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いつか読もうと思っていた『夜と霧』の作者フランクルをたどった本。旧訳と新訳、翻訳者の想いなどのバックグランドや今も多くの人に読まれる理由などを考察している。フランクルの世界がぐっと拡がる1冊のように思う。
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日刊ゲンダイ、2012年12月13日版、BOOKレビュー
烏兎の庭 第四部 書評 6.1.13
http://www5e.biglobe.ne.jp/~utouto/uto04/bunsho/yorukiri.html
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読んでよかった。
生々しい描写が医者の目で科学的に淡々と描かれてるせいか、抵抗なく読める分、読み終わった後にずっしりと重いものがのしかかってきた。
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フランクルの思想に寄り添い、わかりやすく、詳しく、タイトルの様に旅をしながら解説されているような1冊。時代背景や家族背景からフランクルの人生と思想を紐解く。
「人生に問われている」と考えるコペルニクス的転回や「講演している自分を客観的に想像する」トリックなど、自分や人々を幸せにするための実存主義と思っていたが、フランクルが追い求めたのは真実、真理といった普遍的なものだったのかもしれない、と感じた。
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世田谷一家殺害事件、池田小学校事件、著名な事件の遺族を支える一つとして、「夜と霧」はあった。夜と霧と、ミシュカの森と、べてるの家と。
・一本の松明が消えたとしても、それが輝いたということには意味がある。―V・E・フランクル 『人間とは何か』
・「霜山先生は、帰りも『さようなら』と言わずに『ごきげんよう』とおっしゃった。特攻隊員がそうあいさつして飛び立っていったって」
・「人間は、宗教で自殺を禁じなければならないほど死に魅せられる、弱い存在である」―霜山徳爾
・「『すなわち最もよき人びとは帰ってはこなかった』。『夜と霧』の冒頭へフランクルが差し挟んだこの言葉を、かつて疼くような思いで読んだ。あるいは、こういうこともできるであろう。『最もよき私自身も帰ってはこなかった』と」―石原吉郎(シベリア抑留帰還後詩人になった)
・ヴィクトールがいつも言っていた言葉を贈ります。人間は誰しも心のなかにアウシュヴィッツを持っている。でも、あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに期待する事をやめない。
・本を開く、人に会う、手紙を書く、心が動いたら何か行動していれば、熟した柿が自然に落ちるようにいつか時がくる。
・「体罰を受けてサバイバルな日々を過ごした」中学時代、向谷地は、自分の苦しみが、ベトナム戦争や飢餓など、不条理な暴力を受けている人の苦しみや痛みにつながっているという感覚を持つことで生きられた、という。
「だから、悩み事、というプライベートな包みでくるんでしまうのは嫌だったんです。どうせなら、苦悩していたい」
・「人格の尊厳は、利用価値と混同されてはなりません」と『苦悩する人間』のなかでフランクルは言った。人格がもっとも客体化したのは強制収容所だった、と。医学実験の対象にされ、害虫のように撲滅対象とされ、奴隷の利用価値しか見られず、それも労働に役立つあいだだけのことだった、と。
私たちの社会も、尊厳と利用価値をごっちゃにしてきたのではなかろうか。いや、社会とは誰のことか…。人間の尊厳と利用価値を混同しないように、私は心にとめていこう。
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図書館で「夜と霧」に並んでいたので、解説本として借りた。「夜と霧」という本、フランクル本人についてわかりやすく教えてくれる。フランクルに影響を受けたたくさんの人々のエピソードを取り上げることで、読者がフランクルの思想をより身近なことに置き換えて考えることができると思う。私自身、この本に出てくる著名人の活動や著書に新たに興味を持てたし、生きる意味について、新鮮な思いを持てたことが大きな収穫だった。ここから枝葉をゆっくり伸ばしたい。心に灯った小さな火を消さない生き方をしたい。
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久々に貪るように読んだ本である。著者が新聞記者ということもあり、読ませる文章である。日頃、生きる苦しみを持つ人たちの相談を受けている者としては我が事として読めた。大事なのは、自分の人生の意味を「問うのではなく、こたえること」そして「引き受けること」。「人間には決して奪われないものがある、運命に対する態度を決める自由と、もう一つは過去からの光だ」「医師の役割は、患者が生きる意味をみつけるのを助けることであり、触媒としての働きなのだ」
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アウシュビッツ収容所での過酷な体験を綴った『夜と霧』。数ある体験記のなかで何故この作品が異彩を放っているのか、日本ではどのように読み継がれてきたか。フランクルの作品に影響を受けた人々の言葉を引用しながら、フランクルの思想や生前遺した言葉を紐解くノンフィクション。
だいぶ前に『夜と霧』を読んだ時はその過酷さと非道に衝撃を受け、ただただ愕然とした、という記憶しかない。けれど本作で改めて『夜の霧』を書き切ったフランクルの背景や宗教観などから、ただその現実に悲観するだけでなく、その苦難すらも糧にして生きる意味、そして人間が持つ前を向く強さを説いていたことを知る。
『夜と霧』の再読とともに、本作で紹介されている多くの関連本も併せて読んでみたい。
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・集団的罪科の否定
・品性のある人種と品性のない人種
・その時々の最善を尽くす
・奪われないもの→「運命に対する態度を決める自由」と「過去からの光」
・自分自身を忘れ、自分自身を与え、自分自身を見つめず、自分自身の外側に心を集中させる
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『人間は、生きる意味を求めて問いを発するのでなく、人生からの問いに答えなくてはならない。』
翻訳者、家族、その思想に影響された、フランクルにまつわる人々を追いかけた旅でもあり、著者自身の人生からの問いに答えていく内面の旅でもあるこの書。
その旅をなぞるかのごとく、フランクルの人物像と彼の言わんとすることが、章を追うごとにいつしか知らずうち深く沁みてくる。
苦悩に出会った時に自分がどんな態度を取るかによって、人は苦悩を業績に転換することができると言う。
自分のその時置かれた環境、運命に過剰な意味を求めず、「それでも人生にイエスと言」えるかどうか。夕陽を見て世界とはなんと美しいと思えるかどうか。
犯罪被害者を取材してきた著者ならではの、「引き受けてきた」人々の言葉が更にしんと心に響く。
長く読み継がれてきた訳が分かる気がする。
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一心理学者の強制収容所体験の記録『夜と霧』は、日本でなぜ読み継がれ、大震災後さらに読まれているのか。生きる意味を訴えるフランクルの思想の深奥を追ったノンフィクション。
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一心理学者の強制収容所体験の記録「夜と霧」は、日本でどのように読み継がれてきたのか。フランクルの数々の著作が東日本大震災後、さらに広く読まれているのは何故か。生きる意味を訴える思想の深奥を追うノンフィクション。
以前に読んだ「夜と霧」。
再び読みたくなった。
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フランクルは強制収容所で、期限がわからないことに皆苦しんでいたと書いている。クリスマスには解放されるとか、3月31日に解放されると夢でお告げを受けたなどと信じて、かなえられなかった人たちは、急速に抵抗力を失い、命を落としていった。だからこそ生きる意味に目を向けるように仲間に話かけた。人には決して奪われぬものがあると。1つは運命に対する態度を決める自由。もう1つは過去のからの光だ。
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私のような教養が不十分な者には、『夜と霧』を読むときに必携である。
本書を読むときの助けとなると思う。
『夜と霧』を読む前に読んでおいたほうが良かったかもしれない。
良書。
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人並み以上に「夜と霧」に関心がある訳ではないけど、一読再読では済ませられない、折に触れて回帰してしまう、そういう求心力を持った本の一つ。
などと言いつつ、新訳読んでない。
だいぶ様子が違うようなので、読んでみよう。