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ヴィジャイ・プラシャド『褐色の世界史 第三世界とはなにか』水声社。第三世界とは地理的・歴史的に限定された場所ではない。帝国主義と植民地主義に規定される現代を超克する思想運動という著者は位置づける。トータルな支配とその暴力に対峙する運動だから「探求」「陥穽」「抹殺」がその歩みだ。
第三世界という言葉ほど使い古された言葉はない。普遍的な自由と平等の烽火は、第一世界と第二世界の搾取の前に色あせ、旧支配層が搾取の当体へと転じ、偏狭なナショナリズムに堕してしまった。では第三世界はすでに消え失せたものなのか--。
「第三世界は場所ではない。プロジェクトである」(著者)であるとすれば、「決して消え去ってしまうことはない」と訳者は解説する。本文のみならず渾身の訳者解説は、遠くにある第三世界の認識を新たにし、それを日本社会の現在と接続するかのようだ。
第三世界は「反帝国主義連盟」にその萌芽がある(1927年)。その第三世界を抹消したのは日本を含む帝国主義と現在のグローバリズム(これを新しい帝国主義と言ってよいだろう)である。しかし日本においてはその歴史的経験すら忘却されている。
過去の歴史認識を巡る妄言やレイシズムの跋扈する現在日本で読まれるべき一冊だ。著者はインド出身で現在、米国トリニティ・カレッジ教授を務める。本書は過去に対するレクイエムではなく、「未完のプロジェクト」を未来へ紡ぎだす希望の一歩である。
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第二次大戦後の1952年、アメリカを最主要国とする西欧諸国を第一世界、ソビエト連邦および同国と協調して機能していた国々を第二世界、そしてそれ以外のアジア・アフリカ・ラテンアメリカの国々を「第三世界」と区分することを、レジスタンスの思想家ソーヴィが提案した。当時、「第三世界」はヨーロッパがこれまで答えを見つけられずにいる問題(帝国主義、植民地主義など)を解決しようとするプロジェクトであり、差別的な意味あいはなかった。
「第三世界」という理念はその後、無数の人を動かし、多くの英雄を輩出した。ところが、今ではこの言葉は侮蔑的な用語として使われるか、忘却の彼方へ葬り去られてしまっている。
勇気と知性を兼ね備えた人たちが担い、夢見た「第三世界」というプロジェクトが、今なぜ青息吐息となってしまったのか。本書はその歴史的背景を、さまざまな都市を舞台に起こった史実をもとに追った、ドキュメンタリー的な一冊だ。隣人に起こった、日本ではほとんど報道されることがない無法な出来事を、我々は知る義務があると思う。
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褐色の世界史―第三世界とはなにか
(和書)2013年06月10日 15:39
ヴィジャイ プラシャド 水声社 2013年3月
柄谷行人さんの書評から読んでみました。
様々な困難と様々な矛盾を克服するために高度な政治経済思想が考えられ試みられていったという。様々な妨害もあり、新自由主義によるシニカルな否定もある。そういう中でこういった運動があったということを知ることができて本当に良かった。