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ブータンからの難民を受け入れるネパールの難民キャンプを題材にした児童書。
という触れ込みだけど、これは完全に日本人が主役の話。
「かわいそうなひとたちをしえんしてあげるすばらしいにほんじんのはなし」
難民キャンプは様々な国の支援で成り立っているのに、書いてあるのは「心ある日本の人の援助」ばかり。
単純に色分けされた世界観が気色悪い。
知識は思考のエサなのに、知識の本で思考停止をうながしてどうする。
この本の中では、ブータン人のための幸せ国家は少数派のネパール系ブータン人を抑圧する政策である、と語られる。
最近のブータン賛美を別角度からみるそれ自体はいい。
しかし同じように少数派を抑圧する現代日本や他の先進国の同化政策をかえりみる視点がまったくない。
追い出す側も追い出される側も完全に別の世界の他人事でしかないのなら、知ることに意味なんてない。
「基礎知識」の項にある説明がひどい。
たとえば、ベトナム戦争の難民を日本はアジア唯一の先進国としてどうぞきてくださいと受け入れました、とか。
はああああああぁぁぁぁ?非難されまくってしぶしぶ許可しただけじゃん。その後の支援もないじゃん。
米軍を受け入れたり戦闘機を送り出したりといった、難民を作り出す側への支援はしてたけど。
データの「難民を生み出している国」という表現も良くない。
イラク・アフガン戦争による難民さえ、その国だけの問題にしてしまう。
アメリカは受け入れ国だけど、原因を「生み出して」いる国でもあるだろうに。
なんだろう、この鈍さ。本気で書いてるんだろうか。
著者の経歴で歴史と現状を知らないわけがない。知らないならまともに仕事をしてないからこんなものを書く資格はないし知っててこの内容なら倫理観がどうかしてる。
子供向けだからナメてんのか、もともと思考停止しているのかわからないけど、難民(「かわいそうなひと」)を使ったナショナリズム製造が気持ち悪い。
登場する人たちが偽善家だとは思わない。
毎年行ってメガネをつくる眼鏡屋さんなんかはすごいと思う。
だけどこの本の語りの中では、誠実な活動さえもうすら寒い自国賛美の材料にされてしまう。
相手が何を必要としているかではなく、「私」がなにをしてあげたかにしか目がいかないエゴイスティックな善意は心底気持ちが悪い。
しかもこの「私」は私という個ではなく「我々日本人」。
すごい人がたまたま日本人だったというだけで「同じ属性を持つ私」を持ちあげるメンタリティは醜い。
こんな本が子供向けの本棚にあるなんてぞっとする。
有害図書に指定したいくらい。
ユニクロの衣類リサイクルに、「お皿監視人」http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4384055617の冒頭を思い出した。
先進国のご家庭でくそまずい健康料理を子供が拒否する。つくった親も食べたくない。「じゃあアフリカの人に送りましょう」。アフリカの人は礼儀正しく「宗教上の理由で食べられないのです」と方便を用いて断る。
あれは物語だからこんなこともできたけど、難民は実際に困っているから「ありがたく受け取る」しかない。
それにしても善意のつもりで下賜する側は,ゴミを与えることに違和感を持たないんだろうか。
みんなが聖人君子じゃないから、わざわざお金を出して寄付しようという気にならないのは仕方ない。
一人の聖人が全財産を出すより、一万人の凡人が不用品を出すほうがたくさんのものが集まる。
だけどその善意はあくまで「どうせ捨てるもんだからあげるよ」程度の善意でしかないと自覚しておくべきだ。
「幸せをとどけるボランティア、不幸を招くボランティア」
http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4309616623も思い出した。
「古着をおくることが、現地の生産者の成長を阻害する」という話。
タダで古着を配られると、余裕のない人はわざわざ現地で作った服を買わない。
これは難民キャンプだから大きな生産者はそもそも育つことができないんだけど、それでも鈍感な傲慢さの形が似ている。
「カラーパープル」http://booklog.jp/item/1/B00005HC66の、ただ歩いているだけの黒人の子供に「まあなんてかわいいんでしょう雇ってあげるわ」と話しかける白人の奥様にも似ている。