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宮崎哲弥/呉智英「知的唯仏論~マンガから知の最前線までー仏陀の思想を現代に問う~」
評論家宮崎哲弥(みやざき てつや)と呉智英(くれ ともふさ)による仏教を中心とした対談。
副題や目次にマンガとあるし、手塚治虫の仏陀や漫画エヴァンゲリオンとか載っているので、気軽な気持ちで手に取ったのだけど、なんのその・・・かなりコアな仏教・宗教論が展開されている難しい本だった。
仏教を知的な論理体系としてあつかい、仏教におけるさまざまな論理について語られている。
宮崎哲弥/呉智英両氏の仏教・宗教における深い造詣に圧倒されながら頁を進めた。
引用や話題に挙るかなりの書籍や人物について、分からないことも多かった(ほとんど?)のだけども、総体としては仏教の現す論理がどのようなものなのか、様々な視点から考えさせられた。
また、仏教に限らず、その他の宗教についても論じられていて、比較の上でも参考になった。
難しいと思ったら、本書は「仏教問答」三部作の最後の一作にあたるらしいとうことがとがきから分かった。
三部作一作目は、小池龍之介との共著「さみしさサヨナラ会議」二作目は、「教理問答」となっているらしく、難易度は、「さみしさサヨナラ会議」「知的唯仏論」「教理問答」の順に難しくなるらしい。本書でかなりの何度を感じた僕は「教理問答」まで手がのびることになるかどうか・・・。
また、本書「知的唯仏論」は呉智英が執筆された「つぎはぎ仏教入門」をさらに深めた内容となっているらしいので、こちらはまた機会があれば読んでみたいと思っている。
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【内容】
ベストセラー『ふしぎなキリスト教』を超える「頭にいい仏教」! 手塚治虫『ブッダ』からナーガールジュナ「中観」まで、知的で愉しい仏教論。宗教を描いたマンガの最高傑作は何か? 日本仏教の言いたがらないことは? ブッダとその一族はなぜ出家の道に入ったのか? 仏教は「この私」の救済するか? 仏教は実存の問題に答えるのか? 通俗から仏教の本質へ、理路正しく、わき道にそれながら深まりゆく、知的で愉しい仏教談義。
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【目次】
第一部 仏教をめぐる、やや通俗的な入り口
1 仏教とは
・きわめて理知的な原型の仏教
2 宗教を描く
・ブッダの物語化に成功した手塚治虫・宗教マンガの傾倒と乖離・宗教マンガの決定版・宗教を外部から描く意義
3 輪廻の解釈学とオカルト批判
・『豊饒の海』四部作と輪廻・スーパーセンス・社会の紐帯としての迷信・占術
4 宗教家の力
・共感可能な教祖としての中山みき・社会を軸とする創価学会・抑圧下に生の実存的な問いを発する新宗教・宗教の側、知の側
5 ブッダと日本仏教
・生身のブッダとは・階級対立意識が仏教に見えるか・日本仏教の言いたがらないこと・釈迦より上に仏がある日本仏教・在家と出家の定義・三身の報身から仏性が成り立つ?・宗派仏教の救済の方便・「いのちがあなたを生きている」……とは?・キャッチコピーの「いのち」とは?
第二部 宗教と「この私」
1 仏教学と体験性
・実証研究の限界・宗門の枠組み��らの逸脱 ・仏教の言説の現在
・神秘体験と意識変容
2 神秘体験と救済
・言語の届かない世界の体験・自己が打ち砕かれる体験とは?・「最高存在の祭典」と理神論・救済原理の外部性・ブッダに神秘体験はあったか
3 実存を問う病
・支那の実存主義思想をたどる ・聖と俗、勝義の仏教と習俗の仏教・縁起をめぐる論争・実存に迫る荘子・『荘子』「斉物編」の深み・統治技術としての仏教・知の宿業・自我の爆発を抱える遺伝子
4 愛と渇愛
・仏教の愛・キリスト教の愛・梵天勧請と慈悲・エヴァンゲリオンとロレンス ・日本人女子の求める「優しさ」・恋愛の入り口は闘争・単身社会こそ仏教の出番
5 現代人の四苦
・死の問題を扱う仏教・死に対する感覚の変遷・変成男子――女性のままでは悟れない?・女性は悟りから遠いと語るブッダ・律蔵と倫理・セックスと戒律・我執との向き合い方
第三部 仏教と社会
1 善悪の彼岸
・独我論と社会倫理・われわれに自由意思はあるか・世間虚仮の仏教と倫理の関係・王法と仏法・チベットと仏教における殺人の「倫理性」・宗教は社会を壊す
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宮崎哲弥と呉智英による対談。師弟対談といってもそれほど差支えはないだろう。
両者の対談本というと「放談の王道」という名著があり、この中でも仏教の話題は少なからず出ていた。
その後二人とも仏教についての本(宮崎哲弥は「仏教教理問答」など、呉智英は「つぎはぎ仏教入門」)を著し、今作は満を持しての仏教対談本となった。
一口に仏教といっても幅が広いので、仏教に興味があってこの本を手にとった人の中にもノレる部分とノレない部分があるのは仕方のないことだろう。
僕の場合、興味は空や縁起といった根本原理の部分が主なので、やれ真言宗がどうの、禅宗がどうの、という宗派ごとの違いや各宗派の成り立ちに関する部分にくると、どうも集中力が落ちる。
人物に関しては釈迦とナーガールジュナとツォンカパだけで十分。
空海も最澄もどうでもいいです。
そんな僕をして面白かったのは宮崎哲弥が釈迦を「エゴイスト」と称していたこと。
梵天勧請を引き合いに出すまでもなく、よくよく考えてみればその通りなのだ。
キリスト教にしろイスラム教にしろ、宗教というのはだいたいが苦しみから逃れるために発明されるものだ。
釈迦はその結果として、この世の全てが空である、我などというものは実在しない、ということを悟ったと言われている。
我がない、無我であることを悟ることが苦しみから逃れることに役立つのだとしたら、我があるからこその執着=エゴこそがその苦しみの根っこなのは当然だ。
釈迦は自らのエゴのせいで苦しんだからこそ出家の道を選んだのであって、強いエゴを持った人、つまりエゴイストでなければそもそもそんなに苦しむこともなかったはずなのだ。
なんだかすごく合点がいった。ストンと腹に落ちた。
途中からは僕の勝手な解釈だけど、そう思ったんだから仕方ないでしょ。
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評論家 宮崎氏と呉氏が、仏教を信じている人と仏教を知ってはいるが信じていない人として対談をまとめた本。
内容は、キリスト教などの多宗教との比較、哲学や思想家などを引用しての仏教の対比などがあり、内容が自分には高度で理解するのは難しかった。けれども、意見を引用するときには、引用先の書籍などが書いてあるので興味をもったら、それらを読んで参考にしたらよいと思う。
ヒットした「ふしぎなキリスト教」に刺激を受けて、本書を考えたと宮崎氏はテレビで発言していたが、個人的には哲学的な思想なども含めて高度かなと思った。
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対談している両者ともファン。こりゃ買わねば、こりゃ読まねば、だ。
ただ呉さんの質問に宮崎さんが答えると言って進み方だったもので、いつもの呉さんの舌鋒鋭い批評に触れられなかったのがちょっと不満。
とは言え、話題は仏教にとどまらず大きく広がり、半端じゃなくためになるし、目から鱗が何枚も落ちる。
あとがきによれば、宮崎さんが今度仏教本の書き下ろしをするとか。宮崎ファンかつ仏教ファンとしては、買わねば、読まねば、だ。
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無我説と非我説などは普通の人が読む仏教書には出てこない。仏教学者が読むような本を宮崎が読んでいて、それを分かりやすく説明してくれるのがありがたい。
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宮崎哲弥と呉智英による仏教に関する対談録。対談録なので読み
やすいし(事実半日で読み終えてしまった(笑))、マンガなどが
入り口になっているので簡単な内容かと思えばさにあらず、
きわめて高度な仏教論が交わされているという印象。
宮崎が自説を披露し呉がその所々で質問をしたり突っ込んだりと
いう形なので宮崎の信条や仏教観が主に披露されているといえるか。
私にとっては新しい要素は見つけられず、様々なことを再確認した
本と言えるだろう。宮崎による現代日本の仏教界への警鐘、まさに
その通り。これに応えられる僧侶が今の日本にはたして何人居るの
だろうか。
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私はこの本を読んでいる時点で仏教に関する知識は殆どありません。
ですので、専門的な用語や難解な言葉が散見されるこの本は最後まで読めないかな•••と思っていたのですが、全くそんな事はありませんでした。
全てにおいて完全に理解できているかと言えばそうではないんですが、大体こういう風な事を言ってるのかな?と感じつつ、また調べつつ、飽きることなく最後まで読む事ができました。
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テレビでもおなじみの宮崎哲弥さんの佛教解説本です。呉智英さんとの共著で、難解な言葉もちょくちょく登場します。宮崎さんが勧めるように、手塚治虫さんの”ブッダ”を読むほうが分かりやすいかもしれません。
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内容が難しい・・のもあるが、言及している人物や事柄を知らない事が多く、個人的には面白かったとは言いにくい。
しかし、理解するために再読したいし、別に読みたい本も新たに出来た。まずたかもちげん氏の「祝福王」。マンガである。(笑)
日本の仏教というのは釈迦の時代の原始仏教とはかなり違ったものになっている事を再認識した。
仏教界の歴史に興味があるわけではないので別にいいけれど。
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仏教は難しい。ということだけは分かった。といっても過言じゃない。自分が無知であることを思い知れたことは有意義であったかも知れない。「勉強」や「知」や「学問」に携わる人の圧倒的な知識量にただただ圧倒されるのみである。謙虚に学ぶ、いきらない様にしようと思います。