争・紛争のコストを数字としてまとめるくらいはしないと説得力がない。
事例のモデルは一応述べられてはいたが、「シビリアンの暴走」という近代・現代的な政治学的意義がどこにあるのかも不明瞭だ。
それゆえ、プラトンを引いた上での「現代ならではの共和制」の提案も、いかにも「古典もちゃんと読んでますよ」という安易なアピールにしか見えない。
今の東大(というか、日本の政治学界?)がこのレベルの考察で政治学の博士号を出していることが理解できた点が、読んでよかったという感想だ。
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三浦瑠麗『シビリアンの戦争 デモクラシーが攻撃的になるとき』岩波書店、読了。戦争を始めるのは軍人…「軍の暴走」の懸念はデモクラシーの政軍関係の基本であり、歴史に対する反省からの知恵である。しかし本書によれば、近年の実態はどうも違うようである。軍人よりも文民が戦争を欲している。
本書はクリミア戦争からイラク戦争まで綿密に分析。真っ先に死ぬのは軍人だ。勝算のない戦などやりたくない。研究のきっかけはイラク戦争=「シビリアンが推進し、また軍人が反対する戦争」。著者の指摘には驚くし、タカ派政治家の言には枚挙暇がない。
勿論、現実に軍人が推進する場合もあるし、文民統制が機能する場合もある。しかし文民統制という構造があれば安心というのは早計なのだろう。ややアクロバティックではあるが、著者は、軍務の負担を国民が共有することに一つのヒントを見出す。
勿論、軍が全て平和的、シビリアンが常に攻撃的と仮定すること自体(その逆も含め)、思考停止であり、人間論としては、人間を抽象化させる立場(ヤスパース)の最たるもの。想像力の翼を広げることが必要か。常識を塗り替え、出発点に引き戻す一冊。
「執筆を通して、あらためて、人間であれば誰しも『ダークサイド』を持っているということだけでなく、善意であっても結果的に害をなすことがあり、他者の苦しみにに驚くほど冷淡になれるということを考えさせられた」。三浦瑠麗『シビリアンの戦争』岩波書店、あとがき。
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面白い。「シビリアン(文民)が軍を抑えなければ、軍は暴走し、ときには戦争へと国を引きずっていくだろう──このような「軍の暴走」への懸念がシビリアン・コントロールの根底にある」 しかし、現実には民主主義政権のもと、文民政府が戦争を主導し、プロフェッショナルな軍人が戦争に対して慎重な姿勢を取った例が数多くみられる。911後、テロとの戦争を主導したのは軍ではなくブッシュ政権であり、議会も多くがその後押しをした。その他、クリミヤ戦争、フォークランド紛争、第1次、第2次レバノン戦争などを例示し、文民がどのように戦争へと軍を導いていったかを検証する。
興味深い。現在の我が国にあっても、ややもすると市民の側は隣国に対して強硬的な姿勢を取る政権を支持しがちであることから考えて、シビリアンの暴走による戦争突入というのは、決して荒唐無稽な想像だけではないだろう。
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確かに、僕たちは固定観念というか、幻想に囚われていて
きちんと再検証していなかったのかもしれない。
軍部が独走して戦争に突入することもある。
が、文民(シビリアン)が独走して戦争に突入することもある。
近代的民主国家においてそれが起こり、また国民もそれを支持するところが恐ろしいところだ。
日本語が少し分かりにくいところが多く分かりにくい部分もあるが、
内容はとても丁寧に検証されており、刺激的な一冊でした。
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授業では、戦争をしないために文民統制(シビリアン・コントロール)が実施されていると習い、そうかそれなら安心だと思っていたが、民主主義の国で選挙で選ばれたリーダーや、国民感情の後押しが、戦争を回避しようとする軍を押し切って開戦することが少なくないことに驚いた。本書にはなぜそういうことになってしまうかのメカニズムが実例を伴って解説されており、非常によく分かる。読後、戦争を回避するにはどうしたら良いかを考えてみたが、一つは軍の専門性を高めることで「しろうと」司令官の読み違えを無くすことができる。つまり、兵士はプロフェッショナルであり、全く犠牲のでない戦いはあり得ないことを知っているから、戦争回避の選択肢を重視する。もう一つは徴兵制。だれだって実際に自分や家族が戦場にいくことは避けたいはずだし、自分と軍を一体視することで、戦争をより身近なリスクと感じるはずである。今の日本にはどっちも無いので、むしろリスクが高いように思う。
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プライムニュースで見て興味を持ったので借りてみましたが、難しすぎて読みが進まず期限切れで断念しました。
題材としては興味深かったので、自分のバカさ加減がほとほと残念。
時間のある時にまたチャレンジしようかな。
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戦争の火ぶたをきるのは、軍事国家の独裁者や、軍服を着た男たちとは限らない。
著者は民主的に選ばれた軍人でない(シビリアン)政治家が好戦的にふるまい、戦争を始めた4つの事例を研究し、その傾向を明らかにしています。
なかでも、中心になるのはイラク戦争で、それを補足するようにイギリスのクリミア戦争、イスラエルの第1次第2次レバノン戦争、イギリスのフォークランド戦争が扱われています。
・政治家、民意、メディアという民主国家に必須な道具立てが、さして必要性のない戦争を推進するために一致団結してしまうクリミア戦争。
・戦争の絶えない国家ゆえに、軍首脳ももてあますほどに好戦的な人物が政府首脳として選ばれて強引な侵攻が行われた第1次第2次レバノン戦争
・それでは女性で軍産複合体と縁のない中産階級出身の首相ならどうかというと、それはそれで閣僚の反対を押し切り鉄の信念で攻撃しかない、と決意してしまうフォークランド戦争
どの戦争も、攻撃が拙速に過ぎ、緒戦では優秀な兵器の力で侵攻に成功するものの、大詰めの段階で地上部隊に悲惨な被害が出ています。
レバノン戦争で、開戦時は戦争を支持したイスラエル国民が、やがて反戦運動を支持しだす経緯は興味深い。国民皆兵の軍事国家イスラエルでもこういう動きは起こり得るのですね。
サッチャー政権が、フォークランド諸島がアルゼンチンに占領されるまでは、海外領土維持やフォークランド諸島の領有権維持に強い意志を持っていなかったというのも興味深かった。
そして、最も多くのページ数を割いて解説しているイラク戦争でもまた、あいまいな根拠、強引な政治主導で戦争が開始されます。
民衆がそれを支持してしまうのも同じ。
イラク戦争の開戦計画は、ネオコン政治家・政治任用スタッフによって軍の首脳に情報を明かさずに立案されます。
やがて、この計画を知らされた米軍の高官たちは、豊富な経験を活かし、治安維持面で貧弱な計画だと喝破します。
さらに、情報を小出しにマスコミにリークしたり、退役将軍を使って反対を画策し世論に訴えようとします。正義、あるいは命を守るために。
この命令だからといって自分の良心を見失わない軍人たちの勇気はとても興味深いものですが、残念ながら功を奏せずイラク戦争は開戦。
戦前の警告通り戦争後の治安確保に失敗、兵士と民衆に多大な被害を発生させます。
このように、シビリアンの政治家は戦争を決断する。
その理由は、何なのか。
有権者が、政治家が行う政治的決断のコストに無関心であることが理由なのではないかと著者は問いかけます。
これは、戦争だけでなくあらゆる政策においていえる事なのかもしれません。
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シビリアンが推進し、また軍人が反対する戦争とはいったい何なのだろうか。この問いはミカエよりもはるかに深遠なものだ。
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「シビリアンが反対する戦争を、軍が暴走して、時には戦争に引きずり込んでしまう」といった考え方を否定し、軍が止めるにも関わらず、シビリアンがやりたくて始めてしまう戦争が少なからずあることを示している。デモクラシーによる戦争全般を分析した後、実際に軍が反対していたにもかかわらずシビリアンが引き起こした戦争として、クリミア戦争、レバノン戦争、フォークランド戦争、イラク戦争の4つを例として取り上げ詳細に分析している。結果として、攻撃的戦争のメカニズムを解明し、説明している。研究が精緻で論理的でもあり、わかりやすい。言い回しが正確であり、結論へのもって行き方が巧みで、説得力がある。参考となった。
「他のどの政治体制と比較しても、先進工業国の安定したデモクラシーにおいてこそ、攻撃的戦争に積極的なシビリアンと消極的な軍とのはっきりした組み合わせが観察できるのである。これは一般的な常識に反するばかりでなく、これまで平和に資すると考えられてきた民主化やシビリアン・コントロールだけでは、「シビリアンの戦争」を防ぎ得ないのではないかという疑いにも繋がっている」p7
「比較的自由な国においてさえ、戦争が始まると軍隊の発言権が高まり、社会に対する統制が強められることから、「兵営国家」論に見られるように、自国が軍事独裁に変貌してしまうのではないかという恐怖を覚えたとしても無理はない。だが、そのようなイメージをもたらした両大戦においてすら、軍の方が開戦に責任があったとは必ずしもいえない」p16
「政治指導者の意思に反した軍の独走による開戦のモデル事例は、プロイセン宮廷の許可を得ずにルートヴィヒ・ヨルク・フォン・ヴァルテンブルク将軍がロシア軍との協定を締結したことで結果的に対ナポレオン戦争突入に繋がった1812年の事件のように、むしろ、はるか昔にこそ観察できる」p17
「これまで軍と比較してシビリアンが究極的には抑制的であるという仮定が政治学の中で生き続け、また一般社会の認識においてもそれがあまり揺らぐことがなかった」p21
「ミリタリズム対平和主義、ないしミリタリズム対シビリアリズムという二分法で国家やその軍事政策を理解することがいかに危ういことであるかが明らかになる」p25
「軍が独自のアイデンティティーを確立していない古典的権威主義においては、将校は支配階級と一体であり、軍人の攻撃性を論じることにはあまり意味がない」p30
「関東軍が独走した戦前の日本は例外であり、満州事変はもとより、日中戦争に関しては軍の方が文民政府よりも攻撃的だったということができよう」p32
「(開戦決断の動機)砲艦外交の過程で勝てそうな戦争に突入する誘惑や、大きな脅威に晒されて先制攻撃を行う誘惑、戦争を通じて国内の政治的求心力を高める誘惑、などの政治指導者の動機を観察することができる」p40
「デモクラシーが行った戦争のうちには、攻撃的な性格の強いものも多数あることが観察できる」p50
「(クリミア戦争)イギリス国内の多くの政治家や国民が、少なからぬ数の高位の軍人が反対するなか、攻撃的な戦争の開戦に賛成したことに着目する」p54
「『タイムズ』のジ���ン・デレイン編集長は、1854年6月の紙面でクリミア半島へ侵攻せよと論じ、ラグランを始めとする侵攻に消極的な将軍らを「不平屋」と呼んだ。こうした新聞の行動には、戦争への賛意と消極的な軍への不信感が明らかである」p63
「第一次世界大戦のとき、イギリスの労働者階級にジンゴイズム(攻撃的なナショナリズム)が観察されたことは指摘されているが、その源流ともいうべきはクリミア戦争であって、イギリスではこの時代に初めて大衆が戦争の正当性を訴える対象になったといえよう」p69
「戦争に賛成するためには難しい政治思想ではなく、わかりやすい正義感さえ持てればよい」p69
「(第一次レバノン戦争でPLOを撤退させることに成功)レバノンに足を踏み入れたベギンは、PLOの退去のかわりにヒズボラという新勢力を伸張させただけだった」p92
「プロフェッショナルな官僚は、フォークランド戦争の見通しには一貫して悲観的であり抑制的だった。サッチャーは外務省を外し、防衛相を通さずにルーウィン参謀総長と二人きりでやりとりをして自ら統率することを好んだため、官僚、特に外務省はほとんど影響力を発揮できなかった」p124
「アメリカのように軍事が予算や政策の大きな比重を占め、肥大化した軍の潜在的脅威や政策的影響力の強さが懸念されてきた国においてさえ、軍の反対を押し切ってシビリアンが攻撃的で犠牲の多い戦争を始めている」p134
「開戦前、軍の戦争反対は公に明らかになっていたが、メディアや議会、国民は戦争支持が多数を占め、イラク戦争を押し止める結果にはならなかった」p137
「ラムズフェルドの、細部に至るまで自分で管理し決定しようとするマイクロマネージメントと統合参謀本部外しによって、統合参謀本部議長及び副議長は極めて弱い権力しか持てなかった。各軍種トップは、ゴールドウォーター・ニコルズ法によって統合軍司令官や統合参謀本部議長の権限が強化されていたために、イラク戦争に関してほとんど権限を持たなかった」p149
「(イラク戦争)行政府の中でもっとも政治が支配するところであるホワイトハウスでは、上層部やスタッフのほとんどが戦争推進派であった」p176
「興味深いのは、戦前の世論調査では大多数の国民の戦争正当化の根拠がイラクのWMD保有疑惑であるのに、バクダットが陥落し、WMDが見つからなかったときに、回答者全体の60%弱までもが、WMDがなかったとしてもイラク戦争は正当化できると考えていたことである」p187
「(指導者の開戦判断)軍事専門家による死傷者見積もりを受けても開戦の判断を変えない理由は、自らの政治的コスト・ベネフィットや正義の達成など、戦争をすることの価値を足し合わせたものに比べて、死傷者コストが耐えられないほど高いものではないと考えたのでなければ説明がつかない」p214
「アメリカ軍は、軍が政権や議会を押し切って始めたわけではないベトナム戦争が泥沼化して国民の支持を失ったとき、軍に厳しい批判が集まったことを忘れてはいなかった」p216
「シビリアン・コントロールが強い国では、軍はシビリアンの求める戦争に応じない選択肢はなく、シビリアンがやりたがらない戦争をする自由もない。シビリアンの開戦決定権があってこそ、軍の理性的な判断による戦争反対が際立つのだ。それゆ��、シビリアン・コントロールの厳しい国において、「戦いを渋る兵士」という現象が表出するのだといえるだろう。安定型デモクラシーはこの問題を典型的に抱えているのである」p219
「(著者は共和国制の導入を訴えている)現代の共和国像は、市民と兵士の格差を縮めて軍隊の痛みを分かち合うための共和国、市民と兵士がほぼ同じような権利や思考方法を持つ国家にならざるを得ない」p228
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三浦瑠麗 「シビリアンの戦争」
デモクラシーと戦争の関係性を論じた国際政治学の本。
デモクラシーと戦争が直結する衝撃的な結論とその論証、わかりやすい国際政治の用語解説のほか、著者の提言を加えた充実な一冊だった。良書だと思う
自衛戦争と侵略戦争という枠組や被害者と加害者という関係性では見ることのできない開戦心理を知ることができた
アメリカのイラク戦争に関する論考は 、戦争により大国となったアメリカの「光と闇」といった感じ
著者の論考から想像すると、軍を持たず、デモクラシーが安定した日本においては、シビリアンの戦争を止める手立てがないということになるのだろうか。
シビリアンの戦争とは
*シビリアン(文民)が 軍部を攻撃的戦争に追い込む現象
*攻撃的戦争とは、相手から攻撃される前に 始められた戦争
*戦争に消極的な軍部と 戦争に積極的なシビリアンの対立構造