紙の本
言葉によって生まれる現実
2001/05/29 05:36
5人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:春都 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一文だけを頼りに推理を働かせ、殺人事件が起きていたことを突きとめてしまうという、まぁなんと無謀な企みを思いついたものよと呆れてしまいそうな表題作。
しかもこの言葉は、作者が教鞭を執っていたとき、かたわらにあった新聞記事の見出しそのままであり、よくあるような「答えを先に決めてから、問題を作っていく」ものではないという。
この事実を序文でバラしてしまうのが、また作者の上手いやり方。どれどれお手並み拝見、ってな気分にもなろうものである。ちなみに探偵役はニッキィ、よく出てくるなこの名前。
で、感想は「……なんか騙されてるような気がするぞ、おい」。釈然としないとでも言おうか。
表題作の「九マイルの道を〜」の言葉、もちろんこれだけでは想像するにも限界があるし、仮定としての舞台設定を決めていかなければならないのは承知していたが、予想以上にそれが多かった。これだけ周りに「作って」しまえば殺人も起こるわな、というような。作品外、つまり作者・読者レベルで見ると、だけども。
いくつかの平凡な作品はさておき、表題作ぐらいのわりと上質の編もあるのだが、どれも推理(想像)に説得力を欠いている。おそらく相方の頭が悪くて、反論がゆるすぎというのも原因のひとつだろう。
そのストレートな想像でホントにあってんのかよ、と思っていると、「ニッキィさん、あなたのおっしゃった通りの事件でしたよ!」などと刑事が駆けつけ、あっさりご名答ぉ〜となってしまう印象が、ほぼすべての作品に残った。作者の頭にはもとより、ロジックを「魅せる」ことはなかったのかもしれないが。
狙いはこの上なくおもしろい。でも出来は、「本格推理のエッセンス」なる謳い文句ほどのものではないかな。といったところでどうでしょうか?(誰に聞いてんだ)
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ごく些細な手がかりから真相を類推する型の古典(つか原型?)何よりそのキーワードとなる言葉(9マイルは遠すぎる)で成功していますね。
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表題作について、この推論は、ある特定の場所でしか成立しないということを抜かせば、 この論理的推論は結構面白い。さすがに何回も読むとそんなに 感動はしないが。それにしても、犯人はお間抜け。フェアフィールド なんかで朝食を取っていては、アリバイがなくなるではないか。 この事件、文章中に地図がないのはよくない。まあ、表紙に地図は あるけど。ニッキイが活躍する8つの短編集。
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超がつくほどオススメだったりします。その偶然性が好きなのかもしれないです(笑)でも、そこまでいたる会話・推察がすごく好きv
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数ある安楽椅子探偵ものの中でも、最も純粋でシンプル。与えられた事実のみで、脇目もふらずにストレートに真相に到達するプロセスは、新鮮で心地よかった。表題作のように、九マイルが殺人事件に変貌してしまう様はこじつけのようにも聞こえるが、そこにはきめ細かな論理的推理が存在する。その他の作品も、舞台設定、着眼点ともに面白いことは面白いのだが、推論が目立ちすぎて全体的にあっさりした印象のため、変なもどかしさを感じてしまった。小説というよりはパズルに近い。がしかし、脇道にそれる展開にうんざりしてるなら、本作品のような真相一直線のミステリは、お手軽簡単でお勧めである。
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「9マイルは遠すぎる」
その一言だけで、事件を察知ししかも解決に導く。安楽椅子探偵の最高傑作だと思います。
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ニッキイ・ウェルトが聞かされた状況をもとに、見事な推理を繰り広げていく推理小説。8件の事件について書かれている。
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・安楽椅子探偵の中で超がつくほど有名な連作。見事でした〜。短編というのがいいのでしょうか、後味すっきりな感じがたまりません。
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ミステリを読み始めた一冊。「九マイルは遠すぎる」たまたますれ違った二人連れがつぶやいた言葉から、驚くべき事件を引き出す安楽椅子探偵の決定版。
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『九マイルは遠すぎる』
「九マイルものを道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中ではなおさらだ」という言葉からニッキー・ウォルトが推理する事件。
『わらの男』
娘を誘拐された富豪。週刊誌を切り取って作られた脅迫状から見つかった指紋。事件解決後に死んだ富豪の兄。本当の金持ちは誰?
『10時の学者』
試験に不正があったと言われる学者の再試験。しかし、試験の場にあらわれない男。発見された遺体。
『エンド・プレイ』
チェス中に客を迎えに行ってその場で射殺された被害者。被害者の腕に残された硝煙反応の秘密。
『時計を二つ持つ男』
腕時計と懐中時計を持つ男。甥が撃った銃。起きてこない老人。甥の口にした呪いの言葉。同時刻に階段から落ち死んでいた老人とくるった時計の謎。
『おしゃべり湯沸かし』
湯沸かし器でお湯を沸かした青年の行動から幻の壺の盗難を予想するニッキー・ウェルト。
『ありふれた事件』
雪の中に埋められていた死体。被害者が出した日付が先の小切手の謎。
『梯子の上の男』
殺害されたニッキーの友人。梯子の上から転げ落ちた男の謎。
2010年6月17日読了
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米澤穂信の100冊その32:発明には敬服するけど、あとづけが多くて、表題作は「推理連鎖」型のなかでは傑作とは思っていない。とのこと。ベストは「エンドプレイ」。
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「九マイルもの道を歩くのは容易じゃない。まして雨の中となるとなおさらだ」
という名文句で有名な「九マイルは遠すぎる」を含む傑作短編集。名探偵であるニッキィ・ウェルト教授が、「純粋な推理」だけを武器に難事件の数々を解き明かしていきます。
さて、やはり印象に残ったのは、表題作である「九マイルは遠すぎる」です。教授は、この短い文章だけを頼りに推論を展開していきます。それが、予想のできない事態へ……。
スリリングでいて、とても本格なミステリです。つい2回読み直しました。
しかしながら、こういう短編を違うバリエーションで連続して5,6話読むのは、飽きがくるかもしれません。一発ネタではありませんが、多発できないミステリだと思いました。
また、個人的に好みだったのが「梯子の上の男」です。
ちなみに、「The Bread and Butter Case」を「ありふれた事件」とするのに納得。パンとバター、ありふれていますものね。
そういえば何処かで聞き覚えがあると思えば、確か、予備校の先生に教えていただいたような記憶があります。うろ覚えですが、懐かしいです。
(百石)
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ハリイ・ケメルマンなんて聞いたことも読んだこともないよ…と思っていたのだけど、序文を読んだら…読んだことあるということが判明。高校のときに、学校の図書室で借りて読んでました、『金曜日ラビは寝坊した』。たぶん次の土曜日のやつも読んだと思う。…内容忘れたけど(笑)
外国作品は久々なので、文章の読み難さにちょっと辟易。原文自体がそうなんだろうけど、もうちょっと訳者は「日本語」として読み易い文章にしてほしいなあと思うんだが。
内容はというと、うーん…けっこう淡々としてますね。安楽椅子探偵ものは、基本的に淡々としてしまうものだけど、あまりにもニッキィが推論に推論を重ねつづけているので、すごくあっさりと物語が終わってしまう。もうちょっと「私」に反論のツッコミやミスリードを入れてほしかったなあと。
物語の最後の詰めは、ちょっと無理矢理っぽい感じがするけど、ニッキィの推論の重ね方はお見事。
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「九マイルは遠すぎる」は表題作を含むニッキィ・ウェルト教授ものの短編集
九マイルもの道を歩くのは容易じゃない、まして雨の中となるとなおさらだ
この短い言葉の中だけで推論を展開していき、ある事件の真相まで辿り着いてしまうと言う
何と言うファンスタスティックなお話でしょうか
他の作品もそうだが、ニッキィは現場に行きその目で調査する事はしない
友人である「わたし」や、周囲の人達から聞いた情報だけで推理をしていく
脅迫状についた指紋を見て誘拐事件の真相を暴いたり(わらの男)、チェスの局面から偽装自殺を暴いたり(エンド・プレイ)
つまり、アームチェア・ディテクティブタイプの探偵である
派手なアクションやハラハラドキドキのスリルなどないので地味と言えば地味なんだけど、私はこのタイプが大好きだ
提示された一見繋がりのないような内容から推論を組み立てていき、納得の結論を導き出す
本当に感心する
特に表題作の「九マイルは遠すぎる」の鮮やかな決まりっぷりときたら
さすが14年かかっただけはあるなと
私は古典ミステリの短編が大好きなのだけれど、どうして好きかと聞かれたら大概「長いと飽きるから」と答えてきた
他に言いたい事は多々あるのだけれど、私の言語能力ではどうしてもうまく伝えられなくてこんな元も子もない言い方になってしまうのだけれど、この件に関してケメルマンが序文に書いた言葉が、私の気持ちそのままなので少々長いが引用する
私は、古典的推理小説は本質的に短編であると感じていた―まず事件の謎にたいする関心があって、人物や設定は付随物としてあらわれてくるのだ。
したがって、そのような物語を長編小説の長さに引きのばすことは、読者を、主人公が解決にたどりつくまでのながながしい退屈な描写―しかもそこにいたるまでのステップの大半は、必然的に、誤った方向へのステップなのだ―に、巻き込むばかりでなく、ひとつの込みいった謎を提出することを必要とする。
あまりに複雑すぎて、物語を読みおえても、初めとおなじに読者の頭は混乱したまま、といった謎をだ。
この文章自体が混乱しそうだよねとか言わない
つまりは主題をぼやかす為に、純粋な謎解きを阻害する為にかの如く、ミスリードの罠を仕掛けまくった小説への批判であると私は読み取った
ええ、勝手に読み取りましたとも
そんな長編批判的な文章を書いたケメルマンですが、この文章の後に「長編小説を書くという考えには私も興味をそそられた」と結んでいるのですがね
そのケメルマンの長編小説「金曜日ラビは寝坊した」に始まるラビ・シリーズは、かなり面白いと思いますよ
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So smarrrrrrt!×So coooool!
上質なミステリは、上質のエンターテイメントなのですねv