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漠然とした不安や焦りというネガティブな思考をどうコントロールするのか。自分の身体や思考と闘ってきたアスリートの感覚を、とてもわかりやすく言葉にしてくれている。自分の身体や思考ともっと真剣に向き合わないといけないと考えさせられた一冊。
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名前は知っていたが、とりわけ注目したこともないし、おそらく競技をしているところも見たことがない。
普通に書店で見たら間違いなく買わなかった本の一つ。
何かのレビューに乗っていたのだと思うが、予想をいい意味で裏切ってくれた。
成功しているスポーツ選手には、単に圧倒的な運動能力でやってきた人と、プラス頭を使っている人、運動能力はそこそこでアタマを使っている人の3種類がいると思うが、その3番目にあたる。
そういう人の話は素人にもわかる具体性があり、言語化しながらやってきていたと窺え、読んでいて面白い。
変に熱く、「あきらめなければ何でもできる」とか「夢を持って老い続けるのだ」とか言うのではなく、一見、無理なものは無理、人間には限界がある、と悲観論を述べているように見えるが、決してそこで立ち止まれと言っているのではない。
きっとすごく現実的なのだと思う。だから受け入れやすい。机上の空論でも超人の理想物語でもないから。
コーチを付けずにセルフプロデュースしてきたところも興味深い。
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トラック種目の世界大会で日本人としては初めて
2度のメダリストとなった著者の思想書。
どこまで行っても競技スポーツは、急こう配のピラミッドの頂を
目指すことを強いられる。
地区大会で勝てば市大会、県大会、エリア大会、全国大会、
アジア大会、ユーラシア大陸、世界大会・・・。
甲子園が分かりやすいだろうか。
そして、プレイヤーはどこかのタイミングで、圧倒的に負ける。
その敗北に、「惜しい」とか「もう少しで」とかいうものは介在しない。
もはや住む領域の違う完敗だけが待つ。
理解や形象化が不可能な完敗や圧倒的挫折を経た時にだけ得られる
「精神」と「身体」の行き来の原体験を
日常生活や仕事、更には死生観、哲学に発展させたものが本書と思う。
特に印象的だったのは、「欠点には存在理由がある」の章。
100メートルで圧倒的記録をもつウサイン・ボルトは
生まれつき脊柱側弯症という、背骨がS字に湾曲する障害を持つ。
これが原因で何度も腰や腿を痛めているのだそうで、
手術すればこれらの痛みが減ったり、
スタートがあと0コンマ何秒か早くなるいう理屈がある。
が、ボルトは現役中は決して手術しないことを公言しており、
為末も手術すると、遅くなると考えている。
欠点や短所、失敗の克服に力を注ぐのは悪いことではないが、
その結果、長所や特徴が削れてしまうこともある。
でこぼこがあっての人間なのだから、欠点も悪い癖も飲み込んで、
その中で伸びる箇所を見つけ、そこに時間や労力を投下する方法が
効果が高いと解く。
とかいうのが、身体と精神の行き来。
陸上をしていなくても、スポーツで高みを目指したことのある人なら
あの茫漠とした何かを言語化してくれる、良書に仕上がっている。
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為末さんは読書家だというが、この本を読んでいるとそれが分かる。本を読んでいることが分かるというより、考えていることが良くわかる。
誰かを説得したり議論したり、人の心を動かしたりすることは以外にも自分自身を問い詰めることで磨かれる。「自問力」がない人の言葉は、どうしても奥行きが無く深みがない。何かに対して感情を抱いても、その感情の背景にあるものを説明できなければ周りからは共感は得られない。自問できる強さがないと、人は強がるしかない。だが、強がっているだけでは自己満足だ。
たとえば、「嫌い」からスタートしても、自問した結果、最後は自分の内側のコンプレックスに行き着くことはよくある。さらにコンプレックスから派生していることを、周りの人は以前から知っていたりする。知らないのは自分だけで、周りからは見抜かれているのに、自分だけは隠せていると思っていることは往々にしてある。
考えること、問うこと。それが自分の世界にイノベーションを引き起こす。
この人のいうことは、的を得ているなぁ。
そういえば、こんな言葉もあった。「努力は夢中に勝てず、義務は無邪気には勝てない」。だから、ときには「いい人」をやめて、子供の自分を思う存分解放させてあげるといいという。次のステージに引き上げて、新しい道を開き、モチベーションを保つためには不可欠だと。
この人の話しを、一度、直接聞いてみたいなと思った。
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スポーツ選手の自伝として、及第点の内容だと思います。
また、ビジネス書として読まれている点にも納得しました。
一流の選手というのは、目標の立て方、それに向かう努力の仕方が優れていますね。
しかも、この著者の場合には、選手としてのピークを越えた後も、目標の立て方、それに向かう努力の仕方が素晴らしいと思います。
世界陸上で2回もメダルをとっただけのことはあります。
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ツイッターでのつぶやきを字数制限のない「本」でわかりやすく解説した感じ。ツイッターの方が刺激的な内容が多いので、「本では割とマイルドだな」と思ったら理由があるようです。これからも新しい発見や考察をどんどん発信してほしいです。
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澤さんも書いていたが、為末さんも、欠点よりも良いところを伸ばすことをすすめていた。この考えは好きだ。
恥ずかしいと思う気持ちが成長を止める。ハッとした。人にどう思われるかを常に気にしている自分も、本当に恥なのはなんなのかに視点をかえれば、生き方は大きく変わるだろう。
プライドも同じ。人から賢く見られるために演じているせいで、私も多くの学びの機会を失ってきていると思った。自分が大事だと思っているこだわりをどれだけ手放せるか・・・。これはツチケンさんとつながった。すべては大したことではない、この視点の切り替えが柔らかい人になりたいと改めて思った。常にニュートラルでありたい。
挫折と努力はセットであって、納得感を得るまでやっても越えられなかったときに味わうのが挫折だという。私は今まで生きてきた中で挫折の経験はない。たいして努力もしないでのほほんとただ生きてきた。そのことを頭の片隅で気にしているのだが、これを読んでこのことがまた引き出されてきた。短い人生、なにかに挑戦して達成感を得たい。そして自分の弱さを知り、深く生きていきたいのだ。人生を楽しむために何か1番になりたいと思う。そして一生モノの自信を得たい。
これまでを振り返ってフタしてきたことはたくさんあるが、考えたくなくて頭がすんなり動かない。・・・が、これらをスッキリできたら、とても健康的になると思う。心と体は一体だし、自分の健康状態は心の健康が特に重要であると最近わかったから。
人に八方美人といわれてそんな自分が嫌で、自分の態度をすごく考え悩み、自分がわからなくなった時期がある。だから、自分らしいのものさしはとても大切だ。そもそも自分らしいとは何かを考えることから始まるが、すべてにおいて、それは自分らしいのかを問い、納得して行うことが、その行動に責任を持てるし、そんな自分をますます好きになるから、結果がどうであれ健康的でハッピーで生きる術だと思う。
この本を読んで、とことん自分と向き合い、そして動こうと思った。タイトル通りだ。著書の思惑通りに私の思考は動いたかもしれないなあ。
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為末さん2冊め。個人的にはツイッターをまとめた「走る哲学」の方が主張がコンパクトで好きでした。人生のハードルを超えるには結局「勇気」なんだね。プチ勇気を持ってプチハードルを越えて行くと、生きている事自体が楽しくなるよっていうようなことをメッセージとして受け取りました。生きていることのゴールを何かを達成することに置いてしまうと苦しい、過程を楽しむというのは逃げではなく本質なんだ、というようなこととか。自分で自分の枠や限界を決めないでいこう、とか。読む人によってどこに惹かれるかはそれぞれなのも面白い。
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自分にとってとても大切な、
宝物のような言葉がちりばめられている本。
普段の生活の中で、
自分がとかく忘れがちな美しい理念に出会える本。
同じ為末大さんの「諦める力」を推される方も多いけど、
自分にとってはこちらの著作のほうが
自分の心に響いてくる。
間違いなく、この本は
自分にとって大切な本になると思う。
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著者は2001年エドモントン世界選手権で、男子400mハードル日本人初となる銅メダルを獲得。さらに、2005年ヘルシンキ世界選手権でも銅メダルと、トラック種目で初めて日本人が世界大会で二度メダルを獲得するという快挙を達成。侍ハードラーの異名を持つトップアスリート。
著書に「走る哲学」「決断という技術」等多数。
もがき苦しむ中で、見えてきたものもある。
競技人生には「限界」がある。限界があるからこそ、今日という瞬間を駆け抜けることができた。夢は叶わないこともある。
だからこそ、夢を追い続けることの尊さや喜びを知り得た。
何かが終わるということは、何かが始まるということでもある。
本書は著者が走ることを通じて、人生と向き合い、弱さも含め自分詩人と向き合い、試行錯誤を繰り返してきた。その中で感じたこと、つかんだ感覚、考えたことを競技人生に区切りをつけた今、あらためて以下の6章に収められている。
①心のハードルを乗り越えろ
②限界が人を強くする
③それでもなお、一番を目指す
④心と体の声を聞け
⑤誰もが死に向かって走っている
⑥自分にイノベーションを起こそう
深い。深~い。
勉強家であり読書家であり、スポーツという舞台で自分の力で一定の成功をつかみとった著者。
本書に記されていることはスポーツのみならず人生において有用な教えが著者の実体験を基に彼自身の言葉で紹介されている。机上の論理に終わらない。事実から実証されたその知恵は非常に深くそして重い。
読み終わればドッグイヤーの跡でぷっくりとその本の厚みは1.2倍ほどにもなっていた。
何度も読み返したくなる素晴らしい一冊。
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為末選手のビジネスマン向けの啓発本。
ビジネスマン向けやけど、その根本にはやっぱり陸上選手としての経験が元になったある。
陸上をしたある人にはさらに楽しめて、ためになる本です。
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選手生活を振り返りながら自身の体験や哲学を書きつらねている本です。ただ、もうちょっと突き抜け感というか、葛藤といった部分が表現されていればよかったかな。
著者が有名な方であるが故に期待をして読んだのですが、期待通りとはいきませんでした。
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イチロー、落合、為末選手のように、知的な言葉を持つスポーツ選手の言葉は鋭い。
日本人は恥の文化がある。恥ずかしいという気持ちが成長を止める。
欧米人は、決めきらない状態、仮説状態でそれなりに動くことが結構ある。逆に、日本人は仮説状態で動くのが苦手で、決定状態でしか動けない。
→アジャイル開発、リーンスタートアップなどの話につながるなあ、と思ったり。
座右の銘は捨てなさない。特にコンプレックスや弱点の裏返しの場合は。
自分の限界を体感として持っておく。
不調なのに頑張り過ぎたり、徹夜作業が何度もできるから体力があると過信したり。
うつ病に陥る人は、自分の体の声を聞くという体感の能力が足りない人が多い。
調子が崩れる「崩れ際」を知っておき敏感になる。
テンションが上がる原体験を大切にする。モチベーションの継続に使う。
自問力を突き詰めて、自分の言動の影響力や共感に使う。
心身相関の原則。体力と気力は連動する。体力が落ちると気力が落ちるし、気力が落ちると体力も落ちて秒になりやすい。
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犬の1年は人の7年に相当するドッグイヤー 老成 人生の予行演習 行司は軍配を間違えたときに切腹するために刀を持っている 重厚な仮面で隠しても、現実の自分は変わらない 男子的な発想 胸を張るって何なのさ 真髄に触れてみたい 自己肯定感 自分が自分を諦めた瞬間 できるできないという臨界点の領域が明確であればあるほど、ピンとくる感覚も鋭くなる そもそも正解というものもない、そこにあるのは、後から振り返って自分がつけた意味にすぎない 仮説状態で即決即断し、素早く修正しながら前に進むというスタイル=走りながら考える 諦めている他の人生の存在に気がつくかどうか その中でも今の人生を選び続けているのは何故なのかというといを、僕は自身に浴びせ続けている。それは、いい選択とか悪い選択という基準ではなく、禅問答のように、選び続ける理由をただ問い続けているのだ。 人は時に、目的を達成することよりも、自分のこだわりを優先する。 がっかりの予防線を張っておく 小さい自分を隠して大きな自分だと偽って生きていても、やっぱりその中にいるのは小さい自分でしかない。 こんなものでしかない自分というのは卑下ひげしているわけではなく、ただこれだけの自分という意味であり、飾りを取っ払った等身大の自分 他人軸に入ったギアをニュートラルに戻す。それが認識することだ。すぐに自分軸へギアを入れることができなくてもいい。いったんニュートラルに戻すこと。 他人が自分を肯定してくれるから自分は素晴らしいと思っている間は、残念ながら満たされない。 チャレンジの奨励に大事なのは、結果をその人の責任にしないこと。 流されて生きれば何も達成できないまま人生は終わる。 若者が完璧を信じ、完璧を追い求めるのは、人生はまだまだ先が長いと思えるからだ。 間に合わなかったという感覚だ ようやく麓に
辿り着いたものの、そこで終わったなというのが正直な感想だ。 人生は時間との勝負。いつか終わる時間との勝負。自分の限界とのせめぎ合いだ。 本当の意味での成長とは、未知の領域を認めること。そして自分の無知を認めることで成長はうなが促される。 有限の中で何に努力と時間を割り振るのか。有限の概念のないところに選択はなく、選択がないところに集中もない。能力と努力が不足しているのではなくて、むしろ決断しないことが問題。 小さいところで戦っていたら挫折はない 人生は、緩やかな挫折を受け入れることであり、人生、最後は負けで終わる。 何かを達成することが人生の目的なのか、挫折しないように生きることが目的なのか 今の自分を否定し傷つけることが、成長することや結果を生むことにつながるのだろうか? 人間には本来かたよりがあって、でこぼこしていて、それが魅力になったり、個性になったりする。だったら欠点も短所も悪い癖も飲み込んで、その中の伸びる部分を見つけ、そこに時間や労力を投下するという方法が効果的なのだと思う。 短所を直すというよりも、むしろ長所を伸ばすこと、そして短所を使うことに留意した 数字が示す明白な結果、自分の負けと直面し続ける精神、そして葛藤。感じざるをえない、下り際のむなしさ。自分の限界を知ることは、悲しさが伴うものだと思う。寂しさもある。それまでの現実が乱暴に打ち砕かれる。それでもなお。自分の持てる力を全て出してやった後は、悲しさや寂しさを超えて、ダメなものはダメだったよねという清々しさがある。 価値観を練るには幸福感を突き詰めないといけなくて、そういうものから逃げたときに、極端な現実主義や理想主義が現れる 努力は夢を叶えるためにあると思ってきたけど、30歳を過ぎたいつの頃からか、もしかしたら自分は努力するために勝ちを目指しているのかもしれないと思うようになった。 夢は今を輝かせるためにあると僕は思う。そしてその輝き自体は、その夢が叶う、叶わないなんて関係がない。夢は持ったほうがいい。たぶん叶わないけれど。 無我夢中を目指すことが、一番を目指すこと、そのもののように思う。 誰もがシンデレラが結婚した後のことを語らない 人が何か目指すものがあるとき、それが手に入る入らないは関係なく、目指している、その状態自体が幸せなんじゃないかと思う。 映画のクライマックスも、起承転結の承や転があるから、結が腑に落ちるのだ。もっと言えば、人間はどのみち死ぬけど、生きていること自体に意味があるのと同じだ。 何もない日々の虚しさを思うと、何かがある日々、向かうもののある毎日がいかに恵まれているか。 一番になったことを知っているのは自分だけで、誰も褒めてくれなくても目指せるのか?そこに付随する意味をよくよく自分に問いかけたときに、自分にとっての一番の意義や、人からの称賛を得るとはどういうことなのかが、初めてわかる。 結果重視ではないけど、過程重視でもない。そんなことを耳にすると、違うんだよな、それじゃないんだよなと思う。 理屈ではなくて体感としてわかっている 磨くべきは目標設定のセンス 人には可能性があり、そして限界がある。人生で進むべき方向はひとつではなくて無数にある。そして、何かに限界を感じるのは次の世界の可能性を広げることだったりする。 心身相関の原則 幽体離脱 自問できる強さがないと、人は強がるしかない。観察と自問を繰り返すことで、自分の中の何かが整理され、言葉が洗練されていく。答えの出ない問いの中、葛藤の中に成長があり、そこを楽しみながら悶々として過ごしてほしい。そして僕もまた大いに葛藤していきたいなと思う。考えること、問うこと。それが自分と世界にイノベーションを引き起こす。 子供の頃に描いたもののうち、殆どは手に入らないだろう。それを悟っていくと段々と思いが絞られていく。そして絞られた思いは、もっと高次元におかれていった
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理屈っぽい気もするけど、正論のような気がする。
走りながらいっぱい考えてたんでしょうね。
自分と対話するというのはアスリートならではでしょうね。
アスリートでない僕もしますがね。
いや、僕もアスリートなのかもしてないね。