投稿元:
レビューを見る
吉村昭は、ある分野、ある方面の読者にとっては本邦随一の書き手だ。
書店によっては、例えばは八重洲ブックセンター6階の文庫売り場などがそうであるが、吉村さんの作品がずらりと並んだ棚の幅は、司馬遼太郎のそれを上回ってさえいる。
だが、かなりの読書家であっても知らぬ人は知らぬ、読まぬひとは読まない、そんな存在だ。
吉村さんが亡くなって6年になる。
吉村さんの妻である津村節子さんは、私小説を得意とする芥川賞作家だ。この人が書いた『紅梅』という私小説の一冊を、私はどうしても読むことはおろか手にとることもできない。夫である吉村昭が癌を患い最後に息を引き取るまでを描いたものであるからだ。
ある偶然から、四半世紀前に亡くなった私の父と吉村さんとが同じ昭和2年生まれであることを知った私は、自分の内面を一切口にすることなく逝った実父の代わりに、吉村さんの作品群に時折現れる自伝的記述を、「わたしはこうして生きた」という父の声を探すかのようにむさぼり読んだ。
『紅梅』の帯に、「夫は延命装置の管をひきちぎった」という凄まじすぎるコピーを見つけ、私は実父の断末魔の苦しみを見るようで、目を逸らさずにはいられなかった。
だから、その一冊はいまだ私の書棚にはない。
昨年末、文字通り2012年の12月30日に発行されたこの『夫婦の散歩道』を先日書店で見かけた。書店散歩が趣味の私には、見慣れぬ新しい本を、「おや」と見つけるのが無上の歓びだ。野中で可憐な一輪を見出した時の様に、表紙が一瞬にして私の中に浸み入ってきた。その昭和初期の少女趣味を想わせる花柄の表紙は、「もう6年も経ったのよ、そろそろお読みなさい」とやさしく微笑んでくれているかのようだった。
「花の好きな女だなあ」
公園や庭先で草花を愛でる津村さんを、夫である吉村さんがあきれたような口調でそういう場面が2度出てくる。妻を慈しみ目を細めるような彼の優しさが滲み出ている。
だからこの表紙は、この一冊の表紙としてとても似つかわしいものだ。
連れ合いを失い、80を過ぎ、息子や娘から物忘れを心配される著者の筆致は、芥川賞作家だというにたどたどしく素朴で、誠に失礼な表現だが小学生の作文のようだ。巧らざる説得力なのか、それともこの人の完成された文体なのか、ご主人の作品の方は読み尽くす程なのだが、殆ど初読の私には判らない。
「夫が癌の手術をして退院してきてから再入院するまでのわずかな間、もうこれで治ったね、と言いながら歩いたのも、上水べりの道だった」
冒頭の一遍。「二人の散歩道」は、三鷹の自宅近くの玉川上水の思い出をひとしきり語ったあと、そう締めくくられていた。
「もう治ったね、と言いながら歩いた」ってまるで小学生の絵日記じゃねえかよ。
私は強いて乱暴に言ってみようとした。けれども声が震えてしまった。
「再入院」というのは、それが吉村さんの最期となったことはわかり切っていた。